25.シェリルは俺の花嫁サンでしょ?
投稿予約のストックが切れていることに気がついていませんでした。
二日間、すみませんでした。
『シェリルへ
久しぶりね。最近、お手紙がなかなか返せなくてごめんなさい。
少し忙しくしていて、手紙を書く時間が取れなかったの。
シェリルはどうしていたかしら? 元気にしていた?
また面白い本をたくさん見つけたかしら?
シェリルと文通を初めてそろそろ三年になるわね。
これまで私といろんなやりとりをしてくれてありがとう。
でも、ごめんなさい。
もしかしたら、しばらくお手紙のお返事が出来ないかもしれないの。
少し頑張らないといけない事が出来てしまってね。お兄様ならやめとけって言うのかもしれないけれど、でももう決めてしまったことだから。
だから、少しだけお休みさせてね。必ず、またこちらからお手紙を書くから。
でも、でも……もしかしたら、もうお手紙は書けないかもしれない。
そうなったら、ごめんなさいね。
必ず帰ってくるつもりではあるのだけれど、もしもってことがあるものね。
ねぇ、シェリル。
もし、この手紙が私からの最後の手紙になってしまって、その上でなにか奇跡が起きて貴女がお兄様に会うことがあったら、こう伝えてくれるかしら。
お兄様はなにも気に病まなくてもいい、って。
いつまでも大好きよ、愛しているわ、って。
お兄様は優しい人だから、きっと気に病んでしまうと思うの。
でも、これは私が決めたことで、私が私の責任でやることだから。
これから私にどんな未来が来ようと、私以外の誰のせいでもないの。
ごめんなさいね、こんなことを頼んで。でも、貴女にしか頼れないの。
今の私は強くあらないといけないから。
そうでなくては、みんなを不安にさせてしまうから。
またね、シェリル。
再び貴女に手紙を書くのを楽しみにしているわ。
ナタリア』
もうどうしようもないほどに、そこにいたのはナタリアだった。
それはナタリアの筆跡で、ナタリアが書きそうな文章で、ナタリアが最期に残しそうな言葉だった。流れるような、それでいて少し角のある筆運び。万年筆のインクも彼女のお気に入りのもので、手紙に残った折り目も彼女の几帳面で丁寧な性格が表れている。
(もしかして、ナタリーは全部わかっていたのかな)
自分が死んでしまうことも、シェリルがいずれこの国に来ることも、そしてシェリルとルークが出会うことも。……いや、そんなことあり得ないとわかっている。冷静な頭では理解している。でもそうでも思っていないと、こんな偶然受け入れられなかった。
(だって、こんな――)
自分に都合の良いことばかり並べられた手紙が、今更届くなんて……
許してもらおうと思ったことはない。許されたいとも思っていない。自分はそれだけのことをしたと思っていたし、誰がなんと言おうと事実だけは足下に横たわっていたから、それで良いと思っていた。
それでもこの手紙に心がゆれ動いてしまうのは、あの自分より聡明で、自分よりも優しくて、自分よりも生き残るべきだった妹が、最期に自分の事を恨んで死んだと思いたくなかったからなのかもしれない。
(いやもう、ただ単純に――)
嫌だったのだろう。小難しい事は抜きにして、きっと自分は妹に恨まれたくなかった。
許してもらおうとも、許されたいとも思ってないけど、嫌だった。
だから、この手紙にいろんなものが掬われて、救われたのだ。
「ルーク様、大丈夫ですか?」
ピクリとも動かなくなったルークのことを心配したのだろう、シェリルがそう声をかけてくれる。でも、なにも答える気にもなれなくて、ルークは黙ったまま手紙を見下ろしていた。
声が、言葉が何もかも遠い――。
だけど、次に届いたのは声じゃなかった。
ふわりと香る甘い香りと、身体を包み込む確かな体温。
シェリルに抱きしめられていると気がついたのは、一拍遅れてからだった。彼女はルークの事を抱きしめながら背中を撫でている。ぽんぽんとまるで慰めるように時折背中を叩かれて、段々と遠かった現実が側に戻ってくる。
「……これも本で読んだの?」
現実に戻った瞬間、軽い口から言葉がするりと出てきて、同時に自分のひねくれ具合に嫌気がさした。シェリルはただ励ましてくれているだけだ。そこに『ルークを籠絡するために』みたいな下心なんてものはない。彼女はそういう事に、とっさに頭が回る子じゃない。
そうわかっているのに口が滑ったのは、きっと心が動いてしまったからだ。動かないと決めた心が動いてしまったところを見てしまったから。気がつけば心は結構動いていて、直視する気にも注視する気にもなれない。
ルークの質問にシェリルは少し固まった後、「はい!」と元気よく返事をした。
「『決定版! 赤ちゃんを泣き止ませる方法一〇〇選』に書いてありました!」
「赤ちゃん?」
「はい、赤ちゃん!」
笑った。
思わずといった感じで、笑ってしまった。どうして、こう、彼女は面白いのだろうか。
「俺、赤ちゃんでもないし、泣いてもないんだけど」
「す、すみません! ……でも、なんだかちょっと泣きそうだなと思ってしまったので」
「……そう? 俺、そんなに泣きそうだった?」
「泣きそうに、見えました」
正直に首肯したシェリルの背中に、ルークは一瞬だけ迷って手を回す。
「そっか。んじゃ、お言葉に甘えて泣き止ませてもらおうかな」
「はい! トントンしていたら良いですか?」
「ふっ。しなくていいよ。……とりあえず、しばらくこうしていて」
「はい」
シェリルはルークの背中を優しく撫でる。
甘えている自覚はあった。甘えているし、甘やかされている。
誰かにこうやって抱きしめられるのも、甘やかされるのも、子供の時以来だった。
だからだろうか――
「助けに行けば良かったな」
そんな弱音が零れてしまったのは。
「ルーク様?」
「やっぱり助けに行けば良かったな。……なんで俺、助けに行かなかったかなぁ」
ルークの弱音をシェリルは黙って聞いていた。もしかしたら返す言葉を見つけられなかっただけかもしれないが、ただただ垂れ流していたかったルークにとって、それはとてもありがたかった。
「たった二人だけの家族だったのに」
どこにもいけない感情は溜息と共に唇から零れた。
それからしばらくそのままだった。
外を見る窓も時計もない空間で、時間感覚は曖昧。けれど、落ち着くぐらいの時間は消費して。そうしてようやく頭がいつものように回り始めた。
(悪いことしたな)
未だ彼女を抱きしめたまま、そう思う。
先ほどまでは気がつかなかったけれど、シェリルの身体は強ばっている。怯えているのか、怖がっているのか、恥ずかしがっているのかはわからない。しかも、時折かすかな震えも感じるのだ。その震えは小動物のそれで、なんというかぎゅっとしたくなった。痛みを与えたいわけではないのに、頬を抓ってしまいたくなる。背中に回す腕の力を意味もなく強くしたくなる。
(なんでこう、いじめたくなるかな――)
ルークは、かろうじて衝動を堪えた。――堪えた、のに。
なのに、目の前に白い首筋があるのがいけなかった。肩が見えるのがいけなかった。
気がついたら、広い襟ぐりの隙間から彼女の肩を――
「痛い痛い痛い痛い!」
びっくりしたのだろう。痕もつかないぐらいに軽く噛んだだけなのにこの反応だった。
ルークは腹を抱えて笑う。シェリルの反応が面白かったからだ。
シェリルは噛まれた肩を押さえながら、まるで信じられないものを見るような面持ちでこちらを見ている。それがまた、じわじわとルークのぎゅっとしたい欲を刺激した。
「ひ、ひどいです!」
「ごめん、ごめん。でもさ、ほら、可愛くて、つい」
「か、可愛くて……?」
「つまり、こんな格好で男を抱きしめちゃダメだよってこと」
脳を通していない自分の口から飛び出た言葉に、あぁそうだ、と、色々気づかされた。
「いい子だから、他の男にこんなことしちゃダメだよ? もっと酷いことや痛いことされちゃうからね?」
彼女が他の男に同じ事をしたら嫌だなと思ってしまった。
優しい言葉で慰めて。無防備な格好で抱きしめて。背中を撫でて。
そんなことされたら、その先を期待する奴だっているだろう。行為ではなく、もうその期待そのものが嫌だった。頭にでも登らせたくなかった。
ルークはそこまで思い至るに使った感情を全部無視して、わざと見ないふりをして、シェリルに顔を寄せる。
「わかった? シェリルは俺の花嫁サンでしょ?」
「……わかりました」
頬を染めながら頷いた彼女の肌に、なぜかまた歯を突き立てたくなった。
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