第二話 龍ヶ嶺追悼相撲大会
そして、追悼相撲大会の日が来た。
満月の夜、駅前の駐車場に作られた土俵には、大勢の観客が集まっていた。
テレビ局のカメラも入り、全国に生中継される大イベントとなっていた。
土俵の周りには、龍臣や七巳たち神社の関係者が並ぶ。
そして、土俵の四隅には、秘伝書に記された通り、塩が盛られている。「それでは、龍ヶ嶺追悼相撲大会、最後の取組を始めます」
アナウンサーの声が響く。
雷電が土俵に上がる。
白いまわし姿の彼は、まさに現役時代を彷彿とさせる堂々とした姿だった。「龍ヶ嶺権太郎殿」
雷電が天に向かって声を上げる。
「あなたの弟子の子孫、雷龍こと雷電豪太郎、ここに参上いたしました」
観客が静まり返る。
雷電が四股を踏む。
地を踏み鳴らす音が、夜空に響く。
一度、二度、三度、四度。
四股を踏むたびに、空気が震える。 そして、四度目の四股を踏んだ瞬間――
満月が、異様なほど明るく輝いた。
「!?」
観客がどよめく。
土俵の上に、白い霧が立ち上る。
そして、その霧の中から、龍ヶ嶺権太郎の姿が現れた。「龍ヶ嶺……」
雷電が呟く。
龍ヶ嶺は、生前と同じまわし姿で、土俵の向こう側に立っていた。
観客が息を呑む。
テレビカメラが、その姿を捉える。
だが、龍ヶ嶺の表情は穏やかだった。
怒りも恨みもなく、ただ静かに雷電を見つめている。「龍ヶ嶺殿、あなたの思いを、受け継がせてください」
雷電が構える。
龍ヶ嶺も、構えを取った。
両者が睨み合う。
一瞬の静寂の後――
二人が同時に動いた。
ぶつかり合う音が響く。 だが、それは普通の相撲ではなかった。
雷電と龍ヶ嶺の動きは、まるで舞のようだった。
技を繰り出し、受け止め、流す。
互いの力を確かめ合うように、ゆっくりと、しかし確実に。「これは……」
夜が呟く。
「相撲じゃない……儀式だ」
七巳が答える。
その通りだった。
雷電と龍ヶ嶺は、勝負をしているのではなく、対話をしていた。
力と力のぶつかり合いを通じて、魂と魂が触れ合っていた。 ――その時、異変が起きた。 龍ヶ嶺の動きが、突然激しくなった。
穏やかだった表情が歪み、眼光が鋭くなる。
「!?」
雷電が驚く。
龍ヶ嶺の身体から、青白い光が溢れ始めた。
「まずい……!」
龍臣が叫ぶ。
「月の力が……龍ヶ嶺を暴走させている!」 観客がざわめく。
龍ヶ嶺は、もはや人の姿を保てなくなっていた。
その身体が大きく膨れ上がり、龍の鱗のようなものが浮かび上がる。
まさに、龍に変わろうとしているのだ。
「龍ヶ嶺殿! しっかりしてください!」
雷電が叫ぶ。
だが、龍ヶ嶺の目には理性の光がない。
彼は咆哮し、雷電に襲いかかった。「危ない!」
七巳が悲鳴を上げる。
雷電が必死に受け止めるが、龍ヶ嶺の力は凄まじい。
人間の力ではない、まさに龍の力だ。
土俵が揺れ、周囲の空気が渦を巻く。
「このままでは……!」
大瓦が叫ぶ。
「誰か止めないと!」
白井が言うが、誰も動けない。
龍ヶ嶺の放つ圧倒的な力の前に、人々は立ち尽くすことしかできなかった。 その時――
「龍ヶ嶺殿!」
雷電の声が響いた。
彼は龍ヶ嶺の猛攻を受けながらも、決して倒れない。
そして、静かに、しかし力強く言った。
「あなたは……人間だ!」
龍ヶ嶺の動きが、一瞬止まる。
「龍の力を持っていても、あなたは力士だ。土俵を愛する、一人の力士なんだ!」
雷電が続ける。
「月に溺れてはいけない。あなたは地に立つ者なんだ!」
龍ヶ嶺の身体が震える。
青白い光が、徐々に弱まっていく。
龍の鱗が消え、人間の姿に戻っていく。
「そうだ……」
雷電が優しく言う。
「あなたは、ここに戻ってきたんだ。もう一度、土俵に立つために。もう一度、人として……」
龍ヶ嶺の目に、理性の光が戻った。
そして、彼は――
涙を流した。
「ああ……」
彼の口から、かすかな声が漏れる。
「俺は……龍になりたかったんじゃない……力士でいたかっただけなんだ……」
その言葉と共に、龍ヶ嶺の身体から青白い光が完全に消えた。
彼はゆっくりと、雷電の前に膝をつく。
「許してくれ……」
龍ヶ嶺が言う。
「俺は、力を求めすぎた……」
「龍神の加護を受けて、もっと強くなろうとした……」
「でも、本当は……ただ、土俵が好きだっただけなんだ……」
観客が静まり返る。
誰もが、龍ヶ嶺の言葉を聞いていた。 やがて、雷電が龍ヶ嶺を抱え上げる。
龍ヶ嶺の得意技だった「龍巻き投げ」の体勢だ。
だが、雷電は投げなかった。
代わりに、ゆっくりと龍ヶ嶺を土俵に下ろす。
「龍ヶ嶺殿……もう、いいんです」
雷電が優しく言う。
「あなたは十分に戦った。そして、今ここで、ちゃんと人として土俵に立てた。もう、休んでください」
龍ヶ嶺の目から、光るものが流れた。
涙だ。
彼は、ゆっくりと頭を下げた。
そして、その姿が徐々に薄れていく。
「ありがとう……」
龍ヶ嶺の最後の言葉が、夜空に響く。
「俺は……やっと、力士として死ねる……さようなら……」
雷電が手を合わせる。
龍ヶ嶺の姿が完全に消える前、彼は最後に笑顔を見せた。
満足そうな、安らかな笑顔だった。
そして、霧が晴れる。
土俵には、雷電だけが立っていた。 しばらくの沈黙の後、観客から拍手が起こった。
最初は小さな拍手だったが、次第に大きくなり、やがて万雷の拍手となった。
「ありがとうございました」
雷電が観客に向かって頭を下げる。 夜は、その姿を見ながら、目頭が熱くなるのを感じた。
「良かった……」
七巳が小さく呟く。
「ええ」
夜が頷く。
「龍ヶ嶺は、やっと安らかになれたんですね」
龍臣が満足そうに言う。
「そして、この町にも龍神の加護が戻ってくるだろう」
追悼相撲大会から一週間後。
月読峠は、また新たな発見で沸いていた。
龍ヶ嶺の秘伝書に記されていた稽古場の一つを調査したところ、地下から古い相撲の道具が大量に見つかったのだ。
まわし、化粧まわし、そして力士たちの手紙や日記。
それらは、明治時代の相撲文化を知る上で貴重な資料だった。
「また、町が賑やかになるね」
店主が笑いながら言う。
「そうですね」
夜が答える。
「でも、今度は良い意味で」
「ああ。龍ヶ嶺のおかげで、この町はもっと豊かになる」
店主が地図を眺めながら続ける。
「古地図が示すものは、ただの宝じゃない。この町の歴史であり、人々の思いなんだ」
「はい……」
夜が頷く。
そして、新たな地図を手に取る。
それは、今朝持ち込まれたばかりの地図だった。
神社の奥、山の中に何か印が記されている。
「これも、調べてみますか?」
夜が尋ねる。
「もちろん」
店主が笑う。
「君も、冒険が好きになってきたんじゃないか?」
「……否定はしません」
夜が苦笑する。
実際、龍ヶ嶺の一件を通じて、夜は自分の中に新しい感情が芽生えているのを感じていた。
未知のものを探求する喜び。
歴史の謎を解く興奮。
そして、困っている魂を救う充実感。
「先輩、準備できました」
七巳が店に入ってくる。
彼女も、すっかり地図探索のメンバーとなっていた。
「じゃあ、行こうか」
夜が立ち上がる。
「今度は何が見つかるかな」
「さあ」
七巳が微笑む。
「でも、きっと素晴らしいものですよ」
二人は店を出て、山へと向かう。
その背中を見送りながら、店主は呟く。
「龍よ、どうか今宵は月に溺れぬように……か」
彼は空を見上げる。
青い空に、薄く月が浮かんでいた。
「いや、違うな」
店主が微笑む。
「もう、龍は月に溺れたりしない。なぜなら……」
彼は、山に向かう二人を見つめる。
「この町には、龍を導く者たちがいるからだ」
その夜、龍臣は神社の社殿で祈りを捧げていた。
「龍神様、龍ヶ嶺権太郎の魂は無事に成仏いたしました」
彼が手を合わせる。
「そして、この町に新たな守護が生まれました」
社殿の奥から、微かに光が漏れる。
「どうか、この町と、ここに住まう人々を見守りください」
龍臣が祈り続ける中、社殿の奥で何かが動いた。
それは、巨大な蛇……いや、龍の姿だった。
化石として眠っていた蛇が、龍神の化身として蘇ったのだ。
龍は、ゆっくりと身をくねらせる。
そして、月に向かって咆哮した。
だが、今度は月に溺れることはない。
龍は、しっかりと地に足をつけたまま、天を見上げている。
「ありがとうございます」
龍臣が頭を下げる。
龍が、優しく龍臣を見つめる。
そして、再び社殿の奥へと消えていった。
翌朝、新聞には大きな見出しが踊った。
『月読峠、相撲の聖地として復活へ』
『龍ヶ嶺追悼大会、感動の幕切れ』
『古地図ブーム、さらに加速』
町は、新たな時代を迎えようとしていた。
そして、夜と七巳は、次の冒険へと旅立とうとしている。
土俵に宿った龍の記憶は、二人の心に深く刻まれた。
力と技、そして魂の対話。
それは、相撲という競技の本質であり、同時に人生の本質でもあった。
「先輩」
山道を歩きながら、七巳が言う。
「はい?」
「私、思うんです。この町の古地図って、ただの宝の地図じゃなくて……」
「魂の地図、だよね」
夜が続ける。
「この町で生きた人々の、思いや願いが込められた地図」
「はい」
七巳が頷く。
「だから、私たちはそれを探し続けないといけないんです」
「そうだね」
夜が微笑む。
「龍ヶ嶺みたいに、まだ救われていない魂がいるかもしれない」
「ええ」
二人は、山の奥へと進んでいく。
新たな地図が示す場所には、何が待っているのだろうか。
また新しい歴史が、また新しい出会いが、また新しい冒険が。
月読峠は、これからも多くの物語を生み出し続けるだろう。
そして、その物語を紡ぐのは――
この町を愛する人々なのだ。




