第25話「ゆりはすノート」
「もう外国語なんてやってられませんよー! ここは日本じゃけんねぇっ!」
「でも次は国語だよ? 古典だけど」
「うっげぇ……古い日本語だって不要だよ、まじで……」
英語の授業を乗り越え、そして昼休み前に国語の古典を残すこととなった休み時間。
主要教科の連続に仄香はげんなり辟易している。
「もう授業の最初っからウトウトしちゃってさー。ノート書き切れなかったかんね」
そして、わざわざ見せるために持ってきたのか、ばーんっとノートのミミズ字を晒す。
「あわわ……」
「うーん、字じゃないね」
「でっしょー!」
「いや褒めてないからね」
「うげげ」
そんな彼女だが、よろよろ歩き咲姫の机に突っ伏した。ちょっとちょっと、人が居ないからって。
「だからさー。さっきーに写させてもらおうと思ったんよー。でも当の本人が居ないじゃん? これ終わり確定だわ」
まだまだガイダンスが終わって間もないのに、既に授業に絶望しているのか。彼女は「うえーっ」と溜め息を吐く。でも、やってる内容は基本の確認であって、そんなに難しくないんだけどなぁ。
「ユズは? 字は綺麗だったよね」
僕が訊ねると、途端に目を逸らす譲羽。彼女も眠かったのだろうか。遠目にはそんなように見えなかったけれど。
「あ、あたしのは古文書と化しているから……見せられ、ナイ」
「コモンジョ?」
歴史ファンタジー的な? やはり彼女も漫画やゲームの空想に耽る中二病なのだろうか。
「あぁーそれねー。瑠璃って書いた上にラピスラズリとか、翡翠でエメラルドとか、ずらーって難しい漢字いっぱい埋めてたよー」
「はっ……。ほ、仄香ちゃん……バ、バラさないで……」
「えっ? 秘密だった? ごめんごめん」
小指と人差し指を立ててキラッとポーズを取りながら「テヘッ」と言う仄香。絶対謝る気ないでしょ可愛すぎだよ……。
「でもそんな漢字よく読めたね」
「えっへっへー。視力には自信があるんだー」
「いや難しい漢字って意味なんだけど……」
お馬鹿なのか頭がいいのかわからないなぁ。
「とりあえず、翡翠はエメラルドじゃなくてジェイドだからね」
「……はっ!? 驚愕……」
驚く譲羽。さてはちゃんと英訳を調べなかったね? こちらはホントのお馬鹿可愛いご様子。
「まあ結果として、仄香もユズもノートを取れなかったワケだ」
「うぅ……」
譲羽がうめき声をあげる。しかしその横で訝しげに僕を見る仄香。
「ゆーちゃんはどうなのさー? ひとりだけ見せてないぞよ?」
「えっ、ぼ……僕?」
「アタシにこんな辱めを与えたのだから、百合葉ちゃんも受けて当然の摂理……」
「いやユズは落書きばかりで板書すらしてないんでしょ? 僕は、み……見せられないよ?」
「ひとりだけズルイ……」
不満げに唇を尖らせジトっとした目で譲羽が詰め寄る。後ずさる僕。しかし、すぐに壁へと追いやられ、二十センチほど差のある彼女に押され気味となってしまった。
その横からしたり顔に表情を歪ませる仄香。
「ぐっへっへー。あんたの恥ずかしいところ全部ぅ~、見せてもらおうかっ!」
「変態がいるッ!?」
ツッコミつつも目が泳ぎ焦る。そんなものだから、無意識のうちに僕が机に置きっぱなしにしていたノートを見やってしまった。その視線に気付いてか、仄香が目をキラリと輝かせて……僕は手を伸ばすも――ッ
「くっ、間に合わなかった!」
「甘いぜっ! ノートはすでに我が手中にある!」
「おおー」
ジャジャーンと大きく掲げる仄香。譲羽もその勇姿に称賛の拍手を送る。
「か、返しなさいっ!」
「やだねー」
「ほんと! 勘弁だから! ……やめてっ!」
ま、まずい。なんとか取り返さないと……!
とは思うのに、焦れば焦るほどに僕の手の猛攻もむなしくヒラヒラと避けられる。
「そんなに必死だとむしろ楽しみだぜぇー! さーって、ゆりはすノートをぉー、オープンっ!」
「い、いやぁ……!」
顔を両手で覆う。くっ……。"アレ"がバレてしまっては恥ずかしいなんてもんじゃない……。もうここまでか……。
「うん?」
「え、えーっと……」
戸惑う二人……ほら、僕のイメージが変わってしまったのだろう。さらば、スーパークールなイケメン女子を目指していた僕……。
「ネコ?」
二人の声がハモる。
「しかもめっちゃ描いてあるんだけどー。同じ子がいっぱいー」
「でも表情とか服装違う……マフラーかわいい……」
「こっちは踊るアンブレラ猫~。超好きだわー」
各々が感想を述べる。うぐぐぐ……見られてしまったからにはこれから先イジられ続けるのだろう……。
「これ……見られたくなかったの……?」
「そうだよ、猫だよ。男っぽい僕が猫好きだなんておかしいでしょ。笑うといいよ」
首を傾げ無言になる二人。ノートと僕を交互に見やる。
「まじかよかわいいかよ」
「そうだよ、僕にかわいいのなんて似合わないんだよ」
「あっはっは! かわいいかよぉー!」
「やめてぇ……」
「百合葉ちゃんかわいい……」
「うぅ……」
よしよしと顔を塞ぐ僕の頭を撫でる譲羽。は、恥ずかしい……。
「でもいいじゃんいいじゃん? 字は……まあ普通だけどぉ、色使い見やすくて綺麗だし、要点をネコちゃんが解説してくれたりさ。頑張ってノート取ってるんだなぁってわかるもん。努力家ってやつぅ~?」
「解説ねこ……イイ……」
「ねっ。こりゃあ覚えられるわー」
「慰めは要らないよぉ……」
ノートを広げながら告げられる、子どもを宥めるかのようなご機嫌取りに顔から火が出そうだ。
「いいじゃんかぁ、個性的でさっ」
「アタシ、これ欲しい。一冊完成したらいちまんえん出ス……」
「まじかよー! そんならウチは二万出すわ!」
「じゃあさんまんえん出すことを辞さナイ……」
「なんとっ! おぬしやりおるなー!」
「オークションするんじゃないよ全く……」
いつものお馬鹿なやりとりに呆れてしまう。しかし、不思議と羞恥心は薄らいでいたのは、ちょっぴり感謝である。
ただそれよりも、この子らの金銭感覚が不安でしかないんだけど。本気じゃないよね? お嬢様方。
「ま、かわいいの好きでもいいんじゃな~い? たとえ男子でもそういう人って居ると思うし、関係ないよー」
「そう……そもそも百合葉ちゃんは可愛いから問題ナイ」
「それなー。そもそも男っぽいってよりボーイッシュ? 中性顔だからむしろアリだわー」
「猫好きの王子とか……イイ」
「おっ? それ響き良すぎんてぃぬすじゃね? ゆりはす王子最高かよー」
盛り上がる二人。どうやら猫趣味が受け入れられたみたいだ……。それより『ゆりはす』って何?
「ところでさぁーっ? 保健のノートも貸してもらえないかなぁー、なんてっ!」
唐突の話題変換であった。
「もう、都合がいいんだから……」
僕はやれやれと、自分のカバンの中から取り出す……が、
「あっ……」
「どったの?」
僕が開いたノートを覗き見る仄香。その内容にはところどころ空白があって……。
「書き切れなかったんだ……」
「ネコも居ない……」
「いやそこは問題じゃないでしょ」
どれだけネコが好きなんだ……内容よりもネコ重視みたい。
「どーする? さきさきさっきーが帰ってきたら借りる?」
「でも咲姫もノート取れてないと思う……」
「あぁー見つめ合ってたもんねー。まじ嫉妬やわー」
「や、違うけど」
でも、あながち間違いじゃないような気もして……またまた恥ずかしいな……。
「そいじゃあどーすっかなぁー」
仄香がうぅーんと悩む。その横でピコーンと背伸びし閃く表情の譲羽。
「い、良い人が……イルッ」
「えっ、だれだれー?」
彼女に他の友だちでも出来ていたのだろうか。
仄香が訊くと、とてとてーっと譲羽が声を掛けに行ったのは……。
「す、鈴城さん……保健のノート貸シテ……」
またしても蘭子ちゃんなのであった。




