その37 幻聴
「ほら、フェラっち受け取れ!」
「誰がフェラっちだッ」
中田先輩が、歯噛みしながら叫ぶ。
「おいおい、中田氏のことフェラっちって呼ぶの止めてやれよ!」
「まったくもう……」
絶妙なコンビネーションでいじられる仲間を眺めながら、日比谷康介は苦い表情を作った。
雅ヶ丘高校の裏門前。
すぐそこにあるコンビニから、次々と物資が運び込まれている。
簡単な仕事だと思った。
短い距離を行ったり来たりしている仲間を、ぼんやり眺めているだけなのである。
現場を指揮しているのは麻田剛三さん。
戦闘要員としては、今野林太郎、君野明日香、それに自分が選ばれていた。
「はぁぁぁ。私もセンパイと一緒が良かったなあ」
得物のスコップを肩に抱えながら、明日香がため息を吐く。
「まあまあ。そう愚痴らないでください」
センパイたちは今、“キャプテン”に向かっているはずだった。
いつ“ゾンビ”の群れに出くわすかもわからない向こうに比べ、こちらはかなり安全である。
万一襲撃があっても、裏門まで引っ込んで、安全地帯から“ゾンビ”を仕留めれば済む話だ。
今日一日で、コンビニの中のものは根こそぎ回収する予定であった。
賞味期限が過ぎて久しい牛乳でも、加工すれば飲めるのではないかという意見が出たためだ。
そのうえ、学校のフェンスを補強する計画も持ち上がっている。
それに使うため、コンビニの棚まで取り外す必要があった。
戦闘要員よりも、そうした作業を行う人たちの方が大変そうな具合である。
一応、仲間たちに手伝いを申し出てはいた。
何人かの仲間は、徹夜でバリケードの構築作業を行っていることを知っていたためである。
だが、
「君たちは我々の命綱なんだ。もしもの時のために、体力は温存しておいてほしい」
だ、そうで。
まるで彼らは、“ゾンビ”殺しを押し付ける後ろめたさを、必要以上にキツい作業目標を自らに課すことによって誤魔化しているかのようでもあった。
まあ、それは別に、構わないんだけども。
さすがに、なんにもしないでぼーっと突っ立ってるだけっていうのも……、
「暇だな」
「ふぁぁぁぁぁ。こんなことなら、漫画持ってきたらよかったー」
林太郎も、大あくびをしている始末だ。
「漫画に夢中で“ゾンビ”が近づいてるのに気づかなかったらどーする」
「だけどさー。うー。やっぱ俺っちも、センパイと一緒が良かったなぁー」
「なんでもいいが、くれぐれも油断しないようにな」
「だいじょーぶだって。何せ俺らには、センパイ仕込の技がある」
からからと笑う林太郎。
「なあ。それより次に襲ってくる“ゾンビ”、女か男か、賭けないか?」
深い嘆息。
「……勝ったら何をもらえるんだ?」
「そーだなー。センパイのキスとか」
顔をしかめる。
「センパイが許してくれるわけがない」
「そーか? いっぱいお願いしたら、なんとかなるんじゃね?」
「いっぱいお願いしなきゃならない時点で、ご褒美になってねーだろ」
「それもそっか」
言って、またからからと笑う林太郎。
「ま、いいや。じゃ、ガム一個で」
「乗った」
「じゃ、俺っちは女な」
「……こっちは男か」
「実際、どっちの“ゾンビ”が多いんだろーな?」
「さーな。やっぱり女“ゾンビ”の方が多いんじゃないか? 男の方が力も強いし、逃げ足が速い。ここ以外の生き残りも、男が多いはずだ」
「俺らの学校には、強い女が多いけどな♪」
「確かに」
二人揃って、笑い合う。
まさか、“ゾンビ”が歩きまわる街角で、こんなくだらない会話をする日が来ようとは。
センパイと出会ったあの日まで、考えられなかったことだ。
「なあ、コースケくん」
ふと、康介に話しかける声。
振り向くと、一際背の高い男前が、こちらを見下ろしていた。
中田日出利。同じ学校に通う二年の先輩だ。
「どうしました、フェ……ヒデトシさん」
この男、少し前に三股をかけていたことがバレた件で、女子から槍玉に上げられらしい。
それ以来、みんなから「中田氏」あるいは「フェラっち」などという不名誉なアダ名で呼ばれていた。
「君からも、一言注意してもらえないか? 悪ふざけが過ぎる」
「悪ふざけ、というのは……」
「もちろん、僕を妙なアダ名で呼ぶことだよ! ふぇらだとか、なんとか!」
「ああ……」
康介は視線を逸らす。
正直も言うと、例の一件に関しては、康介も陰で笑ったことがあるのだ。
ただ、こうした状況下で妙な気分が高まるのも、無理からぬことではある。
「許してやってください。みんな冗談に飢えてるんですよ」
「そうかもしれんがねぇ。僕にだって、我慢ならないこともある」
「人の噂もなんとやら、です。そのうち収まりますって」
「七十五日も我慢できないよ!」
確かに、と、乾いた笑いが漏れる。
「そーはいうけどさあ。中田先輩が、手当たり次第に手ぇ出すから悪いんじゃねーの?」
見かねた林太郎が口を挟んだ。
すると、中田先輩が憤慨しながら、
「僕は、これでも気を使ったんだぞ! みんな、向こうから擦り寄ってきたんだ。自分から……その、そういう行為を求めてきたんだ。僕は、突き放すのも可哀想だからそれに応じただけだ」
「そりゃまあ、そうかもしれねーけど……」
「いいかい。ハンサムなのは何も、僕の責任じゃない!」
ああ。
やっぱりこの人、自分が男前なの自覚してたんだ。
康介は数秒だけ目を閉じて、こういうとき、センパイならどういう判断を下すかを考える。
結論は、あっさりと出た。
「……ヒデトシさんの言い分、よくわかりました。俺、みんなに注意します」
センパイなら、きっとこうするはずだ。
一瞬だけ「うわー、面倒だなあ」って感じの顔はするだろうけど。
「そ、そうか……。よかった。助かるよ」
中田先輩の表情が緩む。
「英雄の君に言ってもらえたら、きっとみんなも黙りこむさ」
「よしてください」
瞬間、康介は心底不快そうに眉をひそめた。
「俺は、決して英雄なんかじゃない」
言って、ぷいっとコンビニ奥で作業中の友人たちのもとへ向かう。
みんな、根は良い奴だ。
一言二言言ってやると、あっさり納得してくれた。
これでいい。
深く嘆息しながら、康介は持ち場に戻る。
最近、この手の相談事が増えている気がしていた。
危機的な状況下、例えばグラグラ揺れる吊り橋の上では恋心が芽生えやすいと聞くが、まさしくその通りだと思う。
康介の知る限り、避難民同士でぽこぽこカップルができているのだ。
以前、コンビニからコンドームをこっそり持ちだしたことがある。
あれは、そうしたカップルに配るためだった。
こんな状況で、未成年女子の出産なんて、冗談じゃない。
それは、雅ヶ丘高校にいる避難民の総意だと思う。
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異変が起こったのは、それから数分後であった。
「わ、うわ……うわああああ!」
悲鳴。
康介たちの持ち場の反対側だ。
幼なじみの竹中勇雄が見張りに立っているはずの場所。
瞬間、友人と過ごした日々が走馬灯のようによぎって、康介はバネ仕掛けのように駆ける。
声がした場所では、一匹の女性“ゾンビ”に覆い被さられた、勇雄の姿があった。
「――ッ!」
康介は全身の力を込めて、“ゾンビ”の顔を蹴りあげる。
『ウォ、――オオオオオオオオオォ……』
引き離された“ゾンビ”の両手が空を切った。
その次の瞬間には、いつの間にか追いついていた林太郎が、サバイバルナイフを正確に突き刺している。
センパイ仕込のコンビネーションである。
「はっはは! 賭けは俺っちの勝ちだな!」
こんな状況でも、林太郎の調子は変わらない。
「勇雄……ッ! おい! 大丈夫か!」
慌てて助け起こすと、細身の友人は力なく笑った。
「すまん、ドジった……」
「怪我は? 噛まれてないか!?」
「ああ……それは大丈夫だ。けど、危なかった」
見ると、勇雄の服の一部がビリビリに破けているのが見える。
なるほど、間一髪だったらしい。
遅れて、明日香も駆けつけた。
「えっと。私がトイレ行ってる間に、何か?」
「大丈夫……もう大丈夫です」
どうやら、勇雄は一人きりだったらしい。
「まったく、……何をボーッとしてた!」
いかに仲の良い友達と言えど、ここは怒らなければならないところだ。
道は広い。“ゾンビ”の接近にも、十分気づく余裕があったはずだ。
「お前一人の不注意で、他の人まで迷惑がかかるんだぞ!」
「すまん。……マジで、すまん……」
そういう勇雄は、明らかに様子がおかしい。
旧来の付き合いによる勘で、康介は眉をひそめた。
「何かあったのか?」
「何も……。何も起こってない。本当に、」
瞬間、言葉を切って、
「――うるさい、黙れ!」
唐突に、勇雄が声を荒らげる。
康介の知る限り、この男がそんな風に振る舞うのは、これが初めてだった。
「大丈夫。もう大丈夫だ」
林太郎も、明日香も、同じ表情をしている。
「とてもそんな風には見えんぞ……」
「悪い。……でも、声がしたんだ」
「声?」
「幻聴だ。……でも、収まった。今は聞こえない」
アスファルトの地面に座り込みながら、勇雄は頭を抱える。
「俺、おかしくなっちまったのかな? “武器をとれ”“武器をとれ”って。……何度も何度も、聞こえるんだ」
「……問題ないさ。少し疲れてるだけだ。だろ?」
「ああ……そうならいいんだけど」
竹中勇雄は、はっきりと憔悴した顔をこちらに向けて。
「ハハハ。……コースケ。俺、やっぱダメかもしんない」
「どうした?」
「こんどは、“レベルが上がった”ってさ。そうはっきりと聞こえるんだ。……はっきりと」




