その305 鏡の国
ひょいと”扉”を覗き込むと、向こう側は静かなもので、”ゾンビ”一匹見当たりません。
そこはどうやら、都内の交差点に見えるところ……その、ド真ん中のようでした。
「これは……」
「渋谷、――だね。スクランブル交差点。ひひひ」
即答するナナミさん。”終末”の前にはよく来ていたのかも知れません。
私はその、灯の消えた屋外ビジョンを見上げて、
「ああ、そっか。これ見たことある。一度、オシャレなハンバーガー屋さんに行ったことがあるんです」
「ファットバーガーのこと? ひひひ。私もあそこ、好き。おいしーよね」
「あはは」
私にはちょっとオシャレすぎてお尻が痒くなった……という話をわざわざする必要はありますまい。
「けど、なんだか違和感があるような……」
「そりゃそうさ。扉の向こう側は鏡映し。左右反転になってるからね」
「ああ、どおりで」
向こう側は、こっち側の世界の”劣化コピー版”なんでしたっけ。
私は念のため、くしゃくしゃに丸めたメモ書きを放り込んでみます。が、特に何も変化なし。ぴゅうぴゅうと風が吹きすさぶ廃都に、紙くずが転がっていくだけ。
「異常なし、と」
「よし。じゃあ、入るよ」
「了解」
何となく副リーダー的に応えて、ナナミさんを見送ります。
ナナミさんはカメラを構えたまま、ぴょんと向こう側に一歩、足を踏み出しました。
そして、”扉”をまたぐような格好になって、
「へっへっへ。いま、――私は、世界を股にかけている!」
愉快な人ですこと。
人が行き来しても特別、――何かが起こるわけではないみたい。
私、舞以さん、蘭ちゃんの順番でそれに続きます。
「実績報酬……すら、ないようですね。こっちに来ただけでは」
「確かに。それくらいありそうなもんだけど」
久々に、例の幻聴さんの台詞が聞けると思ったのに。
私たちはいま、鏡写しの世界にある渋谷の、スクランブル交差点のド真ん中に突如出現したような格好。
周囲には、渋谷駅前の広場に、道玄坂へと通じるガード、各種屋外広告が並ぶビルが見えました。
広告は見たところ全て鏡文字ですが、特に時代を感じさせるようなこともなく、表示されている電化製品はすべて最新のもののようです。
天気は、どこまでも続く曇天。
「それで、今後のご予定は?」
「特になし。撮れ高探して、あっちこっち」
ふうむ。
その”撮れ高”って、具体的にどこに落っこちてるもんなんでしょう。
「ワンチャン、生きてる人とかいたらサイコーなんだけどなあ」
「それは、ないと思います」
口を挟んだのは、七裂蘭ちゃん。
「”扉”の向こう側はすでに五度、”守護”の手で調査しました。結果、意思疎通ができそうな人は見かけられませんでした」
「それはどうかしらん。案外、地下とか、シェルターに逃れた人がいたりとか」
「それも考えられません。――もし生きた人がいるなら、大量殺人の影響でトオルのカルマが地の底まで落っこちているはずやし」
「それだって、異世界人はいくら殺しても影響なし、って判定なのかも」
「それは……」
「だいたい、これまでがそうだったからって、これからもそうだとは限らない。そうでしょ?」
「………その通りですが」
「それに、カルマの変動だって、トールって人が黙ってるだけかも」
「トオルは、……そんなやつじゃありません」
「どーだかねー♪」
言葉に詰まる蘭ちゃん。
どうも私には、それをここで議論しても仕方がないように思えるのですが。
話題の軌道修正をするつもりで、
「ところで、もしその撮れ高というのに恵まれなかったら、動画はどうするおつもりでしょう」
「そうなったら。……どうしよっか。気晴らしに、その辺の建物をめちゃくちゃにしてみたりする?」
「あんまり無意味な魔力の消耗はやりたくないですね」
それだけ、無駄にリスクを背負い込むことになりますし。
私たちは、四方に広がる大通りをぐるりと見回して、
「じゃあ、とりあえず動きましょうか。その……”撮れ高”を捜しに」
「うん。とりまー、ハチ公観に行こうよ、ハチ公」
特に異存もなかった私たちは、彼女の言葉に従うことに。
▼
結果、わかったこと。
”ゾンビ”たちにとってのハチ公像は、特に集まる価値のない観光スポットだったようで。
「まさか、”ゾンビ”の群れとの対決にもならないとはなぁ」
少ししょんぼりした表情でハチ公像をビデオに収めるナナミさん。
「コレ、あとで台座ごと持って帰ろう。ぴかぴかに磨いて、部屋に飾るんだ」
道中で見かけた”ゾンビ”は、ほんのちらほら。
その大半が、高所から落ちたとか、そういう理由で身動きが取れなくなった個体ばかりで、張り合いがないったらありゃしません。
「普段なら”ゾンビ”をぶっ殺すシーンは繋ぎにいいんだけど。ド派手な殺戮シーンは、さっきニャッキーがやってくれたからなぁ」
「これ、最終的にその、撮れ高なしってオチになるのでは?」
「まあ……期待させて肩すかしってのは、この手の突撃系企画にはよくあるやつなんだけど」
大冒険を求めて夜歩きに繰り出したはいいものの、猫一匹出くわさない。
そんな感じでした。
とはいえ、少し不思議そうな顔もあります。
”守護”の一人、――七裂蘭ちゃんでした。
「……うーん。……これやっぱり、おかしい」
「どうしたんです?」
「”ゾンビ”が少なすぎるんです。いくらなんでも」
「良いことじゃないですか」
「考えられないんです。渋谷の交差点といえば、……覚えてませんか? 最初に”ゾンビ”が発生した区域ですよ」
ああ。
そういえば、そんな話を、どこかで聞いたような。
「元の世界でも、あそこは”ゾンビ”が多すぎて立ち入りできないっていうのに……おかしくありません?」
「そういわれても、……それはただ、この世界がそういうところだから、というだけでは?」
「なら、ええんですけど」
渋い顔つきの彼女には、どうも考えがある様子。
「ねえ、ナナミさん」
「ん?」
「次の目的地、――ウチに決めさせていただいてもよろしいでしょうか」
「別に良いけど。どこがいい?」
「いったん、高いところから都内を見下ろしてみたいんです」
「ふむ。そうなるとあそこか」
「ええ。こっからなら、歩きで一時間もかからんはずです……東京タワーは」




