その26 ただいまー
血の池地獄と化したドラッグストア前を抜けて、私は商店街を走っていました。
『ぉおおおおおおおおおおおお……』
と、四匹の“ゾンビ”が眼前に立ち塞がります。
人を喰らう屍を前にして、自分でも意外に思えるほど、恐怖を感じません。
ただ、「いける」という実感だけがありました。
「――ッ!」
祖父の形見の日本刀を、軽く握りしめます。
今ではそれを、自分の身体の一部のように感じることができていました。
刀を通して、ものに触れることができていました。
自分の手の届く範囲を、感覚的に知ることができるように。
私は、最小限の力で刀を振るいます。
まず、手前にいる“ゾンビ”から。
その額を、掠めるように。
たったそれだけの動作で、頭蓋の一部を裂き、脳の破壊に成功します。
続けてもう一匹。
上段に構えた刀。その腹で撫でるように。
次、間髪容れず、眼球に突き。
最後。脳天目掛けて一撃。
ぱぁんと景気のいい音がして、“ゾンビ”の頭蓋が完全に破砕しました。
「……よしッ」
小声で呟きます。
《剣技(中級)》のスキルを得た今の私にとって、もはや“ゾンビ”は敵ではないように思えました。
……まあ、そんなふうに調子乗ってたら、いずれ痛い目みそうですけども。
何より、連中には一撃必殺の噛みつき攻撃があるわけですしね。
慢心、ダメ、絶対。
とはいえ、昨日は千里の道に思えた学校までの道のりも、いまでは軽く散歩コースの心持ち。
道中の“ゾンビ”を積極的に仕留めることはしませんでした。
今の最優先事項は、とりあえず学校への帰還を果たすことです。足の遅い“ゾンビ”どもにかまけて取り囲まれでもしたら、それこそ笑い話にもなりません。
全体、街にいる“ゾンビ”の数は多くないように思えました。“キャプテン”に集まっていた連中は、うまいこと街のあちこちに散らばってくれているようです。
ただし、やはり学校に生者が存在していることには“ゾンビ”たちも気づいているらしく。
徐々に、切り抜けなければならない“ゾンビ”の数が増えていきました。
学校の正門にたどり着いたころには、十数匹の“ゾンビ”の群れに追われる形になっています。
とりあえず、正門に張り付いている、二匹の“ゾンビ”を瞬殺。
同時に、私はできるかぎり大声で、
「誰かいますか?」
と訊ねます。
すると、
「……センパイ?」
門の後ろから、少年の声が。
痩せっぽちの竹中勇雄くんが、文庫本を取り落としているのが見えます。
「嘘だろ……すげえっ。さすがセンパイだっ。俺、昨夜の花火観ました。やっぱり無事だったんすね!」
「話は後っ! さっさと開けてください」
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってください……」
そこで私の背後に迫る“ゾンビ”に気がついたのか、竹中くんは慌ててポケットをまさぐります。
「俺ら、センパイがいつ戻ってもいいように、全部の門に見張りを立ててたんす……」
御託はいいので、早くしてほしいところ。
「えーっ、あーっ。あったあった! 待っててください! すぐ開けます!」
その頃には、“ゾンビ”たちはかなり肉薄していました。
あーっ。もう。
まだるっこしい。
私は、最も足の速い“ゾンビ”の脛を峰打ちで払って、その頭部をぶった斬ります。
そして、膝をついている“ゾンビ”の肩上を踏み台にして、棒高跳びの要領で思い切り跳ねました。
正門の高さは三メートルより少し高い程度でしょうか。
私はそれを、一飛びで乗り越えます。
「――ッ!?」
鍵を半ば門に差し込んだまま、呆然とした表情で固まっている竹中くん。
「ただいまー」
「えっ……あっ……ハイ。……ドーモお疲れ様でした、センパイ」
ぼんやりとした返答。
一拍遅れてから、竹中くんはいつもの調子を取り戻したらしく。
「みんな心配してましたよ。俺も、寝ずの番です」
「あら、そうだったんですか。なんか悪いことしましたね」
「とんでもない!」
竹中くんは心底驚いたような口調で言います。
「俺、センパイやコースケと違って戦えないですから。この程度はやらせてください」
いやまあ。
彼が寒空の下で凍えている間、私『コ●ン』読んでたりしてたわけですし。
そう思うとちょっとだけ罪悪感。
「で、康介くんのご両親は?」
「三人とも無事です。康介に会ってください……きっと大喜びっす」
「はあ」
私としては、やるべきことをやっただけで、大した実感はないんですけど。結果的にですが、良い思い(お風呂)もできた訳ですし。
まあ、知らないおっさんのちん●ん見せつけられる羽目になったりもしましたけど。
「その後、他に何かありました?」
「ええっと、大したことは。……あっ、でも、小さい事件が一つだけ。センパイは中田ってやつ、覚えてます?」
「中田……中田。うーん、そんな人いました?」
新キャラかな?
「一応、センパイとも顔合わせてたはずですけど。ちょっとシュッとした感じの男前で……背の高い」
「その中田くんが、どうかしました?」
「先週から、三人の女子それぞれにシャクさせてたらしくて、女子勢から袋叩きにあいました」
「……? シャク?」
「シャクってのはその、尺八のことす」
……尺八?
中国を起源とする伝統的な木管楽器の話題が、何故ここで?
よくわかりませんが、なんか男女の諍い的なことが起こったとか、そういうことでしょうか。
「公然とリンチが行われた、と? 穏やかじゃないですね」
「ああ……いやいや。そういうんじゃなくて。あ、でも一発くらい平手打ちはもらってたかな……とにかく、批判の的になったって意味です」
「なるほど」
「俺たち男子からすると爆笑案件ですけど。『中田氏なのに口でさせんのかよ』っつって」
はっはっは、と快活に笑う竹中くん。
そこでようやく、彼の言葉の真意を察します。
さすがに顔をしかめました。
「……そういう話って、あんまり女子に対して、喜々として話すようなことではないのでは?」
すると竹中くんは、慌てて弁明のような何かを始めます。
「あー、いや。でも、俺が知る限り、事件っつったらそれくらいしか……」
なるほど。極めて平和だった、と。
「それになんか、センパイってそういう話題でも気軽に受け止めてくれそうなオーラ、あるじゃないですか」
どういうオーラでしょうか。
っていうかそれって、褒められてるんですかね?
「ほら、センパイってちょっと、精神的に男子っぽいとこあるし」
がーん、がーん、がーん……。
その言葉に、私は静かに傷つきました。
「だ……だだだだ、男子っぽい……?」
「ああ……っ。えーっと。違うんです。俺、センパイはすっごくチャーミングだと思ってて……。でも、なんつーか、自由なメンタリティを備えてる感じががするっつーか、男友達みたいになんでも話せちまうっていうか。あーくそ、俺、なんでこんな話してんだ……」
どうやら、竹中くんも混乱しているようで。
「とにかく、そういう話しやすいとこも含めて、俺、センパイのことが好きです。……ええと、もちろん、みんなもそう思ってると思います」
竹中くんは必死にフォローしてくれている様子ですが、大した慰めにはなりませんでした。
私は深く嘆息した後、校舎へ足を向けます。
ふと、竹中くんが先ほどまで読んでいた文庫本が目に止まりました。
太宰治の、――『人間失格』。




