第09話「二人乗り」
相も変わらずセクハラを受けながら、蘭子と二人で帰り道につく。いつもなら電車の降りる駅が違うから別れている筈なんだけれども、今は「とりあえず」ということで、蘭子の家へ向かっていた。何がとりあえずなんだろう。
「この間はせっかく三人で遊んだのに、変な空気にしちゃったからね。埋め合わせに……何でもは無理だけど、どこか行きたい場所とか、頼み事とかがあれば訊くよ」
「なあに、私は気にしないさ。誘ってもらったときには、寝る前だというのに君の声が聴けて助かったわけだし」
「何が助かったのか――は訊かないでおく……」
イヤな予感しかしないからね。
「なんなら毎晩、電話をくれても良いのだぞ? うつらうつらと眠くなる中で君の声を聴けば、夢の中に君が出てくるかも知れない。その結果、あわよくば百合葉とエッチ出来るかも知れ――」
「はーい。話がシモ話に脱線してまーす。戻りましょうねー」
彼女のほっぺたを突いて途中で遮る。恥ずかしくてうろたえることもない。この程度のセクハラアプローチなら慣れてきたのかも……いや良くないけど。
「それはさておきだな。何して欲しい……か。それなら私とレズ――」
「そういうのも無しで。言うと思ったよ」
当然、途中で遮る。蘭子ちゃんは相変わらずレズレズが大好きだなー。僕に惚れてくれているのは安心するけどねっ。
「冗談ばっか言ってたら、何も話が進まないよ? このままじゃあ、僕は家に帰っちゃうよ?」
「君にとって簡単な事――という基準が解りかねないな。君を辱めるスレスレも狙えないじゃないか」
「アンタはぁ、一体何させようとしてんのっ!」
「落ち着いて。これも冗談だから、冗談」
「う、うん」
やはり、何でも――というのは否定しておいて良かった。この関係性を崩したくない為なのか僕が相変わらずはぐらかしてキリがないからなのか、本人は冗談だと言ってくれるのがお決まりとなったが、こちらが承諾した暁には本気で掛かってくるのだろう。恐ろしいレズである。
「それでは……」
※ ※ ※
「二人乗り……ね」
電車を降り、十分ほど歩いた所の蘭子の家。
一度、屋内に通されるや否や、荷物を置いただけで直ぐに外に出る。
彼女の家の物なのだろう。広いガレージ前まで案内されると、黒く質の良さそうな自転車を、蘭子が道路に引っ張り出してきた。
「一度試してみたかったんだ。他の三人よりは君に頼むのが一番かな――と」
「ま、まあ良いよ」
はっきり言って自信がこれっぽっちも無い。『これっぽっち』と言うのは、僕の中では三センチ未満と勝手に数値を想像していたり。こういう基準って人それぞれだから、どのくらいか具体的な数字を訊いてみたりすると、ちょっと面白かったりする。
赤茶色の石畳の上をゆらゆら進む。僕が力を掛けているペダルは思ったよりも重く、一回一回、全体重を掛けて力まらなければ前に進めない。
「百合葉。無理だったら降りるぞ?」
僕の胸元に両腕を回したまま蘭子が言う。ワザとなのかは判らないが、僕の胸をトップから抑え込まれていて、衣擦れがなんだか擽ったい。……いや、さり気に揉んでるからワザとなのだろう。
「だ、大丈夫。余裕余裕……」
「本当か? さっきからフラフラしていて、いつ倒れるか分かったものでは無いが」
「僕にかかればこのくらい……」
「ふふっ。無茶な事にも果敢に取り掛かる、君のそんな所も――好きだぞ?」
「げふっ! えっ、なんだって!?」
「前見て、前」
「な、うわっと!」
気が付いた時には既に遅しで。道路袖の花壇に突っ込み、街路樹に自転車をぶつけていた。その反動で地面に半ば強制的に投げ出された僕。なんだか最近こういうのが多い気がする……。
「痛ぁ……。ら、蘭子……大丈夫!?」
「緑のしましま……」
「えっ……? あ、やっ……」
最初、何を言っているのか分からなかったが、蘭子の視線の先を辿れば、めくれあがったスカートが……。バッとすぐに整える。
「蘭子……見たよね?」
「……見てない」
鼻血を垂らしながら彼女。
「むしろめっちゃ見てたでしょ! 嘘つくな!」
僕は怒りにまかせて蘭子の肩をガンガン揺らす。鼻をつまみつつ片手でそれを制した彼女は立ち上がって家の方を見る。
「そう揺らすんじゃない、より興奮してしまうではないか」
「のぼせるの間違いでしょっ!? なんで興奮するの!」
「こうなってしまったものは、仕方がない。ちょっと……"トイレ"に行ってくる」
「手を洗うんだよね? なんでそこを強調するかな?」
「んっ? そりゃあ、"スッキリ"しに行くには違いないが……」
「間違ってないのに意味深だなぁ……」
もはや疑うことなくセクハラであった。
「もちろん……シてくるだけだぞ? 」
「濁さなくていいよ……もうバレてるよ……」
「じゃあオナ――」
「あーッ! ストップストップ! 言うなバカっ!」
「君が濁すな言ったから恥ずかしながら答えたのに。天の邪鬼で可愛いな?」
「頬染めないでよ。鼻血と合わさってカオスだよ」
恥ずかしがるポーズなのか両手を頬に添えたものだから、鼻からは見事に滴る鼻血が。美人でかっこいい顔がぐっちゃぐちゃだ。
「とりあえずイってくるから、三十分くらい待っててくれ」
「長いわっ! なんでそんなに時間掛かるのさ!」
「そりゃあじっくりシてこようと思って」
「うっさい! はよ戻ってきなさい!」
「そう急かすな……。そんな短時間だなんて、盛りのついた男子か君は……」
「サカってるのはアンタでしょうが……」
※ ※ ※
「おかえり。早かったね……」
「いやぁ流石に、こんな短い時間で連続は……ダルくなるな」
「はっ? アンタこの短時間でナニやってんのっ!?」
「もちろん冗談だが」
「あ、あぁ。そう……」
「私が一人でシてる姿を想像したか? んっ?」
「想像しないわやめてよ生々しいなぁ」
そうニマニマとする蘭子にツッコむも、突然まじめな顔に。どうしたのだろう。
「君の手元、血が出てるじゃないか」
「えっ……? ホントだっ! なんでだろ!?」
びっくりして大声だしてしまった。自分では無傷のつもりでいたのだ。
「ドジっ子ちゃん……自転車のハンドルか何かに引っ掛けたのだろう。どれ、見せてごらん」
そう言うと、自転車を道路脇に立て「ガシャン」とスタンドを下ろす。
「かゆいだけだと思ってた」
「そこそこ血が出ているな……」
僕の手を取りながら、蘭子が言う。
「ああ……。僕、絆創膏持ってるから」
言葉と共に、僕はブレザーの内ポケットに入っている財布から絆創膏を取り出そうとする……と、蘭子が手を出し、"待った""をかける。
「まあ待て。一回、血を拭おう」
ティッシュか何かでも持っているのかな――と待っていると、蘭子は、傷口に舌を這わせ始めた。
「うわっ! アンタ何してんの!?」
「舐めた方が治りが早い……と見せかけてただ舐めたいだけさ」
そして、喋るために離した口を、再び傷口に押し当てる蘭子。
「変態だよぉ……」
「まあ、これで充分だろう」
「そ、そうだね」と言いつつ、恥ずかしいなぁ――と思っていれば、彼女はしゃがみ、手
の甲に……キスをしだしたっ!?
「いや、キス要らなかったでしょ! わざわざしゃがんでまでして!」
「私のわがままの所為で怪我を負わせてしまったからな。少し位サービスをと思って」
「演りたかっただけでしょ……?」
「バレたか」
「バレるよっ!」
ときどき咲姫にしているキザな事が、逆の立場になってしまった。調子が狂うなぁ……。
傷口をティッシュで拭い、絆創膏を貼り終えると、僕は「フゥーッ」と一息つき、沈黙を掻き消す為に、何も考えず口を開く。
「はぁーっ。それにしても重かったぁ……あっ、ごめん!」
今日は暑いね――みたいな他愛も無い話をしようとしたのに、ついつい、失礼な事を言ってしまった。
「おいおい、乙女にそんな事を言っては……。ランたん傷ついちゃうぞっ」
唇を尖らせ胸の前で両手を軽く握るポーズ。多分、咲姫のモノマネである。
「似合わなっ!」
あまりにも滑稽だったもので、適当な感想を述べてしまう
「あーあ、傷付いた。流石の私も傷付いたな。ここは泣き落としで百合葉を困らせよう」
「本音ダダ漏れだよっ!」
僕のツッコミもいざ知らず、「おーいおいおい」と泣き真似をしだす蘭子。しかし、全くもってド下手である。そんな泣き方があるものか……。
そうして、数刻の間そうしていたかと思うと、ふと思い出したかの様に蘭子が演技をやめだす。
「どうしたの?」
「飽きた」
「そりゃあそうだろうねぇ……。何が楽しくて……」
そんな事をするんだ――と言い掛けたところで言葉を止める。彼女はただ、僕の反応を楽しみたいだけなのだから。
それにしても、本気で泣き落としをしてもらいたかったが。演技とはいえ、蘭子の泣き姿を見たかった――などと言ったら僕が泣かされそうなのでやめておく。
僕が途中で言葉を止めたから、「んっ?」と、蘭子が僕の顔を覗き込んで来る。そして、僕が何も言わない事を確認したのか、口を開く。
「君に怪我を負わせてしまったのは申し訳無いが、それでも楽しかった。ありがとな」
「あ、ああ……。どういたしまして」
その口から出た、唐突で純粋な感謝に戸惑ってしまった。この子は真面目な顔をすると、下手なアイドルよりもイケメンだから困る。
なんて、内心気恥ずかしい思いをしていれば、顔のそばに気配が。
「私の下らない頼みに対し、頑張り応えてくれる君はとても――素敵だったぞ?」
「み、耳元で言うのやめてもらえるかな? さっきもそれで……」
「ふふっ」と表情には出さないで笑い声を微かにあげる蘭子。
この娘は決めの褒め言葉を一々耳元で囁いてくるから、どうもゾクッとしてしまう。嫌いじゃないのだけれど、やはり調子が狂う。おそらく、彼女もそれを楽しんでいる。
「ともかくとして、地味に鈍臭い君なら、出来ないと信じていたよ」
「そんな事、信じられても嬉しくないんだけど」
それと『地味』を付けるのやめてもらえます……? 地味に傷付いちゃうぞッ。
「君の必死な所も見てみたかったんだ。許してくれ。それと、漕ぎたいのは私だったから」
「えっ?」
そう言って自転車のスタンドを解除し、蘭子がサドルにがると――――。
「さあ私の……後ろに乗り掛かるんだ」
何故か、自分の尻をポンポンと叩きながら言う。
「それ絶対違う意味想像して言ってるよねっ! やめてよそういうセクハラ!」
「私は自転車の荷台という意味で言ったんだがなぁ。セクハラは君の方じゃ無いか? そもそも女同士で何を言ってるのやら」
「もう良いよっ、恥ずかしいなぁ!」
蘭子の言う通り、彼女の調子でイヤらしい発想に行き着く自分を恥ずかしく思いながら、僕は蘭子の後ろ――当然、荷台に跨がり彼女の両肩を掴む。
そして蘭子が「行くぞ」と言ってからは無言になり、自転車が走り出す。当初はトロトロとしていた動きも、一度安定してペダルが回ってからは、予想以上にスピードを上げている。彼女の脚力が成せる技だろうか。
車の音も聞こえない閑静な住宅街。車二台は交差出来そうな広い歩道。
歌うような小鳥たちの囀りに混じり、タイヤの地面を蹴り上げる音が鳴っては消える。
夏前にだけ味わえる心地良く冷えた風が街路樹をサワサワと揺らし、薄白い雲と蒼天の空を背景に、五月の爽やかさを醸し出していて。
その中で、温かい彼女の背中。そして風になびき、僕の頬をそっと撫でる長い黒髪。椿シャンプーの香りまでもが僕に安らぎを与えてくれていた。
やがてレンガ造りの塀を周り、十字路の角を曲がると、途端に速度が落ち始め、久しぶりに蘭子が声を上げる。
「この道は緩※※※坂に――――」
「えっ……なに!? 聞こえない!」
いつもの調子で喋りだしたからであろう。聞き取りにくかったため、僕はやや声を張り上げて、彼女にボリュームを上げるよう、示唆する。
「この道は緩やかな坂になっているから、バランスを崩さないように、私を強く抱け」
結果、大きな声量で蘭子が言い直す形となった。
「ちょっと待って! 静かな所で『抱く』とか言わないでっ! めっちゃ響くじゃん!」
「早くしろ早く」
「もうっ、これが狙いだったのかぁ……」
仕方無い――と、僕は彼女の大きな背中に抱き着く。もののついでだ。ワザと僕のブレザーをはだけさせ、ブラウス越しの僕の胸を押し当ててやる。さあ喜べ。
案の定、蘭子には堪らない様であり――――。
「おお、素晴らしい。私の背中に柔らかな感触が。百合葉、此処は天国か?」
「道路だよっ! 後ろじゃなくて前に集中して漕いでよねッ!」
大袈裟なセクハラ感想を述べられる。そんな事は余所に、今のツッコミは中々良い出来だ――と、心の中でこっそり舞い上がってしまった。
「前...…か。こんな所で自慰行為を強要されるとはなぁ。よしっ、君の頼みだ。一肌脱ぐとしよう」
「もう黙ってよスケベッ!」
そして、続く蘭子の下ネタ。女子高生が閑静な住宅街のド真ん中で『自慰行為』と言うのはどうかと――。まあオナ……と言うよりはマシかな。
「ああ、脱ぐのは下着だったな……。ちなみに『スケベ』というのは、助平という男性の名前に由来されるわけだから、私には適応されないぞ?」
「すごくどうでもいいっ!」
彼女のセクハラ返し能力の高さに呆れるばかりであった。なんで僕の時にだけこんなにも饒舌なんだ……。
でも、こんな日常的な空気感が、今はありがたく思えたり……。このような楽しいノリで、みんなと仲良くなれれば良いのだけれど。




