その273 地下探索
包囲されているといっても、”ゾンビ”に戦略的な知恵が回るわけではない。
連中はただ、目に入った人間を自動的に追尾し、噛みつくだけだ。
動きそのものは、テレビゲームのザコキャラのように単調で、躱すことは容易い。美言のような娘からすれば、”ゾンビ”になった人は、なぜこのように鈍重な連中に噛まれたのか不思議なくらいだ。
だが、決して油断できる相手でないことは確かである。
「――……おまえ、はしれる?」
美言は一応、訊ねた。瑠依の運動能力の低さは、この道中でよくわかっている。
「一人では何もできない」と本人が言うとおり、彼女はまったくの無能であった。
まるで身体のどこかに、大きな怪我でもしているような鈍さである。
まあ、瑠依は見たところ小学校低学年くらいだし、無理もないかもしれないが。
「うん。少しなら、大丈夫。走れるわ」
「じゃ、ついてきて」
美言は、素早く部屋の出入り口までの最短ルートを頭に思い描き、そこに至るまで二匹の”ゾンビ”を始末せねばならないことを予想する。
そして念のため、二つ目のプラン、――来た道を戻るルートも考えた。
ただしできれば、こちらは選びたくない。すでにドアの開閉音に引き寄せられていた”ゾンビ”が、四匹ほどたむろしているためだ。
「いくよ」
「お願い」
そして美言は、足音を消しながら駆ける。
――20さいくらい。わかい男。左足をひきずってる。
視界はせまい。棚に挟まれた通路の幅は、およそ二メートルほどか。通り抜けることは難しいだろう。
眼前の”ゾンビ”は、お馴染みの空気を掴むようなポーズでよたよたとこちらに向かってきていた。
『ヴおおおおお……うおおおおおおお!』
仲間を呼ばれた。これは予想の範疇。
投げナイフを一本、スカートから引き抜いて、右側の棚を蹴って跳躍。そのまま反対側の棚に飛び乗り、”ゾンビ”の視界から一瞬、逃れる。
瑠依を一瞬だけ囮にして背後に周り、頭蓋骨下部にある脊髄を通すための孔を突き、脳を破壊する。……つもりであったが、
「――!?」
何故だかその”ゾンビ”、瑠依にはあまり関心を示さない。
奴はそのまま、夢中で美言の右足にむしゃぶりつこうとした。
「ちっ!」
想定外の動きに、美言は咄嗟に身体を捻り、飛び乗った棚から転げ落ちる。スカートに収めた投げナイフがちゃきちゃきと鳴った。
「美言、――おねえちゃん!」
瑠依が悲鳴を上げる。
美言はとっさにナイフを一本取り出し、それを仰向けの姿勢で投げた。
額にナイフを受けた”ゾンビ”は一瞬で事切れて、酔っ払いのように黒幕が詰まれた棚に寄りかかる。
――くそ。投げたくなかった。
これから、何を相手にするかもわからないのに。
もはや、ナイフを回収している時間はなかろう。
もう一匹の”ゾンビ”が接近している。
――女。三十代。頭蓋が半分欠損。
こっちは簡単だった。”ゾンビ”としても、すでに死にかけているためだ。
空いた頭骨の穴にナイフを突っ込んで、ちょっとかき回してやるだけで終わる。
美言は、”ゾンビ”の膝裏を軽く蹴ってやって、がくんと足を折った瞬間を見計らい、それを行う。まるで、プロの料理人が卵をかき混ぜるような手つきで。
彼女の仕事は鮮やかで、一瞬だった。
「あなた……思ったよりスゴイのね」
「とうぜん」
「たまたま、あなたに声をかけて良かったわ」
「とぉーぜん」
”ゾンビ”殺しの手際に関しては、雅ヶ丘でもずいぶんと褒められたものだ。
誰一人として、――自分のようにできた者はいなかった。特別な力を与えられた者を除けば、だが。
そして二人は足早に倉庫を出るべく、ドアノブに手をかける。
その時だった。自分が決定的な過ちを犯したことに気付いたのは。
扉を開けた先の廊下には、――数え切れない”ゾンビ”がひしめき合っていたのである。
一瞬、彼らの白く濁った目玉と目が合って。
『ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!』
『グ、オ、オ、オ、オ、オ、オ、オオオォォォォォォ』
『ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』
「やっば……!」
慌てて扉を閉めようとした時には、もう遅かった。
連中の力は人間の膂力を遙かに超えて、高い。
締め切れなかった扉はすぐに破られ、美言たちは後退をよぎなくされる。
「にげるよ!」
そう美言が叫ぶと、瑠依も頷く。
戻りに待ち構えている”ゾンビ”四匹の対処に、迷っている暇はなかった。
慌てず、騒がず、丁寧に、投げナイフを一本ずつ連中の額に投げつけていく。
あっという間にナイフの在庫は半分以下になってしまった。
内心、歯がみする。
なぜ自分はこんなにも弱いのか。
――もし私が、”プレイヤー”だったら……。
仕留めた四匹の死骸を飛び越えて、部屋に入る前に使ったドアを開ける。
扉を閉めると、追いかけてきた”ゾンビ”たちがそれを激しく叩いた。
――やばいぞ。この音でもっと集まってくる。
問題はもう一つあった。
連れの様子がおかしいのである。
瑠依は人形のようだった顔を、苦しげに歪めていて、
「なにこれっ……どういうこと」
「?」
「いまのあの廊下、――”無限湧き”のゲートがあったわ! だからここ、閉鎖されてたのね。……でも、やっぱりへん。こんな報告、受けてなかったはずなのに」
「じゃ、あれだ。あんたは仲間にとって、ステゴマってやつだったんだ」
その口ぶりは、我ながら冷たい。
自分の無力さに対する八つ当たりも含まれていた。
「――す、捨て駒ですって……?」
「おまえ、自分でも言ってたでしょ。『何もできない』って。だからこんな、むずかしい仕事を任せられたんだ。いつ死んだってかまわないから」
絶句する瑠依に、美言はたたみかけるように言う。
「だからおまえは、ここで絶対におたからを手に入れて、その、クソみたいな仲間を見返さなきゃいけないのよ」
「……」
「おたからの道! 他のルートは!?」
人生、どれほど嫌なことがあってもこんな風にはドアを打たないだろうという音が、廊下を反響している。
案の定、突き当たりの曲がり角から、ゆっくりとした足取りで数匹の”ゾンビ”が姿を現わしていた。
「く、くそ。……こんなチビに、……子猫を叱るみたいに……」
「チビはおまえだろう。……それで? 他の道はわかるの?」
「わ、わかるわよ……! かなり遠回りになるけど!」
「じょーとー」
もはや、あちこちから”ゾンビ”のうなり声が聞こえている。
テーマパーク地下に隠された秘密の迷宮。
少女たちの探索は続く。




