26.黒いフードの男の正体
それから各々自由な時間を過ごした。
といっても読み物しかないこの空間では、自然とやることは限られる。
シェリルは粛々と本を読み、ルークは黙々と手紙を読む。
少し離れた場所でひたすら手紙に目を通すルークを、シェリルはそっと盗み見た。
(まさか、ナタリーのお兄様が、ルーク様だったなんて……)
正直に言ってしまえば、ナタリーが死んでいるかもしれないことはもう予想していたし、覚悟もしていた。あんな手紙をもらっておいて、三年間も手紙が途絶えておいて、そこまで思い至らないやつはいない。手紙をもらったときに散々泣いて、それから一年経って手紙が届かないことにまた泣いた。
だから、それはいい。全然良くはないが、ルークのことを考えれば断然いい。
だって、きっとルークの方がシェリルよりも辛いはずだから。
(だから、今は――)
ルークの心があの手紙で少しでも軽くなることを祈るばかりだった。
シェリルはルークに噛まれた肩の付け根を撫でる。もう痛くないはずのそこは、なぜかじんじんと熱を持っているようだった。けれど、それが嫌ではない。嫌ではないことが、なによりも驚きだった。
(むしろ――)
「シェリル」
「は、はい!」
思考を遮るようにいきなり名前を呼ばれ、シェリルは脊髄反射の勢いでそう返事をしつつ立ち上がった。
シェリルの名前を呼んだのはもちろんルークで、彼女の過剰な反応に苦笑を浮かべている。
「ねぇ。そろそろいい時間だろうし、外に出てみない?」
「そ、そうですね」
ここに来てから体感時間で三時間ほどが経っていた。あの小屋を飲み込んだ土砂もそろそろ落ち着いているだろう。そこまでの規模でなかったから心配いらないとは思うが、街へ流れ込んでいる可能性もゼロではないし、どちらにせよここら辺りで現実に戻った方がいい。
「ルーク様はお手紙全部読めましたか?」
「んーん。今全部読んじゃうのはもったいない気がしてね。でも、また読みたいからまたここ来てもいい?」
「もちろんです!」
それから二人は扉の前に立った。妙に緊張しているのはその扉がどこに通じるかわからないからだ。
「これ、開けて土の中とかだったらどうしましょう」
「まぁ、それはそのとき考えるしかないね」
怯えるシェリルを背後に、ルークがドアノブを握る。
「それじゃ、開けるよ」
「はい!」
そうして扉を開けた先で最初に見たのは――
「シャンデリア?」
そこは部屋の中だった。しかも、シェリルにはすごく見覚えのある部屋。
「ここ、私が借りているお部屋です」
そこはロースベルグにあるヴァレンティノ別邸。そこにあるシェリルの部屋だった。
二人は扉から出て振り返る。彼女たちが出てきたのは、クローゼットの扉で、シェリルはここにいるとき、ずっとそこを無限書庫への扉として使っていた。
「なるほど、直前で使っていた扉が壊れると、その前に使っていた扉に通じるわけね」
ルークが冷静にそんな分析をした瞬間だった。今度は部屋の方の扉がひらいた。
「さすがにこんなところには――って、いた!」
声を上げたのはエリックだった。その後ろには心配顔のサシャもいる。
二人はすぐさまシェリルたちに駆け寄ってきた。
「なんでこんなところにいるんですか!? 長らく帰ってこないから、心配していたんですよ!? 山の方では土砂が流れたともききましたし! 巻き込まれたのかと! ……というか、なんて格好をしているんですか!?」
上半身裸のルークと、男性もののシャツを着ただけのシェリルに、エリックは怪訝そうな顔になった痕、わずかに頬を赤らめた。
「もしかして――」
「あー、違う、違う。ちょっと雨宿りしていたら土砂に巻き込まれそうになってね」
「はぁ!? 意味がわかりませんが。というか、今までどこにいたんですか!? 一時間前にこの部屋を訪ねたときは誰もおられませんでしたよね!?」
エリックがあからさまに不審がるような声を出し、シェリルはルークを見上げた。
そして、顔を青くさせる。
(ルーク様に口止めを忘れていました!)
無限書庫のことを言わないで欲しいとお願いするのを忘れていた。
シェリルは慌てたように「あ、あの!」と声を上げる。
しかし、ルークはその声を無視してエリクと話す。
「さっき着いたんだよ。実は、シェリルと森で話をしていたんだけど、途中で雨が降り出しちゃってね。それで雨宿りしていた小屋に土砂が押し寄せてきて。……で、命からがら避難して、ようやくさっきここまでもどってきたって感じ」
「え?」
シェリルが呆けた声を出すと、ルークは内緒だというように口元に人差し指を当てる。
「それにしては長くお外におられたんですね。その格好で」
「雨脚が弱まるまで見つけた洞窟の中にいたからねー」
「それならそれで、どうして屋敷に入る前に教えてくださらなかったんですか!? 心配して二人で探し回っていたんですよ!?」
「だって、シェリル、こんな格好だったんだよ? 他の人に見せるのさすがに可哀想でしょ?」
「それは……確かにそうですね」
エリックはシェリルの姿を見て渋い顔になった。
「心配をかけちゃったのは悪かったよ。でも、今回は仕方がなかったってコトで」
「はぁ、わかりましたよ。とりあえず、その格好は見苦しいので、湯に浸かってから着替えてください」
「はいはい」
「シェリル様もですよ」
「あ、はい!」
エリックとルークはそのままシェリルの部屋から出て行こうとする。
シェリルはとっさにルークの袖を引っ張った。
「あ、あの、ルーク様」
「誰にも言わないから、安心していいよ」
「え?」
「俺もまだ手紙見せてもらいたいからね」
ルークはそうささやいた後、「じゃぁね」と手を振って部屋から出て行った。
..◆◇◆
二日後――
「んじゃ、そこに柵をたてて。あ、そっちはだめだめ!」
「おーい! 木材が足りねぇぞ!」
「誰かこっち支えてくれ!」
そこには元気に柵を作る鉱夫たちの姿があった。
あれから専門家にも来てもらい、今回の川の汚染の原因が汚泥症だという結論になった。汚泥症の原因はもともと病気にかかったドブネズミで、それらが農場の家畜に病気を感染させ、その家畜の糞や尿が混じった土が半年前の土砂災害で川に流れ込んだ事による感染症だという事がわかったのだ。
なので、今後は川の周りに柵をたてて家畜が安易に川に入らないようにし、川は今後一年間は使わないことになった。
同時に土砂に対する対策もしていくという。
汚泥症など聞いたことがなかった鉱夫たちは、最初ルークの説明に怪訝な顔をしていたが、これまでに起こった鉱山の排水による健康被害と、今回起こった健康被害の違いをシェリルが持っていた本を使って説明したところ、なんとか了承してくれた。
その上、彼らの嘆願書は半年間無視したわけではなく届いてなかった旨を説明。それでも気づくべきだったとルークが頭を下げれば、彼らの中にも国の対応に疑問を持っていた人間がいたらしく、無事和解に至る事が出来た。
――で、今である。
元々身体を動かすのが得意な人たちの集まりだからだろう。川の周りの柵は思った以上の早さで出来つつあった。
シェリルはそんな彼らを離れたところから見守っていた。
視線の先には全体の作業を確認しているルークの姿がある。
そんな彼を見ていると、二日前のことが思い出され、頬が熱くなった。
(少しは、ルーク様と仲良くなれましたかね)
二日前の無限書庫でのふれあいは、これまでのものとはまた別で特別なような気がした。今まで知らなかったルークの内面を垣間見ることができたような気がするし、単純に距離も近かったように思う。ルークを慰めようとして抱きしめたのは、今考えると失敗したかもしれないとは思うが、それでも後悔はなかった。あのときのシェリルはそれが最善だと思っていたし、ルークもそれを受け入れてくれたからだ。
(ただ、すごく恥ずかしかったですけど……)
そのときのことを思い出しながら頬を染めていると、隣にいるサシャが口を開いた。
「まったく、シェリル様は、私に心配ばかりかけますね。まさかルーク様と二人で土砂に巻き込まれそうになっていたと思いもしませんでしたよ」
サシャの言葉にシェリルは素直に「すみません」と謝った。サシャはエリックと共に相当シェリルの事を探してくれていたようで、帰ってきたシェリルを見てこれでもかと胸を撫でおろしていた。
「心配させてしまいましたよね」
「まぁ、別にそれはいいんですよ。無事に帰ってきてくださったんですから。ですが、ルーク様に力のことがバレたというのは本当ですか?」
「えぇ、ごめんなさい。必要にかられて……」
「いいえ、とっさの判断にしては素晴らしかったです。ただ、今後が問題ですね……」
渋い顔をするサシャにシェリルは「今後?」と首をかしげる。
「でも、ルーク様は黙っていると仰ってくださいました!」
「どこまで本当かわかりませんよ、そんなもの。シェリル様にはわからないかもしれませんが、ああいう手合いは息を吸うように嘘をつくんですよ」
「そんなこと――」
「わかりますよ。私も同じ穴の狢ですからね」
その言葉には今までに感じたことのない冷たさがあった。シェリルに向かっているというよりはサシャ自身に向かっているその冷たさに、シェリルは自然と息を呑んだ。
「でも……」
「でも、だからこそ、あの人が揺れ動いているのもわかっているつもりですよ」
ささやきのように放たれたサシャの低い声に、なぜだか昨日の黒いフードの男を思い出した。エルヴィシアからきただろう、シェリルのことを取り戻そうとした刺客。そのことをサシャに共有するのを忘れていたシェリルは彼女の袖をついついと引っ張った。
「サシャ。そういえば私が土砂に巻き込まれた日の晩の話なのですけれど――」
「シェリル、ちょっと良い?」
シェリルの言葉を遮るように彼女の事を呼んだのはルークだった。
ルークは何やらシェリルに用事があるようで、少し離れた場所からシェリルの事を手招きしている。
シェリルは今までになったルークの行動に何事かと目を瞬かせたあと、「ちょっと行ってきますね」とサシャに声をかけた。そうして、彼女のそばを離れる。
シェリルはルークのそばまで行くと、彼を見上げた。
「どうかしましたか?」
ルークはその言葉になにを答えることもなく、シェリルの手首を掴んだ。
それを合図とするように背後の人の気配が増した。
振り返ると、サシャがルークの兵士たちに囲まれている。
微動だにしないサシャに、いつの間にか側にいたエリックが冷たくこう告げた。
「サシャ・アルサン。エルヴィシアからのスパイ容疑で拘束させていただきます」
「え?」
驚くシェリルにルークが声を落とす。
「サシャが君を連れ去ろうとした張本人。黒いフードの男の正体だよ」
優しさも感じられるようなその言葉に、シェリルは驚いて声も出せなかった。
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