ワープだけは駄目だ!
払暁。
無論一睡もしていない。
そして一言も発していない。
俺達ニヴルも合衆国人もだ。
昨夜発生したモンスタースタンピード。
ここからでは確認出来ないが、それなりの規模らしい。
ノースタウン郊外の村落が被害を受けている最中とのこと。
幸か不幸か、俺達の視界内にモンスターは殆ど現れていない。
前方の合衆国軍が俺達の陣地が被害を受けない様にカットしてくれているからだ。
そして、その真偽を確かめる術はない。
「…。」
『…。』
眼前の合衆国伝令兵も俺も口を真一文字に結んだままである。
彼も俺同様に余計な言質を与えたくないのだろう。
「…。」
『…。』
今回のスタンピード。
どう考えても不自然である。
俺も異世界の生態にそこまで詳しい訳ではないが、交易約束日の夜に偶然発生するようなアクシデントとは思えない。
それも俺達が取引を一段落させて別動隊を帰還させた直後の変事。
害意ある計略と捉えるのが妥当であろう。
合衆国側を疑わない方が難しい
「ヒロヒコ、少しいいか?」
『ええ、大丈夫です。』
ヨルム戦士長との話し合いを終えたガルドに馬車内に招かれる。
伝令兵氏が不安そうな表情でチラ見して来るが、敢えて気づかないフリ。
「単刀直入に聞く。
今回のスタンピード、合衆国側の策だと思うか?」
『…普通に考えれば怪しいです。』
「直感で答えろ。」
『…一部の暴走。
仮に正規軍の計略だとしても、国家の総意ではない。』
無論、根拠は無い。
あくまで印象論。
確かに合衆国は国民感情としてドワーフを嫌ってはいる。
一部に即時排斥論者も居る事は確かだろう。
だが、嫌いつつもこちらの利用価値を探っているフシは感じた。
「なるほど。」
『あくまで俺の印象ですよ?』
「俺も戦士長も丁度半々だった。
合衆国に敵意があるか否かの話な。
よし当面は、こう考えよう。
【仮に作為だったとしても、精々一部の暴走】
だとな。」
『ちょっと待って下さいよ。
そんな重要な政治判断を俺なんかの勘に委ねてどうするんですか。』
「重要だからだ。
氏族の中で人間種はオマエ一人。
俺達以上に同種の機微は嗅ぎ分けれる筈だ。」
『…。』
「じゃあ、戦士長にその旨を伝えて来る。」
『…伝えてどうするんですか?』
「相手全体に悪意が無い前提での応対になるな。」
『いや、流石にそれは早計では…
万が一、合衆国全体が仕組んだ罠だった場合に詰みますよ。』
「でも、オマエはそうではないと直感した。」
『…はい。
仮に工作だったとしても、せいぜい課長クラスの仕業でしょう。
あくまで勘ですよ!』
ガルドは短く頷くと馬車を飛び出す。
俺は会話を何度も反芻し、先程の自分の所見が妥当であったかについて自問自答する。
もし見立てが間違っていた場合、氏族全体に致命傷を与えかねないからだ。
『…。』
ボーガンを握り締めたまま、馬車を出る。
伝令氏が不安そうな顔つきのままで、こちらを縋るように見ている。
あれが演技だとしたら天才だろうな。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
完全に日が昇った。
雲一つない快晴。
だが、眼下の光景は好ましくない。
何故なら、あの一面に輝くオレンジ色の光の正体を俺は知っているからだ。
【スライム】
ファンタジーなどでもおなじみのモンスターである。
粘液状あるいはゼリー状の体を持った原始的なモンスター。
概ね異世界漫画に登場する通りの生態。
問題は、スライムがドワーフにとって相性の悪い相手である事が、この異世界では一般常識として知られている点である。
もしもこの世界の住民に、「ドワーフにけしかける際に最も有効なモンスターは何か?」と問えば、十人中十人が「スライム」と答えるだろう。
【天婦羅とスイカは喰い合わせが悪い】くらい一般的に知られた話ではある。
別に戦闘力で劣る訳ではない。
現に俺はニヴルの男達がスライムを軽々と駆除する場面を何度も見ている。
ただ、スライムはその性質上、紛れてしまうと炉が落ちてしまうケースがある。
鍛冶種族のドワーフが忌避するのも無理はない。
なのでドワーフはスライムとの不用意な戦闘を避けるし、それを見た人間種が【ドワーフの弱点はスライム】と考え至ったのは自然の帰結である。
『親方、どうするんですか?』
「寄って来た分は駆除するよ。」
そしてガルドが一言吐き捨てる。
「…余計な仕事増やしやがって。」
スライムと交戦した者やその馬車は特別な点検項目を数点課せられる。
この一手間が嫌がられる原因である。
『親方!』
「…ああ、スマンな。」
ガルドが吐き捨てた言葉が聞こえたのだろう。
伝令氏が緊張した表情でこちらを窺っている。
結構距離があるが聞こえてしまったらしい。
『合衆国さんに言った訳ではないですよ。』
申し訳程度に補足するが、かえって気まずい雰囲気になる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
小一時間経ってモンスターの群れがいよいよこちらに進路を向けた。
それに伴い完全武装命令が下ったので、俺やエヴァも鎖帷子を着込む。
「モンスターに関しては問題ない。
あの程度は然程の脅威ではないんだ。」
各車に小走りで指示を与えて回っていたヨルム戦士長が俺に説明する。
そう。
モンスターに関しては問題ない。
問題は、これが合衆国の策略であった場合の話である。
・データ収集
・弱体化
・政治判断ミス狙い
・別作戦の陽動
・足止め
狙いは幾らでも考えられる。
隣に停車しているギョームは「帰還中の穀物車両が目的なのでは?」と疑っていたが、伝書鷹の定時連絡は今の所順調である。
「群れの先頭が合衆国軍にぶつかったぞ。」
弓隊の1人であるモージに耳打ちされる。
確かに彼の指す方向を見れば、軍列がやや乱れているように見える。
「なあ、トビタはどっちだと思う?」
『偶然かどうかって話ですよね?』
「うん、どう考えても怪しいからさ。
でも、その割にアイツらは気を遣っているように見えるし…」
『俺達をハメようとしている合衆国人が居たのかも知れません。
ただ、それは全体の一部なんじゃないでしょうか?』
「一部ってどれくらい一部?」
『…うーん。
軍隊や政府って諜報部署があるじゃないですか。』
「ニヴルにはないけどな。
まあ、人間種の話だよな。」
『その諜報機関の過激派が何かを仕掛けようとして…』
「うん。」
『今、こうやって合衆国側に阻止されてるんじゃないでしょうか。』
ここからでは遠くて分からないのだが、合衆国軍の左翼部隊が…
「『あ!』」
俺とモージが同時に声を上げる。
明らかにフォーメーションを崩された。
「トビタッ!
オマエは奥に下がれ。
いや、戦士長の指揮台に行け!」
そう俺に指示するとモージは長弓を握り締めて駆けだした。
他の者も同時に動いているので、もうそういう段階なのだろう。
素人目に見ても、モンスターの群れを合衆国側が防ぎきるのは難しそうだ。
いや、明らかに彼らの中に死者が出ている。
故意か事故か…
ますます判断が付かなくなった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「状況を報告させて下さい!」
新たに飛び込んで来た伝令兵に乞われたので、ヨルム戦士長の指揮台に是非を伺う。
『どうぞ。
戦士長がお話したいとのことです。』
「ありがとうございます!」
合衆国側の報告に俺も立ち会ったが大した内容では無かった。
・あのスタンピードは断じて作為的なものではない。
・但し客人来訪中の不手際を心底申し訳なく考えている。
・現状、モンスターの群れからブロックしている。
・だが、陣が破られつつある。
・離脱や迎撃などをして貰っても構わない。
・後日正式に謝罪させて欲しい。
以上。
まあ、概ねこんな所である。
「まあ、まずは目の前の問題に集中させて下さい。」
不要な言質を取らせない為か、ヨルムは最小限の返事で話を打ち切ってしまう。
形式的に伝令氏にお茶を出させて、申し訳程度の敵意が無いアピール。
「ブラッドウルフが突っ込んで来るぞ!!
多数ッ!!」
東側の部隊から叫び声が上がったので皆が乱戦モードに移行。
陣中の各所から剣戟音や怒号が聞こえる。
…もう半分戦場だな、ここ。
「申し訳ありません。
お願いばかりで恐縮なのですが。」
伝令氏が乗騎の保護を申し入れたので、厩舎の提供を承諾する。
ちゃんと帰ってくれないと、こちらも迷惑だからな。
伝令氏を連れて陣の中央に案内。
「トビタ殿、申し訳ありません。」
『いえいえ、この状況だとノースタウンにも戻れないでしょうし。』
「はい、一旦様子を見させて下さい。
落ち着き次第、すぐに退去しますので。」
馬を引く伝令氏とそんな遣り取りをしている最中だった。
「第2波多数ッ!!」
2人で顔を見合わせる。
ドワーフにしては声に焦りが混じっている。
あ、これ思っていたより遥かに…
俺がそう感じた瞬間に、隣で伝令氏の乗騎が跳ね上がる。
そして吹き飛ばされて転がる伝令氏。
『え?』
一瞬のことだった。
悲鳴を上げながら跳ね上げた後ろ脚には…
紅く大きな物体…
ブラッドウルフ!?
「ぐわあああッ!!」
一瞬、馬に気を取られた隙に、背後で伝令氏が激しい悲鳴を上げる。
彼の肩口に噛みついている紅い狼。
『中尉ッ!?』
反射的に護身刀で鞘ごと殴りつける。
殴ってから慌てて刀身を抜こうとするが、緊張と恐怖のあまり一瞬遅れる。
瞬間。
ブラッドウルフが敏捷に俺に向き直った。
『うッ!』
悲鳴を上げる間もなく、ブラッドウルフが俺に飛び掛かる。
まるでスローモーションのように狂暴な牙が開くのが見えた。
その名にそぐわず、牙も鮮血で染まっている。
ブラッドウルフとはよく言ったものである。
『おおおおおッ!!!』
寸前の所でワープしてしまう事を堪える。
キャラバンへの参加が決定した時から決めていた。
この旅でワープは使わない。
何故なら合衆国側に監視され続けている事が目に見えていたからだ。
『ぐわあああああああああああッ!!!』
右脚に強烈な痛み!!
ふくらはぎ!?
噛み折られた?
『ああああああああああああああッ!!!』
ワープさえ使えば一瞬で都内の救急病院に逃げ込める。
キャッシュは持っているので無保険診療でも問題はない。
『があああああああああああッ!!』
握り締めた護身刀をブラッドウルフに突き立て続ける事で、必死に意識を保つ。
先に襲われた伝令氏は失神しているように見えるし、周囲に合衆国側の人間は見当たらない気がする。
それでも、念には念を入れなくてはならない。
ワープ使いであるとバレたら、今まで起こった大小の事件を皆が一斉に再検証し始める。
俺が殺されるのは当然として、氏族にも相当なヘイトが向かうだろう。
それだけは避けなくてはならない。
そう。
ワープだけは駄目だ!
『うぐあああああッ!』
何とか保ち続けていた俺の意識は骨の折れる音がハッキリと聞こえた所で途切れた。
この話が面白いと思った方は★★★★★を押していただけると幸いです。
感想・レビュー・評価も頂けると嬉しいです。
この続きが気になると思った方はブックマークもよろしくお願いいたします。
【異世界複利】単行本1巻好評発売中。
https://www.amazon.co.jp/%E7%95%B0%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%A4%87%E5%88%A9-%E6%97%A5%E5%88%A91-%E3%81%A7%E5%A7%8B%E3%82%81%E3%82%8B%E8%BF%BD%E6%94%BE%E7%94%9F%E6%B4%BB-1-MF%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E5%B0%8F%E8%A5%BF-%E3%81%AB%E3%81%93/dp/4046844639




