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「ねぇ……どこまで飛び続ける気なのよ……」
吹き付ける風に煽られながら鳥に向かって声をかけたが、鳥は何も答えず、ただ黙々と羽ばたき続けている。
眼下には、夕闇に包まれた深い森が広がっていた。木々の影は赤紫色に染まり、川の水面がオレンジ色に光る。半分沈んだ太陽が空を茜色から紺色へと変えていく。
(ん……?)
そのとき、再び体に奇妙な感覚が走った。ムズムズするような感覚に、思わず自分を見下ろす。
「まさか……!」
鳥を見上げると、さっきよりも明らかに小さくなっている。いや、違う。鳥が小さくなったのではなく、わたしが大きくなったのだ。親指ほどのサイズだったわたしの体は、鳥の大きさから見て、成猫くらいのサイズになっていた。
「クィッ!?」
鳥は驚いて、バサバサと羽を激しく動かす。わたしの急成長で負担がかかったらしい鳥は、重くなったわたしを放そうと爪を緩め始めた。
「ちょっと! 放すんじゃないわよ! この高さから落ちたらどうなると思ってるの!?」
必死に鳥の足にしがみつきながら叫ぶが、高度は少しずつ下がり、鳥の動きに疲労の色が見え始めた。
「頑張りなさいよ! あんた、やればできる鳥でしょ!」
「クィー……クィー……」
弱々しい鳴き声が返ってくる。しかし、鳥は歯を食いしばる——いや、鳥に歯はないんだった——でもその気概は伝わってくる。
「そうよ! あんたなら絶対やれるわ! 羽ばたけ! 希望を胸に!」
「クィ……!」
鳥は一瞬だけ力強く羽ばたいた。が……。
「ク……クィ……」
次の瞬間、ついに力尽きた鳥はフラフラと失速し、眼下の森へ落下していった。
「根性出しなさいよーーーっ!!」
ボスッ。
「覚えてなさい!! チキンソテーにしてやるーーー……って、あれ?」
地面に叩きつけられる覚悟をしていたわたしだったが、気づけば、大きくて柔らかな巣の中に落ちていた。
「ここってあんたの巣なの?」
「クィ……」
グッタリしている鳥に問いかけると、鳥は弱々しく一声鳴いて返事をした(ように感じた)。辺りを見回すと、巣の片隅では七羽の雛たちが「クェクェー」と鳴きながら身を寄せ合っていた。
「……あんた、子沢山なのね。あっ! まさか、この子たちにわたしを食べさせようとしたんじゃないでしょうね!?」
「……ククィ……」
わたしの疑念が通じたのか、親鳥はそのまま明後日の方へ顔を背けた。
「……まぁいいわ。これ以上言っても仕方ないし、とにかく下に降りる方法を考えないと」
そうつぶやきながら、巣の縁にそっと近づき下を覗き込むと、重なり合う枝葉が広がっていて、巣がかなり高い場所にあることがわかった。樹の根元には野生のミニ猪が集まっている。どうやらこの雛たちを狙っているようだ。
「あんたも大変なのね……」
「クィー……」
ミニ猪たちは下でうろつきながら、時折鋭い牙を見せて威嚇するような仕草をしている。
(既視感……)
「それにしても、この高さじゃ降りられないわね。ミニ猪たちも待ち構えているし……」
わたしは振り返り、鳥の親子に言った。
「ねぇ、今晩はここに泊めてもらうから、よろしくね」
「クィッ!」
「「「「「「「クェー!」」」」」」」
鳥たちは了承するかのように軽快な声を上げ、それに続いて雛たちがトテトテとした動きでわたしに近寄ってきた。愛らしい仕草に思わず頬が緩む。
餌になりそうだったことを考えると、少し複雑な気分だが……。
夜が更け、森は静寂に包まれた。わたしは雛たちの側にゴロンと寝そべった。ふかふかな羽毛が思いのほか心地よく、その夜はぐっすりと眠ることができた。
***
「そろそろ式典が始まる頃かしら」
枝葉の間から空を見上げてそうつぶやいたときだった。「ドォォォン」という、すぐ近くに雷が落ちたかのような大きな音が響き渡り、大地がわずかに震えた。
周囲の枝葉に隠れていた他の鳥たちは、一斉に羽ばたいて空へと飛び立った。
「何っ!? 今度は何が起こったの!?」
わたしが叫ぶと、雛たちは「クェークェー」と怯えた鳴き声をあげ、親鳥は翼を広げて「クィーーーッ!!」と威嚇するような声で鳴いた。
巣の縁から辺りを見回そうとしたとき、再び体にムズムズするような奇妙な感覚が走った。
「あっ……!」
わたしはその拍子にバランスを崩し、視界がぐらりと傾いた。
「きゃぁぁぁ——」
「クィーーーーーーッ」
「「「「「「「クェーーーーーーッ」」」」」」」
バキバキ、バキッ、ドサッ!
「——ぁぁ…………あ?」
枝葉に引っかかりながら落下したわたしは、尻もちをついて地面に座り込んでいた。
呆然としたまま、自分の体に目を向ける。服は葉っぱと土で汚れ、髪には小枝が絡まっている。腕や足にいくつか擦り傷はあったものの、動かしてみると骨折などの大怪我はないようだ。
「なんとか無事みたいね……」
立ち上がって巣を見上げると、高いところにあると思っていた巣は、実際には地上からせいぜい四、五メートルほどの位置にあった。
「良かった。元の大きさに戻ったわ」
ほっと安堵の息を吐き、このあとどうしようかと考えていたとき、背後に妙な気配を感じた。身構えつつ振り返ると、そこには見覚えのある大きな鏡が立っていた。
「えっ? これってイヴァールの部屋の鏡よね……? なんでこの鏡がこんなところに……?」
わたしがそうつぶやくと、鏡に映っていた森の景色がゆらゆらと揺れ、やがて一面が真っ白になった。その瞬間、鏡の中から不気味な手が伸びてきた。
「ぎゃぁぁぁぁぁ!!」
「クィーーーーーーッ!?」
「「「「「「「クェーーーーーーッ!?」」」」」」」
その手はわたしの腕を掴むと、容赦なく引っ張り、わたしを鏡の中へと引きずり込んだ。
冷たい感覚が一瞬体を駆け抜け、気がつくと、わたしは謝恩式典が行われている王城の大広間に、イヴァールに腕を掴まれた状態で立っていた。




