第03話「鼻血パニック」
病み気味ながらも僕と出掛ける事を喜んでくれた譲羽と、セクハラ三昧の末クサクサなイケメンゼリフで終わらせた蘭子との電話に、いつもの調子で安心して眠りについた翌日。
僕は駅のベンチで、集合時間の三十分も早くから待っていた。ギリギリまで相手を待たせて、今か今かと美少女たちを悶々とさせる手もあるけれど、どうにも僕には合わないのだ。僕は出来るだけ嘘や駆け引きを見透かされないように誠実に。僕の居ないところで何を話されたか気になって仕方がないのもあるし。
それに、こう待ち時間が長くとも全然苦には感じない。電子化が進んだ今は携帯電話一つでどうとでもなるのだから。とは言ってもゲームや漫画といった娯楽ではなく、今は背伸びなんかしちゃって夏目漱石の『こころ』。近代文学は堅苦しそうな印象があったけど、意外と読めるなぁ。僕は携帯の画面を操作しながら、サクサクと読み進める。
婚約を黙っていたら親友が自殺しちゃうのか……。
それは恋愛感情から来るものなのか、親友の裏切りに対するものなのか。僕としては後者な気がするけど、両方とも言えそうだ……。どちらにせよ、時として人間関係のミス一つが人の命に関わったりする。怖いものだ。
画面をぼんやりと見つめたまま、僕は物思いに耽っていた。すると、後ろからわざとらしく響かせた固い足音が。
「やあ百合葉。私とのデートが楽しみすぎて、思いの丈をこれでもかと詰め込んだポエムを書いているのか?」
「んなもん書かないわ……」
そんな否定の言葉を告げて、譲羽ならポエムを小説並みに書いてそうだなと思った。今は居ないけど、こういう些細な言い方が他の子を傷付けたりするのだ。発言には気をつけないと。
僕は携帯を鞄に入れて、を後ろから声をかけてきた蘭子に向き直る。
すると……。
「蘭子……似合うね、その服」
「そうだろうそうだろう。やはり私は大人でクールで美しいからな。百合葉が私に告白したくなるのは無理もない」
「いや……しないよ?」
でも内心、はじけてしまいそうなくらいトクトクと心臓が脈打っているのは事実だった。花柄やフリルなど、一切の女子らしさはないストイックなファッションなのだけれど、大人のキャリアウーマンのように黒いジャケットに、これまた黒のスキニージーンズで足のラインが浮き出し、力強い色気を放っている。
そのまま足下に目をやれば、浅く飾り気の少ないシンプルなブーツ。ただでさえ大きい彼女が身長を底上げして良いものだろうかと思いつつ、今度は彼女の頭のてっぺんを見れば、黒の中折れハットでクールに決めていた。
似合いすぎでしょ……。
これは本当に告白してしまいそう……。蘭子に図星を突かれたのが癪で、視線を合わせないよう少し落とすと、鎖骨がよく見える横長に広く切られた白いシャツの上で、リング付きのシルバーネックレスが光っていた。全体を見直しても、やっぱり大人でクールで美しい。下手な男子がやったら痛いだけなのに、彼女のモデル体型にはピッタリなのだ。ああもう、どうしてそこまで華麗に着こなすんだ。ドキドキしちゃうじゃんか……。
「どうした? 百合葉。やはり私に見とれたか?」
「べ、別に……っ」
「ほーう」
完全に図星を突かれた返しになってしまった……。けれど、なんにも誤魔化す言葉なんて浮かばずに。赤面しそうな僕は、煽りちょっかいをかけてくる蘭子の手を払う。ちょっと、胸をつつくんじゃない……セクハラでかっこいいのが台無しだよ……。いい加減にせいと彼女の手をベシリと強く払いのけて、彼女から目を背け駅の構内へ視線を向ける。譲羽はまだみたいだ。あと十分はあるし、セクハラトークだとしても耳を傾けるか……。
「晴れてはないけど、そこそこ出歩くには丁度良い気温だね」
「今朝な? 私が家から出た途端に曇ってしまったんだ。いやはや、太陽までも恥ずかしがらせる美しさとはな……。私はなんと罪深い女なのだろうね」
セクハラではなく安心したけど、自分の美しさに憂うように指をひたいに当て、「やれやれ」と蘭子。やれやれはこっちだよ……。
「せっかく良い天気だったのに曇らせないでよ。まさか雨女?」
「おいおい。ツッコんでくれたって良いじゃないか。見ての通り私は晴れやかな女だが」
「蘭子はどこからがボケなのか良く分からないよ……」
どこが晴れやかなのかとも。仄香や咲姫なら分かるけど、蘭子は雨女の方が似合いそうだ。なんなら雷雨の中を颯爽と走ってそうな気もする。
「半分は嘘。しかし、私が美しいというのは本当だ」
「うっわナルシスト」
セクハラだけじゃなく、キャラの濃い娘である。
「ナルシストで何が悪いのだろう。自分の良さを誰よりも理解していて、それを最大限にアピールしているだけではないか」
「あーはいはい。美人美人」
「百合葉、適当にあしらわないでくれ……」
呆れて僕は素っ気なく返す。そこで一呼吸置いたところで、遠くから危なげな気配が。
「あっ、ユズだ」
「おお、ちょうど着いたか」
僕が指差した先で、譲羽がパタパタと走っていた。その走りざまは、なんとも不安定で、今にも転んでしまいそうで不安になる。彼女には下手なローファーよりも運動靴を履いて欲しいものだ。
「ユズ、焦らなくていいよ」
「ごめ、百合葉ちゃん……ギリギリ――」
そこで、
「あわぁっ!」
「うわっと」
立ち上がった僕の目の前で譲羽が転んでしまった。しかし、なんとか正面から彼女を抱え、大事に至らずに済む。ちなみに彼女の頭突きをガードしたのが胸なので、なんにも痛いことなんて無かった。邪魔で重たい胸が初めて役に立ったと思えた瞬間だ。
「大丈夫? ユズ」
「あああ……う、うん……」
俯いたまま返事をする彼女。しかし、譲羽はそのまま顔をあけず、手のひらで鼻を抑える。
「血が……っ」
「えっ!? それは大変!」
押さえる指先から滲む赤い液体。まだ垂れずに事なきを得ているが、口をもごもごさせて顔面蒼白な譲羽。今にも広がりそうな鼻血でパニックになりそうだった。
「百合葉、ティッシュだ」
「ありがとうっ」
蘭子から二枚ティッシュもらって、うち一枚を横長に折り続ける。そして半分くらいでちぎり丸め、彼女へ。
「はい、ユズ。気をつけて」
「うぅ~……」
彼女の鼻の下で垂れないよう、もう一枚のティッシュを準備しつつ、上向きの彼女の鼻へ詰め物を。ちょうど良い大きさだったようで、くるくる回して入れるとちょうど収まった。
「そのくらいの位置で……ダイジョウブ……」
「よし。オーケーかな」
「うん……アリガトウ……」
お礼の最中にも、汚れた口周りや手をウェットティッシュで拭き回る。だが、鼻血はもう問題なくなったはずなのに、彼女は俯き続けていた。
「あれ、まだ調子とか悪い?」
僕が訊ねると、彼女は指先に付いた血液を僕に見せる。
「我がの黒魔族の血を汝の体内に注ぎ、主従の契約ヲ……」
「んっ? なんだって?」
「な、なんでも……ナイ」
まあ例によっていつもの中二病なのだろう。そのままの調子で続けてくれても可愛いんだけどなぁ。今は思わぬ事件での戸惑いが大きいのかも。やっと落ち着けたところだから、まだ中二病を繰り広げるには精神的な安定具合が足りないかも。
そんな、ふとした拍子にも自分の世界を広げ見せてくれる子だなと思っていると蘭子が咳払いを。
「譲羽は大丈夫なのだろう? ではもう行こうか」
「うーん。ユズ、もうちょっと休む?」
問いかけると、鼻にティッシュで詰め物をした可愛い面で首を傾げる譲羽。ちょっと唇をとがらせている。
「それよりも……」
途中で言葉を止めて、彼女の視線はずっと身長の高い蘭子の方へ。
「蘭子ちゃんがいるだなんて、訊いて……ナイ」
「あ……そうだね」
「話してなかったのか」
「う、うん……」
あまりにも電話で譲羽が嬉しそうだったから、考えないようにしていたともいえる。だが、今回の目的は分裂しつつある僕の美少女たちに、結束を固めてもらうのが狙いなんだ。今の状態では、どうしても個人だけでは遊べない。
でも、楽しみにしていただろうに、酷なことをしたかな……。
「大丈夫だよユズ。蘭子は……面白いから」
「そうだぞ? 私は面白いぞ?」
どんな誤魔化し方なのだろう。かつては冷たい返事しかしてくれなかったのに、何を言ってるのやらと思うけれど。
「蘭子ちゃんが面白いのは、百合葉ちゃんにセクハラするからだと……思ウ」
「そうだな……」
「確かにね……」
ごもっともである。
そして常に眠そうな彼女の、ジトッとした視線が僕に刺さる。うう……っ、彼女も蘭子のセクハラをよく思ってはいないのだろうか。
「ま、まあなんとかなるって。さあ、行こうよ」
ばつが悪くなり僕は立ち上がって先導する。納得のいってない顔の二人だが、頷いて無言で付いて来る。まだどこに行くのかも決まってないんだけどね。
そうした不安を抱いたまま、僕ら三人は街へ繰り出すのだった。




