27.協力してください
拾われたのは、五歳の時だった。
私はそれまで腐るほどいる孤児の一人で、だけど孤児院に保護されることもなく、路上で生活をしていた。その時のことは正直に言ってあまり憶えていない。満足に食事がとれなかったからか、頭には常に靄がかかっていたし、そもそもあまり生きようとも思っていなかったので、何かを覚えておこうとも特に思っていなかったからだ。
ただ、飢えるのは苦しいから、死ぬのは痛そうだから、私は生きていたに過ぎない。
人生の希望も特になく、誰からも必要とされない人生。
私は、それがこれからもずっと続くものだと思っていた。
――だから、その誘いが降ってきたときは、とても驚いた。
『仕事をする気はないか? とある少女の世話をする仕事だ。仕事をしてくれるのならば、生活は保障しよう。ただし、これにうなずけば、君の命は私たちのものだ』
どうして誘いに頷いたのかは、今でもわからない。きっと、生きるための選択だった。
王家の使者と名乗った男は、私を大きな屋敷に連れて行き、身体を洗い、綺麗な服を着せて、満足のいく食事を与えた。
その上でたくさんの教育を受けさせた。
文字の読み書きや計算。一般常識や社会的なマナー、さらには芸術や音楽、歴史や地理に至るまで。その上で、少女を守るための方法もたくさん教え込まれた。武術や体術。変装の仕方や声色の変え方……。
そうして私は、少女のためだけの人間となった。
その少女にあったのは最初に拾われてから二年後。私は、七歳になっていた。
シェリルと呼ばれている少女は、そのときからもう白亜の塔に閉じ込められていた。彼女に与えられるのはたくさんの本と食事のみ。彼女はもうその頃から文字がある程度読めていたので、今とあまり変わらないような本をひたすら読まされていた。
私の仕事は、シェリル様の世話と監視。
それと、いざというときは身を挺して彼女を守ることを言い含められていた。
私は、できるだけ丁寧に、教えられたとおりに仕事をした。
その頃にはもう、どうして孤児であった自分がここに雇われることになったのかわかっていた。私は殺しても足がつかない人間だから雇われたのだ。何か問題があった時に、いつでも口を封じられるように。
それぐらい彼女の能力は、ほかの国に知られてはいけないもので。
それぐらい私は、いつでも替えが効く人間だった。
私は生きるために彼女を敬い、彼女に尽くした。
特に命令にはなかったけれど、彼女の話し相手にもなった。
誰からも必要とされている彼女と、誰からも必要とされていない私。
そんな二人が談笑する姿は、端から見るとなんとも滑稽な姿だったにちがいない。
そんな生活が三年ほど続いたある日、事件は起こった。
ちょうど、 塔の三階にある部屋の窓を掃除していた時だ。私は窓の桟に腰掛けるようにしながら、身を乗り出して窓の外側をふいていた。そんな危険な作業をしながらも、私はどこかぼんやりとしていた。そのときになってもなお、私はずっと無気力で、感情が乏しくて、ずっといつ死んでも良いと思っていたからだ。
だから――
『サシャ!』
そんな風に名前を呼ばれるまで、私は自分が窓から落ちそうになっていることに気がつかなかった。
『――っ!』
宙を掻いたのは一度きり。けれど、その一度だけで、私は全てを諦めてしまった。生きることを放棄してしまった。
(だって私は、誰からも必要とされていない)
空に手を伸ばしたわけじゃなかった。単に身体の方が先に地面に向かってしまっただけ。だからまさか、置いていかれた手を掴む人間がいるだなんて思わなかった。
『サシャ!』
『――シェリル様!?』
彼女は私の手首を必死の形相で握っていた。反対側の手は窓枠を握り、自分の身体ごと落ちてしまわないように力を入れている。それでも彼女一人で私の身体を支えられるわけがなく、ずりずりと私に引きずられるように窓から身を乗り出していく
『シェリル様、離してください! 一緒に落ちてしまいます!』
『嫌よ。絶対に離さない!』
『シェリル様!』
『だって、私にはサシャしか居ないもの!』
その言葉にはっとさせられた。
幼い頃から彼女はずっとここで一人本を読んでいる。本を読むためだけに生かされていて、本を読むためだけに世話をされている。サシャ以外の人間が彼女に会いに来るのは、能力が必要になったときだけ。それ以外はまるで忘れ去られたように放置されている。
確かに彼女は私と違って必要とされている。必要とされているけれど――
『サシャがいなくなったら、私は寂しいもの!』
(寂しい……?)
そうだ寂しかったのだ。
私はこのとき唐突に理解をした。私は寂しかった。私はずっと寂しかった。
誰からも必要とされていないことが。死んでも良いと思われていることが。私の代わりがいることが。だから、だから、だから――
『……私にもシェリル様しかいませんよ』
結局その後、私たちは二人で窓から落ちてしまった。幸いなことに下には生け垣があり、それがクッションになって、二人ともほとんど無傷だった。私は上の人間に叱られることになってしまったけれど、それも結局彼女が庇って、お咎めはなしということになった。でも、何も変化が無いわけじゃなかった。元に戻ったわけじゃなかった。
以来、私は私を必要としてくれるたった一人の彼女のために生きるようになった。
きっと一生ここから出られずに、本を読むだけの人生を送るだろうシェリル様が、今後も楽しく過ごせるように、心を砕くようになった。
彼女とここで朽ちる覚悟をしていた。
なのに――
『もしかして私、オルテガルドにお嫁に出されるんでしょうか?』
『どうやら私、三ヶ月後に死んでしまうらしいわね。それも、オルテガルドで』
思いも寄らなかった方向から、彼女の結婚が決まってしまった。
どういうことかと国王に掛け合えば、いつも彼の隣にいる隣国の呪術師が口を開いた。
『仕方がないでしょう? 国王様には人質に出せるような姫はいませんし、王族に連なる女性も結婚をしていないのはシェリル様だけです。なによりシェリル様を差し出すのはオルテガルドのたっての希望ですから』
三年前に彼が――呪術師、イアン・キルシュが来て、国王は変わってしまった。
シェリル様への処遇は昔から良いとは言えなかったけれど、それでもかつては、聡明な王だったのに、今は何かで脅されているかのように呪術師の意見に従っている。傀儡と言っても良いかもしれない。あの無謀なオルテガルドとの戦争も、彼が裏で糸を引いているということはわかっていた。みんなわかっていた。
だから私は、呪術師のことが嫌いだった。
正直、戦争なんて好きにすれば良いけれど、きっといずれそれらはシェリル様を飲み込むだろうから。
けれど、人心掌握術に長けている呪術師は、植物の根が広がるように次第に勢力を伸ばしていった。権力の中枢にいる人間も兵士も段々と彼に心酔していっている。兵士に至っては戦争で討ち取った敵将の遺体を持ち帰り、それを見せることにより兵士たちの士気を上げる……なんて下品な事まではやり始めていた。
それらの悪しき流行りもイアンがエルヴィシアに持ってきたものの一つだった。
そんなイアンの隣で、国王はまるで腹話術の人形ように、彼の言葉をその喉と声帯を使って私に伝えた。
『大丈夫だ。シェリルをかの国にやる気はない。折を見てシェリルを連れ戻せ。お前だって、シェリルがオルテガルドで酷い扱いを受けるのは耐えられないだろう? 国境沿いの村か街にまで来れば、迎えをやる。そこまでシェリルを連れてこい』
それでも最初は迷っていた。シェリル様が死ぬ予言はあったけれど、それでも彼女はオルテガルドに来て幸せそうだったし、彼女の相手も、なんだかんだ言って彼女に絆されているように見えたから。それに、あの国に戻ってもシェリル様が幸せにならないだろう事はわかっていた。正直なところ、シェリル様が知らないところで彼女はどん詰まりなのだ。どこに行っても確実な幸せなんてものは手に入らない。
けれど、彼らのことを探っていく中で――
『それにほら、放置していて殺す前に逃げられても困るでしょ?』
そんな言葉を聞いてしまっては、もう無理だった。
私は覚悟を決めた。決めるしかなかった。
(けれど結局、私はシェリル様を逃がせずここにいる)
この部屋に監禁されている状態で、私になにが出来るだろう。
見据える先には、黒髪の青年。
いけ好かない。彼女を殺すだろう男。
(でも――)
頼るならば彼しかいなかった。
「私が知っていることは全て話します。だから、貴方が少しでもシェリル様命を救いたいと思っているのなら協力してください」
ルークを見つめながら、私はそう希った。
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