第41話「水族館」
スイーツバイキングが早い昼食となった僕らは、余りに余った時間で水族館へ行くことに。お互いの体温が分かるような距離で座りながら、バスに揺られている。
満腹感の割に眠くないのは、お腹に入ったのがスイーツだからか……それとも。
「本当においしかったわよねぇ~。"他のこと"なんてすっかり忘れてしまいそうに~っ」
「そ、そうだね。夢中だったから時間に気付かなかったよ」
彼女はあれやこれやと会話を繋げ、しかもその合間合間で『わたしとの時間を大切にして?』と言わんばかりにチクチクつついてくるのだった。
機嫌を取っているつもりはないけれど、ある程度彼女を怒らせまいと気を張り続けている。例えば、うっかりコートのポケットに手を伸ばしただけで……。
「百合ちゃんどうしたのぉ~?」
「い、いやぁ。鼻をかもうと思ってさ。ティッシュこっちだったよ」
微笑みつつも目を鋭く細めた彼女。彼女もまた、僕を監視するように見張っているのだ……。誤魔化しのため、カバンから鼻かみ専用の柔らかティッシュを取り出して、かむフリをする。なんでこんなことになっているのかというと……。
携帯が入っているのが、ポケットだからだよなぁ……。
それほどまでに、蘭子と連絡を取って欲しくないのか。自分に引き止めようと必死な姫様で、それは可愛らしくも見えるけれど、もし悪い彼氏に捕まってしまったら、変に誑かされそうで怖いもの。やはり彼女には僕を好きで居続けてもらわないとねっ。
「知ってる? このティッシュって甘いらしいよ。ウェット感を出す成分に味があるんだってさ」
「へぇ~。でも食べたくは無いわよねぇ」
「さすがにね。誰が最初に味見したんだか……」
なんて雑学も交じえ、気にしてない風を装って話を逸らす。携帯はもう諦めよう。好きな子と遊ぶのに、携帯をいじっている必要なんて無いし。緊急の着信だなんてのも、そうそうないだろうから。仕方ないので電源は切ったまま。咲姫との時間を楽しむことに。
僕らは身を寄せて、窓の外の風景をゆっくり眺めながら、お互いの様子を伺いながら話に花を咲かせた。
※ ※ ※
「わぁ~、すっごぉ~い! きれぇ~いっ」
彼女のカバンを僕が持つことによって、咲姫は走りこそしないものの、本当に自由に動き回りだした。すべてを忘れて楽しんでもらえているようでなにより。
最初は単種の小さな水槽を見つめ指差しながら、妙な魚の生体に顔をほころばせあっていたけれど、今は岩や植物の敷き詰められたガラスの向こうに、僕らは目を奪われていた。
そんな矢先……。咲姫ちゃんはニンマリとしたり顔をし、僕の方を見て……。
「この水族館にイルカは居るか……ってねぇ~」
「ふふっ、どうだろ。案内には載ってないから居ないかもね」
なんとか冷めた顔をせずに返せた。いや、可愛いんだよ? つまらないギャグを言う咲姫ちゃんが可愛くてニヤニヤしそうなんだけど、その残念可愛さ具合に酔ってしまって、黙り込んじゃわないようにするのが意外と大変なんだ。脳内が咲姫ちゃん可愛いという言葉で埋まってしまうんだ。咲姫ちゃん可愛い咲姫ちゃん可愛い。
そんな咲姫ちゃんは、まあまあ満足げな顔。良かった。彼女の納得のいく反応を出来たみたいだ。こんなところで滑らせてしまって、二度と咲姫ちゃんのつまらな可愛い美少女ギャグが聞けないだなんて悲しすぎる。
「でも、こんなすごい水族館が昔からあったんだねぇ。もっと普通だと思ってた」
「何年か前に改装されたらしいわよぉ? 前は地味だったし、大正解よねぇ~」
「だねぇー。すごく綺麗……」
色とりどりの魚たちが作り出す水の動きで光のカーテンがゆらゆらと揺れ、それはまさに幻想的な光景だった。
「咲姫、ここ見て。この魚、日本史に出てきそうな顔してる」
「……うふふっ。確かに、烏帽子を乗せてるみたいねぇ」
広い水槽の中でたゆたう生き物たちを眺め感想を漏らす。慌ただしかった日々が続いたから、こうやってゆっくりと二人過ごすのがまた落ち着く。今は咲姫の中で蘭子のことを忘れてくれているようだ。ともかくひと安心。ゆっくり歩いては引き寄せられるように魚を覗き込んで、まったりと二人楽しめている現状だ。
ところで、咲姫とのデートを知っている蘭子は、わざわざ電話をかけてきたりして、何の用だったのだろう。純粋に邪魔したかったのだろうか。確かに抜群なタイミングだったけれども……。なら駅で待ち伏せの方が確実……やるかな、やりそうではある。
ただ、僕単体には強引に出たり出来ても、咲姫には強く出られないかもしれない。二人のギクシャクな関係には今後も気をつけないと。
「あっ、危ないよ。咲姫」
「えっ……あ、ありがとぅ……」
子どもが走って来るのが見えたので、ぶつからないように咲姫の腕を取り引き寄せる。子どもって周囲をよく見ないで走り出すから、本当に怖いものだ。
ただ、腕を絡める形になったからか、予想以上に彼女が耳まで紅潮して、意外とウブな反応を見せてくれる。
「大丈夫? 咲姫……」
「百合ちゃんのおっぱい……」
「な、何を考えてるのさ……っ!?」
油断も隙もありゃしなかった。こっちは咲姫ちゃんのお胸がささやか過ぎて感じられないというのにっ! 別に良いけどねっ!
焦って腕を離したため、咲姫の表情は寂しそうにむくれてしまう。いや、君が原因なんだけれども……。あくまでも腕組みがメインなんだね。胸目的じゃなくて良かったとは思う。
「じゃあ、これで我慢して……」
「……うんっ」
空気を察した僕は、がら空きになった彼女の腕から、指を一つ一つを絡めとる。その細い指先からも、彼女の鼓動を感じて、僕もトクンと嬉しくなった。
「アシカショー、都合につきおやすみ……だってさ」
「えぇ~っ。残念……」
タイミングが悪かったようで、見所はカラフルで大きな水槽という少し物寂しい結果となってしまった。しかし、『都合』というのも、病気とか色々あるのかもしれない。
「今回は運が悪かったと思ってさ。また今度来よう? 新しい発見があるかも」
「そうよねぇ~そうしましょっ」
自分に言い聞かせるように頷く咲姫。確かに運は悪くても、彼女とならどこだって楽しくないワケはないのだ。
「それじゃあお土産コーナーに行こっか」
「うんっ! レッツラゴーよぉ~!」
元気いっぱいに返してくれる。だけど咲姫ちゃん……それは多分、死語ってやつだよ……。僕らの世代じゃあ聞くこともない……死語まとめ一覧で見たことあるもん……。
「見てみて~百合ちゃんっ! これすごいもっふもふぅ~」
咲姫がかけて行った先には、シングルベッドの横幅の長さは埋まりそうな、大きなイルカのぬいぐるみ。イルカと言っても、その丸っこいフォルムはアザラシの方が近そうであるけれど。
僕も咲姫に並んで、ぐにぐにパフパフと揉んでみる。さわり心地は僕好みの綿タイプで、中身もビーズではなく綿みたいだ。布フェチの僕にとってこれはたまらない。
「うわぁ、おっきいね。さわり心地もすごいや」
「ねぇ~。これ抱き枕どころのサイズじゃないわよぉ~。もう飛び込みたいくらいっ」
「あー確かに包み込まれたいなぁ。でもこういうのって値段が……」
言って僕はひっくり返っていた値札を手に取り戻すと……。
一十百千……ままま、万っ!?
前にあげた誕生日プレゼントよりも高い! 未だにあの日の出費が痛いというのにっ!
「た、高いね……」
「でも、このサイズともなれば、妥当よねぇ……」
別れを惜しむかのように、ゆっくりとイルカちゃんを撫でる彼女。これを買うとなれば、お小遣いが三ヶ月分も消えてしまう……。大丈夫だよな? と、僕は恐る恐る彼女を見る。
「さ、咲姫……これ欲しいの……?」
「えっ? 大丈夫よぉ~。ちょっと目に付いたから撫でていただけでぇ。こんな大きいのは、百合ちゃん達からもらったぬいぐるみで充分だもの」
「そう……。ならいいけど」
僕はこっそりひと息つく。
「だって二人で買うにしてもぉ、これは高すぎるじゃない? それに、わたしは百合ちゃんにあんまりお金を使って欲しくは無いんだからねぇ~?」
「そっか。ねだられたらどうしようかと」
「っんもう! わたしがそんながめつい女に見えるのっ!?」
「見えない見えないっ。ただ、プレゼントしたかったかもって」
「ふぅ~ん……。それなら別に高い物じゃじゃなくても……」
と、そこで言葉を止める彼女。察してと言うことだろうか。確かに僕としたことが、プレゼントとして買うにしろサプライズ性が無かったな。口に出すべきではなかったかもしれない。
「まあどっちにしろ、お金がないからこういうのは買えそうにないけどね」
「そうよねぇ……。今月はもう、プレゼント貰っちゃってるし」
「だからかわりに、僕との思い出をプレゼント……で勘弁して?」
舌をペロッと出してウインク。それを見て咲姫は、満更でも無さそうに眉尻を下げる。
「もうっ、また調子がいいんだから……」
「ああっ、待ってよ」
誤魔化せただろうか? カツカツと咲姫は出口の方へ向かってしまったのを、僕は追いかけて彼女の左隣を陣取り、無理に恋人つなぎで指を絡めて。僕は横目で彼女の様子をちらと見る。
顔色は紅潮……じゃなくて好調。そこそこ満足はいただけているのかな? でもまだ足りないよなぁ。さてどうするか。
最後の一休憩に出口すぐにあったベンチで休む僕ら。外の青かった空はいつの間にか白み始め、もう間もなく西日が眩しい時間に差し掛かるだろう。
ペットボトルの飲料をちびちび飲みながら、脚の疲れを癒す。とは言え、僕自身は着飾ることなく運動向けスニーカーなので、そこまで休憩の意味はないけれど。
「じゃあそろそろ行きましょうかぁ~」
咲姫が僕に目配せをして立ち上がる。だが、僕は手のひらを突き出しタイム要求。
「ごめんっ! ちょっとトイレ行ってくる!」
「えっ? わたしも付いて行くわよぉ~?」
「め、めっちゃ急いでるし!? 咲姫まで走らせたくないから! 待ってて!」
「百合ちゃんなんでそんなにまで我慢してたの……」
完全に呆れ顔で彼女にため息をつかれる。仕方がない。だってものすごいカッコ悪いもんね……。思いつつ、僕は駆け足で来た道を逆走していった。
「ごめん、ちょうどバスが行っちゃったね……」
「そうよぉ……百合ちゃんがもっと早くにトイレに行ってくれてれば」
「それは結局同じ時間だと思うけど……」
時刻表を見て悲しい事実を知った僕らは、またもベンチに腰をかけていた。完全にデートの酔いは冷めてしまったようで、咲姫は冷静な面持ちで携帯を眺め、次の時刻と駅の時間を調べている。今なら、僕もさりげなく携帯をいじれそうだけれど、やめておこう。彼女が率先して次の行動を決めてくれるのだし、変な刺激は良くない。
と、僕はこっそりポケットに入れていた手を出して、咲姫の後ろへ。もちろんセクハラなんかじゃない。
「どう? 決まった?」
体重を寄せ彼女にぴったりくっついて、いじる携帯をのぞき込む。マップ表示で普通列車と快速の比較などが表示されていて、それを計算していたようだ。
「うーん、歩いた方がむしろ早いかしら……」
「大丈夫? 脚は疲れてない?」
「このくらい……まあ大丈夫よぉ。……ダイエットだと思えば」
「確かに……。いっぱい食べちゃったもんね……」
ガリッガリの大食い仄香ちゃんと違って、咲姫ちゃんはその辺を気にするんだなぁとちょっぴり親近感。彼女のモデルのようなスレンダー体系は努力のたまものなのだろう。
「それじゃあ、行くとしますかぁー」
そう言って先に立ち上がった僕は手を差し出す。握り返してくれる咲姫。そして彼女が腰を浮かせたとき……。
チリンと。
「えっ……?」
疑問に思い、ふいに鳴ったその出所を探す咲姫。そして視線はショルダーバッグの先へ。
「あっ、わぁ~! なにこれぇ~っ!」
音の主を確認すると、彼女は途端に顔をほころばせ喜びの声をあげた。その先には、ラメでキラキラ光る鈴付きのイルカキーホルダーが。見ての通り、そんなに大したものじゃあ無かったんだけれども。
「百合ちゃんが付けてくれたんでしょっ」
「さあ。天使の悪戯かな」
「セリフクサ~い! ぜったい百合ちゃん~っ」
わざととぼけつつ、ウインクしながら自分でつけた携帯ストラップを見せると、彼女は僕の肩をギュッと掴み揺すってその喜びを伝えてくる。酔いそうだけど、喜んでもらえたなら何より。
「高いものじゃあないし、このくらいだったら今日の思い出にプレゼントしてもいいよね?」
「うふふっ、お揃いだなんて……。……蘭ちゃんの件は許してあげようかなぁ?」
「んっ? なんだって?」
「ん~ん~。なんでもなぁいっ」
言って咲姫は緩みきった顔を振る。どうやらこれで今日の彼女の機嫌は取れたようだ。名誉挽回出来たかな?




