夜咲く花の香に招かれ来る者
いつも感想などなどありがとうございます。
大変励みになっております。
次回の更新は、12/5です。
初日からお土産やら美味しい屋台のお菓子を満喫してお宿に入ったんだけど、そこがまあ凄かった。
キリルさんおススメのそのお宿はコンセプトが隠れ家だけあって、ちょっとした豪華な民家という外見だったのに、中に入ってみると迎賓館もかくやな造りで。
用意された大家族用のコテージには、普通のお風呂の他に露天風呂が備え付けてあった。
前世と違うのは水着着用で入ることと、お湯の温度が低いこと。温泉というよりは温水プールって感じ。
勿論それも皆で楽しんだし、タラちゃんやござる丸もプールを満喫していた。ござる丸が茹で大根にならないか、紡くんが凄く気にして観察してたくらい。
夕飯もとても美味しかった。
マルフィーザは一応海に面した場所もあるんだけど、都は内陸。食卓に上るのはもっぱら山の幸。
気候が暑いものだから、スタミナをつけるためなのか、食欲を落とさないように刺激するためなのか、香辛料を使ったのが結構多い。だからと言って辛い物ばかりではないけど、辛い物の比重は大きいようだ。
ご飯の上にひき肉と細かく切った野菜を一緒に炒めてスパイスと魚醤で味付けした物を乗せたのがメインで、おかずは生春巻きというか薄くて透明な葉っぱで、塩漬けの魚や野菜を包んだ物を甘辛い味噌で食べる物、海藻入りの酸味のあるスープ、果物と葉物野菜のサラダ、スペアリブと芋の蒸し焼きなどなど。
ご飯の味はナシゴレンに似てた気がする。生春巻きのほうは、ライスペーパーじゃなくて、マルフィーザ特産の透明な葉物野菜で包んであるそうな。
全体的に今世初体験な味覚で、ちょっとびっくり。
食べなれない味も旅行の醍醐味だけど、デザートで出て来た果物は別だった。
菊乃井にちょっと前に入ってくるようになったマンゴーっぽいのやらバナナみたいなやつやら。それが出て来た。
原産地がマルフィーザ近辺だったらしい。
思わぬ繋がりに想いを馳せつつ、食後はゆったりと。
昼間の熱気を持ち越したままの、しっとりと蒸した空気の中に夜にしか咲かない花の香が入り混じる。
ヴィクトルさんに箏を習い出してから、一日も弦に触れない日はない。どんなに忙しくとも、仮令数分だとしても必ず練習する。
そうじゃないと感覚が指先から逃げていくのだ。旅行中も例外はない。
いつも使っている練習用の箏をロマノフ先生にマジックバッグに入れて持ってきてもらったんだよね。
それを出してもらって、コテージの庭に面した濡れ縁でつま弾く。
レグルスくんも横笛を唇に当てて一緒に練習していた。奏くん紡くんは練習を終えてお風呂に行っている。
先生達は晩酌。
掻き鳴らす箏は、レグルスくんの笛の音と共に静々と星月夜に溶けていく。
本日の練習曲は花の名前をタイトルに持つ曲だ。
その花は夜に特に強くなり、甘い香りが濃厚に漂うそうな。そんな性質から、その花は「夜来香」と呼ばれるようになったらしい。
歌詞自体は春の歌なんだけど、覚えようと思ったのは姫君様にいつか「箏の上達具合を見せよ」と言われたときのためだ。好いた惚れただもんね。他のレパートリーは「蘇州夜曲」しか今のところない。
他の曲を箏でどう弾けばいいか解らないんだよね。
この二曲に関しては偶々前世で箏での演奏を聞いたことがあったのと、ユウリさんがこの二曲を知っていたから再現出来ているに過ぎない。
そんなことをつらつら考えつつ、弦を爪で弾く。
と、横笛を吹いていたレグルスくんの眉が僅かに動いた。
探るような気配と同時に、足元で遊んでいたタラちゃんとござる丸も気配をゆっくり夜に紛れさせる。
感じるのは、何かが庭を目隠しするように植えられた植物に触れ、身じろぎするような拙い気配。隠す気はあれど、隠せていない。そんなような。
「あにうえ、どうする?」
笛を口から離して、レグルスくんが問う。
放っておいても構わないのだけれど、あちらはどうしたいだろうか?
感じる気配は知っているとも知らないとも言い難い、微妙な関係の人の物で。
特段夜分に尋ねられる理由がこちらにはないし、それを受けねばならない理由もない。だからこそのレグルスくんの「どうする?」という問いかけなのだろう。
この場から叩き出すか、あちらから立ち去るのを待つか、それとも姿を現すことを許すのか。そういうことだ。
少し考えてレグルスくんに視線をやると、ひよこちゃんは瞬きを一つ。それから笛をまた吹き始める。
私は大きく息を吐き出した。
「覗き見が目的なら去りなさい。今なら不問にしましょう。何か用があるなら今すぐに姿を見せなさい」
僅かな圧を声に乗せれば、植え込みの枝が揺れる。立ち去る気はないようで、遠くにあった枝の揺れがこちらに近付いて来た。
この期に及んでは逃げ隠れしないってことだろう。
隠れたところでどうにもならないし、害もない。お風呂中の奏くんや紡くんが飛び出してこないし、元より晩酌中の先生方が動かないのもそのせいだな。つまり何をしようと取るに足りないってことだ。
その状況が分かっているやらいないやら。
濡れ縁のすぐ近くの植え込みが揺れると、宵闇に紛れた侵入者の朧な姿がゆっくりと見えて来た。
それはまだ昼の暑さを引きずる湿った夜には不似合いな長袖のシャツの少年で。
やはりなと思いつつ、もう一度。今度は侵入者に解るように大きなため息を吐いた。
「もう少し薄手の物を着ないと、また昼間のように倒れますよ」
「あ……いや、これ以上薄手の物を持ってきていなくて」
ルマーニュは夏でも寒いゆえ。
付け足された言葉に、思わず眉を寄せる。
「ルマーニュからマルフィーザに来て暫く経つのでは? その間どうしておられたんです?」
「この宿にいれば、外とは違って快適なので。今日は偶々長時間の外出をしないといけなかったのです。それで……」
「そうですか」
彼が神妙なのは私が誰であるか知ったからなのか、そもそもこういう人なのか、まだ判別がつかない。
朝、ルマーニュ王国ユレンシェーナ伯爵家嫡男ニルスと名乗った彼。
対面して一瞬、目があったと思ったら逸らされる。彼の全身からは怖れと緊張が感じ取れる。
その彼に、私は「それで?」と問いかけた。
「何の御用で? 迷われた……ということは無さそうですが」
箏をつま弾く手も止めなければ、レグルスくんの笛も止まらない。
ややあって、ニルスさんがこちらを見た。
「箏と笛の音と歌が聞こえたので、どなたがこんなところで……と」
「そうでしたか。それはお寛ぎのところを、お邪魔しましたね」
「いいえ……! その、気鬱を慰められたので、お礼をと」
そう思って来たら、私達だったわけか。それはお気の毒な。
途中から気配を消そうとしてたんだから、その辺りからいるのが私達だと気付いたんだろう。
でも彼は近付いて来た。お礼は終わったなら、それで立ち去っても構わないだろう。だけど彼はまだ私達の前にいる。
さて?
「お礼はいただきました。貴方の慰めになったなら重畳。で?」
「え?」
「まだ何かあるのでは?」
ちょっと意地の悪い対応をしてみる。
すると彼の抱く恐れが、ほんの少し不穏な方へ……怒りへと変化したのか、表情こそ変わらないけれど握られた拳にきゅっと力が籠った。
レグルスくんの目が、僅かに鋭くなる。
「恨み事でも言いたくなりましたか?」
「ッ!?」
「ルマーニュ王国は大変なのになぜお前たちはそんなに安穏としていられるのか、と」
私の言葉に一気にニルスさんの表情が変わる。
眉も目も吊り上げ、如何にも憤怒という感じに見えた。けれど、握り込んだ拳に更に力を込めた彼は、唇をかみしめながら首を横に振る。
「いえ、貴方方にルマーニュ王国の現状は関係ありません。現に帝国は菊乃井領で確立された感染症対策をルマーニュ王国にも提示しようとした。それを受け入れなかったのは、わが国だ! この怒りは、不甲斐ない自分への物です!」
「おや? 朝に睨まれたと思ったのは勘違いでしたか?」
ダメ押し。
レグルスくんの視線が、益々鋭くニルスさんに向けられる。
この子は私に向けられる敵意にも厳しいけど、嘘にも厳しい。
レグルスくんの偽りを許さぬ目に、ニルスさんが首をまた横に振った。
「貴方と我が身を比して、この身の情けなさに耐え切れなかったのです。それで睨むような真似を……。失礼なことを致しました」
非礼をお許しください。
素直に下げられたニルスさんの頭の旋毛に、私もレグルスくんも毒気を抜かれた。
ダメだな、こちらもちょっと過敏になってたかもしれない。ルマーニュ王国にはやはり潜在的な苦手意識がある。
箏を弾く手を止めると、レグルスくんも笛を止めた。
二人で顔を見合わせて苦笑いすると、まだ頭を下げたままのニルスさんを見る。
「とりあえず、頭を上げてください。私達はお互いに話すべきことがありそうだ」
お読みいただいてありがとうございました。
感想などなどいただけましたら幸いです。
活動報告にも色々書いておりますので、よろしければそちらもどうぞ。




