幕間 ~元ネタ関連~
・名前および設定の元ネタ
・御鏡弥生
パソコンで普通に変換しても出てこない造語系苗字(つまりIMEに登録されていない)。
御鏡というのは鷲宮准と対になっているという意味を後付けしている。
旧プロット、現プロット共通で御鏡という苗字の意味は三種の神器の一つ、八咫鏡が元ネタとして存在する。弥生はそう云った時節名も良いかもと思ったという非常に安直な理由。
旧プロット版当時は鉄雄染みた超能力者が捨てた感情の一部が露出しているという意味があった。なお旧プロット版当時から下記二つの能力が存在しており、両方とも旧プロット版ラスボスに対抗する能力として設定していた物を設定其のままに今回の話に流用している。
旧プロット版竣工当時、能力とラスボスの次に作られた存在で、竣工当時の仮名称は『殺し屋ちゃんA』だった。また旧プロット版では“一万人にも及ぶ自身と全く同じ能力を使用するクローンを葛藤しながらも惨殺”し満身創痍の状態でラスボスと決闘後、渡辺明野救出依頼を受諾し渡辺明野を救出するという筋書きだった。空想科学戦艦伊吹の七話で登場したのは“空想科学戦艦伊吹以前に書き始められたはずなのに伊吹執筆中に永久凍結被害に遭った”旧プロット版の御鏡弥生。
なお旧プロット版執筆直前になってようやっと名前が決まったので個人的にはゲッター3ちゃんと呼んでいたのは余談(ゲッター3の系列は登場しない話が多かったりそもそも最後までデザインが全く決まらなかったりしたことで有名)。
・才能喰らいの簒奪王
意味を直訳すると再復讐のための能力。英語とフランス語とドイツ語が混ざってしっちゃかめっちゃかになってる。
旧プロット版竣工時には『能力を奪い取って使役できる能力って、使いこなせれば最強じゃね?』と考えたのかは忘れたがそんな感じで一番最初に作ったのがこの能力。
その後、この能力を使う主人公を定義するにあたりまず『超能力は所有者の内面を表すもの』と定義し、ここから飛躍し『他人の異常に強いアイデンティティを吸収しまくるということは、何かが欠落している』と主人公を定義した。
能力とそれに紐づけられる主人公像の定義後最初に完成系として作られたのがラスボスで、そのラスボスの設定が完了後にそこからいくらかの要素を抜いた劣化版ラスボスを設定。その劣化版ラスボスにはラスボスとは違う境遇(概ねこの設定資料集御鏡弥生の項目内容)を設定、仮名称として『殺し屋ちゃんA』と名付けた。それが御鏡弥生。
結局この能力とラスボスが決まっていざ内容を書こうというときになってようやっと主人公の名前が決まったというゲッター3的な出自がある。
・死刑執行人の断頭鎌
旧プロット版において上記の能力とラスボス、劣化版ラスボス『殺し屋ちゃんA』が決定後に追加でラスボスに対抗するための能力として設定された能力。それが何の因果化プロット再構成の折にラスボスの能力に設定し直される(能力の概要はヨハン・ライヒハートの項目と概ね同じ。覚醒プロセスだけが違う)。
名前の由来は実在した死刑執行人ヨハン・ライヒハートから。バイエルン王国で生まれ、帝政ドイツから第三帝国の滅亡後1974年まで生き抜いており、ニュルンベルク裁判では死刑判決の下されたナチ高官の多くを断頭台にかけた、執行人数人類史上最多の死刑執行人。
ギロチンを造ったとも俗に言われるが、立案はジョゼフ・ギヨタンであり、開発はトビアス・シュミットが行ったもので、熱心な王党派であったシャルル・アンリ・サンソン(公的なギロチンでの死刑執行数第二位)とルイ16世(この後サンソンに死刑執行されるとはつゆとも知らなかった)はそれの実用性を考察したもので、ヨハン・ライヒハートは無関係(どころか時代が違う)。
人類史上最多の死刑執行数をたたき出しており、シャルル・アンリ・サンソンが約2700人に対しヨハン・ライヒハートは3165人の公的記録を保持している。この人を鯖にしたら間違いなく星5アサ。
第三帝国ではナチスの死刑執行人として雇われており、占領地や本国で多数の死刑判決者の死刑を執行しており、ナチス崩壊後は一度非ナチ化政策の対象としてランツベルク収容所に収容。その後数度の裁判を経て『死刑執行人が死刑を執行していただけなので問題はない』『連合国の死刑執行人として再雇用させてください』という流れを経て連合国の死刑執行人としてナチス高官、WSSの指揮官や高官の多くを断頭台にかけ、ナチスと連合国と、場所を変えながらも人類史上最多の死刑執行数を記録することとなる。
ちなみにその息子は、父親の職業が死刑執行人であることから交際中の女性にはその事実を隠して交際していたが、結婚にまで話が及んだ際にその事実を告白。交際女性から『死刑執行人の息子とかキモイ死ねばいいのに』と云われて結婚話は破談。息子は失意のうちに自殺している。
・鷲宮准
鷲宮神社という実在の神社が名字の元ネタ。准は御鏡弥生に准じるという意味と、我々読者、引いては一般人に准じる、つまり『一般人という概念』に准じた存在であるというダブルミーニングの他にもう一つある(皆で考えてね)。
このため本編中の本人の思考だけを分析してみると(切羽詰まっているとき以外)意外と其処まで異常ではない。逆に普通過ぎて気持ち悪いくらい普通で凡庸。つまり、異常なまでに普通。
旧プロット版には彼女含む六人家族自体がそもそも存在しない。本作をプロットごと作り直すにあたりもう一人主人公を追加する目的で急遽立ち上げられた。このため設定資料集御鏡弥生の項を読めばわかると思うが、御鏡弥生が完璧超人過ぎるので鷲宮准と云う存在は本来必要ない(ただし御鏡弥生本人が完璧超人過ぎて話が面白くないため逆に作って良かったと思える一番お気に入りの主人公。婉曲的に永井先生へのリスペクトがある)。
また鷲宮准の能力も今回の話にプロットごと作り直すにあたって追加で作られた能力。元々の御鏡弥生の能力とは反対の能力として作成しているが、再構成当時はエナジードレイン一本で行く予定だった。ただそれでは堺境戦後に詰む可能性が高かったのとどうやって覚醒させるかで悩んだため“再定義した能力の一つがエナジードレイン”という風に変更された。このため1話と2.5話ではエナジードレインへの扱いが圧倒的に違う。
・才能再定義の贋作王
能力の名前はオペラのタイトル、カヴァレリア・ルスティカーナから。意味は田舎の騎士という意味。
田舎の騎士と云う意味から大体察せただろうが、鷲宮准及び本作への盛大な皮肉。また、本作の旧題も元々はこれだった。
タイトルとしては四種類用意しており
『才能再定義の贋作王 Cavalleria Rusticana』
若しくは
『才能再定義の贋作王 Concert is a No name』
または
『題名の無い音楽祭 Cavalleria Rusticana』
それか
『題名の無い音楽祭 Concert is a No name』
だったが、音楽用語が元はドイツ語とイタリア語が主であることと能力バトルよりも観念的な内容や人との関り方などを主題とする関係上、能力の名前をタイトルとするのはタイトル詐欺のような気がしたため最後の題名の無い音楽祭に決定。外国語部分のみドイツ語に変更した。外国語部分に関しては独語版・英語版共に同じ意味である。
また、御鏡弥生が覚醒することで能力名が変わったのに対してこちらは覚醒後も能力名は同じである。これは主人公が人間を辞めない選択をしたことへの皮肉であるということに気づけた人はどれだけいたことだろうか。
・鷲宮家の名前
嫁に入った各務原洋子を除き、鷲宮家の名前は大抵が一文字で読みが二文字から四文字で収まるように決められることが多い。
また鷲宮准の名前は以前もフワフワした名前だったようであることから、鷲宮准の以前の名前は大分絞られることになる。
・ドクトル・バタフライ
適当に付けたなんて言えない
旧プロット版当時は今とは真逆の立ち位置だった。と云うより劣化版ラスボスを製造したのちにラスボスを作り上げ、前座として劣化版ラスボス『殺し屋ちゃんA』と同等の性能のクローンを一万人造り嗾ける諸悪の根源だった(旧プロット版をそのまま流用している冒頭部分でヨハン・ライヒハートの暴走云々を叫んでいたのはこれ。話の進行の関係上今作では別の人間にされている)。
今作ではそのまま流用すると“どんな卑劣な手を使ってでも負けを認めず最終的に自爆するキチガイ”で扱いづらく、御鏡弥生のアイテムを集める前に詰む可能性が高かったのでちょっと奇麗になって貰った。奇麗にさせ過ぎた感はある。
・堺境
結界って境作る物じゃん? 境界ともいうじゃん? じゃあ名前は境でいいや。じゃあ姓はどうする?ってなって丁度見ていたつ~ば~から堺の字を貰い堺境。このため名前の読みはさかいはざまだが入力するときはさかいさかいと入力するだけで良い超簡単仕様。つまり本当のマジの本気で適当に付けた名前。
旧プロット版には未登場。今回のプロットに書き直すにあたり新規で立ち上げられたキャラクター。
・アウグスタ
神聖ローマ帝国皇帝一門の尊称であるアウグストゥス、若しくはアウグストの女性名詞であり、神聖ローマ皇帝一門の女性に与えられる尊称。つまり第一子が女児であったとしてもアウグスタ。ローマ皇帝に結婚した女性もアウグスタ。現在ではドイツ・オーストリア系の言語若しくはドイツ・オーストリア動揺にラテン語から派生した言語を持つ国における一般的な女性名詞。
転じて、プライドや高嶺の花などをイメージして命名。
四姉妹全員に共通することが、旧プロットには未登場。別の作品に登場させる予定で他の方の読者参加型企画に渡し、お流れになったのとその別の作品が書く前に凍結となったことからこちらに流用。
・ドッペルホルン
ドッペルはドイツ語で二つ、二重という意味。ホルンはドイツ語で角という意味。また楽器のホルンもここから命名されているらしい。
つまり単純に和訳すると二本角という意味。それ以上の意味はない。
・ヴォルケンシュタイン
ヴォルケはドイツ語で霧。シュタインは原則としてユダヤ人に多く見られる姓で、英語のRockやStoneという意味の同義語。スタインは英語読み。ステインはオランダ語読み。このためシナンジュ・スタインはシナンジュの原石という意味になる。
ただしアインシュタインやヴィトゲンシュタインやシュタインバーグ(ステインベルグ)やバーンスタイン(ベルンシュタイン)などの○○シュタインといった姓はドイツ人でもよく見られ、その多くはありふれた姓を地名姓風、つまり貴族のような尊称の混じった姓のようにする際によく用いられた。
例えばヴェルトハイムというよくあるユダヤ人姓にシュタインと付けるとフォン・ヴェルトハイムシュタインとなり、それだけでオーストリアのユダヤ人貴族のような称号のように見える、と云う物である。
・ザラシュストラ
名前の元ネタは拝火教の教祖ゾロアスターのアヴェスター語における読みであるザラシュストラ(若しくはザラスシュトラ)で、一般的によく知られるのはフリードリヒ・ニーチェの著作、ツァラトゥストラはかく語りきに登場するツァラトゥストラだと思う。
ツァラトゥストラはアヴェスター語におけるザラシュストラを羅語→独語訳したものであり、指している人物は同じであるが、ツァラトゥストラはかく語りきに登場するツァラトゥストラは厳密にいえばザラシュストラ本人の史実に沿ったものではなく、あくまでもニーチェの創作物における登場人物という側面とニーチェの展開する哲学『永劫回帰』や『超人』と云ったものをニーチェの代わりに彼の言葉として説教し、彼の物語として語るスポークスマン的役割である。
ゾロアスターがその役割に選ばれたのはゾロアスター教の教義における善悪二元論を彼がインド神話において事実上初めてそれを説いたことから『道徳の矛盾を誰よりも理解している人格のはずだ』という理由と、ゾロアスター教は誠実さを最も重視する宗教の為『真実を探求しそれによって得られた事実を遍く民衆に還元する誠実さも持っているはずだ』という非常に自分勝手に近い解釈から。
このため初期拝火教の教義やゾロアスター本人の思想とかそういったものとはほとんど関係ないため、あくまでもゾロアスターという実在の人物をモデルにしたフィクションである。
なおゾロアスター教(拝火教)が興ったのはイラン辺りであるが、信仰されている神はネパール・インド領域で信仰されているインド神話の神とほぼ同一である(骨子がイラン・インド共通時代のインド神話で、ヴィローチャナとほぼ同じ位置づけのアフラ・マズダを主神に据え、主神と教祖を一番上位に置いている)。しかしインド神話における“あまりにも多すぎて何が何やらよく分からない多くの神”は主神アフラ・マズダより一つ下の位置に落とされている。
なおアフラ・マズダはアスラ神族の一柱であり、アスラとアフラは語源的に完全に同一の言語。ゾロアスター教において悪神とされるダエーワはアスラ神族と敵対する関係にあったデーヴァのことであり、アフラ・マズダ自体の要素はどちらかと云えばアーディティア神群のヴァルナとミトラ、神としての性質自体はヴァルナを筆頭とするアスラ神族のヒンドゥー教などにおいて主神に位置しアスラ神族の王であるヴィローチャナがその性質の母体となっている。
なお勃興当初、アスラ神族の立ち位置はデーヴァ神族の王インドラに敵対する天空と司法を司る厳格な神であるが、次第に暗黒面を強調する経典や説話が増えて行くようになり、次第にデーヴァに敵対するヴァルナとその眷属という要素はなくなっていき、シヴァやヴィシュヌやブラフマーを主神とするようになった時代ではインド神話の全ての神の敵であり悪魔という立ち位置に収まっている。
なおこの時期になるとインドラの破壊衝動の具現であるヴリトラやジャランダーラなどのアスラ神族が敵対していた若しくは敵対する可能性のある神や精霊なども同一視されるようになり、神としてのアスラ族は完全に死んでいる。
なおこれとほぼ同時期に勃興するのが仏教で、中国に伝わる前は完全にインド神話の延長であったが、中国に伝わって以降は独特の世界観が中国で醸造された結果世界中に広がり、そちらが主流となるようになる。このため中国に伝わって以降世界中に中国を経由して伝わった仏教の教義はインド仏教とは乖離している部分や自己矛盾を発生させている部分が少なからず存在している。
ちなみにゾロアスター教はこの後仏教にもアブラハムの諸宗教ほぼ全てに影響を与えた概念がある。それが審判の日である。
というのも、ゾロアスター教は常に善人を擁するスプンタ・マンユと悪人を要するアンラ・マンユ(←Fateシリーズに登場するアンリ・マユの元ネタ)がこの世界が始まってからこの宗教が勃興しそして世界が終わる日まで戦争を続けている(つまり現代もその戦争の渦中である)。そして善人は善人ゆえに悪人が容易に取れる行動を取れず、悪人は世に憚り常にその勢力を伸ばし続けるが、必ず善人は最後の最後に勝つという内容。
正確に言えば、最初に生まれた二つの霊の片割れがアフラ・マズダ(スプンタ・マンユ)で、もう片方がアンラ・マンユで、世界を支配するために選び取った内容が二者で違ったため戦争は避けられないことを悟り、アフラ・マズダ(スプンタ・マンユ)は人間や動物植物大地などを創造し守護神たるスプンタ・マンユ(アフラ・マズダ)を創造し最高神の地位に就いた(最初の世界創造の時点で創造神兼最高神がスプンタ・マンユのはずなのに創造神を差し置いてアフラ・マズダが最高神についているため後世ではそれぞれ同一の存在として定義されたりズルワーン教などはその矛盾点を解消するために原初の創造神としてズルワーンと云う神格を生み出している)。
それに対してアンラ・マンユは同じように悪神の軍団を作り人間をかどわかして悪の道に引きずり込んだり病魔や疫病・海水を塩水に変えるなどの嫌がらせを敢行し順調に勢力を伸ばしており、この攻撃後、現在では悪人と善人が入り混じる混合の時代となってしまい、人間はこの戦争に否応なく参加させられる。
しかしなぜか同時期に生まれたアンラ・マンユには勝敗決定権がなく、またこの混合の時代において悪を選んだ人間や動植物らは分離の時代後にミトラ神による最後の審判ののちに“数的に圧倒的に悪側が優勢であったとしても無条件で敗北した扱いになり審判後には消滅させられる”という実はアフラ・マズダの方が結構横暴な内容だったりする。
対して善人側は善人であることを(どんな理由や利害が絡んでいたとしても)それその物が非常に価値のある決断であったということでミトラ神による最後の審判ののちには自分たちの善人の心が実体化した美少女神ダエーナーに連れられて天上楽土に至る。から混合の時代だけでもいいから良い子でいなさいという教義内容。
このため悪側はどう転んでも負ける未来しかないがそれでも戦い続けているという、一転して善人側が悪人に見えてくる類のライトノベルの内容にしやすい内容だったりする。善悪二元論を主軸としたキャラクター(例えばどんな些細な悪事でも見逃せないとか許せないとか宣う系のキャラクター)を作るときに非常にその精神構造を精密に設定することが出来る、というよりも“しやすい”ので一度ゾロアスター教など調べてみるのをお勧めする。




