第十五話 次郎三郎の放逐
いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。
楽しんでいただけると幸いです。
また、いつも誤字報告をしてくださる皆様、とても助かっております。自身でも確認はしておりますが、また間違うこともあるかと思います。その時はよろしくお願い致します。(ただし、誤字報告だけで、お願いします。)
なお、送り仮名は、どちらでも良い場合は、分かりやすくする為、多めになっている事がありますが、誤字では無い事もあります。誤字の場合は修正し、誤字じゃない場合は、ルビで対応しようと思います。
天文九年八月、私は安祥城に戻ってきた。三河衆には悪いが、ようやく松平次郎三郎の放逐を伝えられる。二ヶ月も待たされて、三河衆はやきもきしていたかもしれん。遅くなった理由はそれなりにある。本来なら、七月半ばには安祥城に入れていたが、「そう言えば、信虎追放ってそろそろじゃなかったっけ?」と勘違いしてしまったのが運の尽き。
間に合わない可能性もあったが、幾人かの忍び衆と大峰衆を連れて、甲斐・駿河の国境を目指す事にした。そして、遠江山中でウロウロしている信虎を発見してしまった。どうやら追放されたのは、致し方無しと諦めたが、すぐに婿義元を頼るのは矜持が許さぬと、一目安祥城を見てからと思って三河に向かっていたらしい。「どうせ見たいなら中から見ないか」と大胆に誘えば、流石は大人の貫禄、ガハハと笑いながらついてきてくれた。
十日ほどかけて安祥城に到着すると、あちこち見て回るという信虎をまだ街ができておらんから、何か食べたくなったら三村のどれかに向かうように伝え、銭さえ払えばなんでも食えるからと、銭一貫を渡す。「剛毅よの」とガハハと笑いながら歩いて行った。
私は私で、武家湯殿にて旅塵を払い、館にて正装に着替えると天守に向かう。それから、武家屋敷に仮住まいしている三河衆と別館にて虜囚のままの次郎三郎を呼び出した。次郎三郎は普段、縄打たれてはいない。しかし、此度は処遇を決める評議だ。その後論功行賞、そして今後の方針を決める大評定を行うのだ。
一刻の後、全員が揃った。天守の間の全体は相当広い。座して伏せれば、三千人弱は座れる。イメージは前世の入社式で使われた某ホテルの天守の間そのままだ。普段は襖で仕切って、五室に分けて使う。今回はそのまま大評定になるので三室を使う。
上間一間の最上座に私が座る。上間の後半分は家老となる佐久間大学が向かって左側筆頭に座し、正面反対側に軍師勘助が座る。佐久間の列に津々木・塚原・浅井・工藤長門と武闘派が並び、勘助の列に宇駿・林・工藤源左ら文治派が並ぶ。こう見ると直臣が少ない。服部ら忍び衆は遠慮してこの場に入ってこなかった。天井やら床下やらそこかしこにはいる。床下と言っても、ここは平家ではないので、下層の部屋の天井裏なのだが。
続いて中間、ここは内応した五十六家が左右に二十八家ずつ三列に並んでいる。初めて会った時に三河統治後の身分について、だいぶ強く諭したのが効いているらしい。まぁ、小五郎たちは脅迫だったと宣っていたので、お仕置きはしておいた。清康を知る世代は小五郎たち曰く、「最盛期の善徳院より怖かった」とも言っていたらしい。だから小五郎たちと謀って、飴になるかは不明だが、直臣の芽もあると伝えてある。上和田忠倫や酒井忠尚らが率先して、五十六家の融和を促進させたようだった。
さいごに下間は、虜囚から家臣化した者たち。この者らは、直臣とは言わないが、領地の一時預かりとさせてもらう。その間、三ヶ月から半年ほどの研修期間に入る。近代式軍事訓練に強制参加だ。これには、現在の直臣たちは全員参加しているし、忍び衆たちは身近にいる時は、短期間だが参加している。勿論、前の五十六家も時期はずらすが参加だ。五十六家は適性を見る為のもので、強制ではないし、途中退場を認めている。どちらにせよ、年に一度兵役と称した十日または一ヶ月の研修に参加しなければならないので、今のうちに参加して慣れて貰わねばならない。しかし、下間の者たちは、最低三ヶ月は途中退場無しだ。
さて、次郎三郎の放逐を始めようか。
「皆にまずは詫びねばならぬ。遅れてすまなんだ。」
「何を仰せになられます。我らが無理を言ったばかりに、大殿や武衛さまに許可をお取りになられたと聞きます。嘆願が通るならば、何ヶ月でも待ちましょうぞ。」
「流石は三河を代表する剛の者よ。平八郎、いや家督を譲って、今は吉左衛門だったか?よく言った。次郎三郎の処遇だが、我が領内への恒久的な立ち入りを禁ずるものとする。さて、三河を代表する義の者、長坂彦五郎に尋ねる。次郎三郎をここに呼び出し、伝えた方が良いか?それともそのまま、国外に送り出して良いか?」
「はっ、某を義の者と嬉しゅうござりまする。」
「次郎三郎を逃す為、率先して殿軍を願い出た者を義の者と呼ばずして誰を義将と呼ぶ。思ったままを言っただけよ。このまま、三河衆随一の義将の座を守るが良い。」
「ははーっ。さすれば、次郎三郎殿の処遇は、この場に呼ばず、そのまま放逐で良かろうと存じます。」
「ふむ。私がそんなに狭量に見えるか?見送りくらい許すぞ。次郎三郎の命を守ったは、ここにいる十八家も譜代も皆同じ。ならば別れを許すも新しき主君の度量であろう?」
「あ、いえ、殿を疑ってはおりませぬ。申し訳ございません。」
「良い良い、責めてはおらぬ。それとな、まだ、元服も独立もしておらぬとは言え、殿はいかん。ここにいる直臣らと同じで、『若』でも良い。そして、ここだけの話。六角屋形や北畠御所の推薦で、三河守受領が内定しておる。元服までは自称するつもりだから、三河守と呼んでも構わぬぞ。」
「ほ、本当ですか?おめでとうござりまする!」
「はは。まだ内定じゃ、大声で寿ぐ奴があるか。だが、その気持ち嬉しく思うぞ。」
こうして、誰も見送る者もなく、静かに松平次郎三郎は駿河に送られた。




