その17 助けるか見捨てるか
竹中勇雄くんが、マーケット“キャプテン”の屋上に人影を見たのは、今から十数分ほど前。
彼が見たのは、康介くんのご両親と妹さん、それに見知らぬ同行者の男性が一人。
同行している男性は自衛隊員と思しき人で、なんとか式とかいう自動小銃で武装しているようでした。恐らく、ここまで康介くんの家族を保護してきたのは彼でしょう。
目的地はこの学校であったと推測されますが、道中、“ゾンビ”の群れに遭遇。命からがら“キャプテン”の屋上に逃げたこんだはいいものの、退路を断たれ、たまたま停まっていたトラックの上に飛び乗った末に立ち往生。……そこを竹中くんが発見した、と。
そういう流れのようです。
今、彼らの周囲にはコミックマーケットの壁サークルもかくやという“ゾンビ”の群れができあがりつつありました。
「とりあえず、俺は行くっす。――今すぐにでも」
康介くんの口調は断定的でした。
「わーかっとる! わーかっとる!」
佐々木先生が例の甲高い声で言います。
「だが、状況を見てみなさい。ちょっと見ただけでも百匹はいるぞ。どうするつもりだ」
「それでも」
康介くんの口ぶりは、噛みつくようでした。
「行かなくちゃいけないんす。わかるでしょ?」
「わーかっとる!」
佐々木先生はもう一度同じ口調で応えます。
「だが、なんの作戦も立てずにいくのは無謀だと言っとる!」
「じゃあ先生は、俺の、……俺の家族を、見殺しにしろっつーんすか!」
口が滑れば、「ぶち殺すぞ」とでも付け足しそうな剣幕でした。
対する佐々木先生は、わりといつもどおりに見えます。
案外、生徒から怖い顔をされるのに慣れているのかもしれません。
「ま、まあ、少し落ち着きなさい、日比谷くん」
むしろ、隣にいる麻田剛三さんの方がうろたえているようでした。
「もちろん、何か作戦があって、それが安全だと判断できたなら、すぐにでもその案を採用するがね。何も考えずに向かっても、ただの無駄死だとは思わんか? 火に群がる虫けらと一緒だぞ、それじゃあ」
「はあ? そんなの、やってみないとわからんじゃないっすかっ」
うーん。
なんといいますか。
見たところ、康介くんは冷静さを失っているようです。
佐々木先生も佐々木先生で、もうちょっと言葉選べばいいのに。
「はぁ……………」
小さく嘆息します。
まー。
たぶん。
きっとこういう時のために、謎の超常的存在から力を与えられたんでしょうね、私は。
正直気は進みませんが、どうやらここは、私の出番、と。
そういうことになりそうです。
「そんじゃ、提案してもいいですか」
手を挙げると、佐々木先生が顔をしかめてこちらを見ます。
「えーと。そこの赤ジャージのお前、名前なんつったっけ。まあいいや」
やっぱコイツ、ウンコ野郎ですね。
「何かあるなら、言ってみなさい」
「私が囮になって“ゾンビ”を引きつけます。その間、別働隊が日比谷くんの家族を救出するというのはどうでしょう」
「なんだと……?」
「それは、……いくらなんでも、危険過ぎるっす」
佐々木先生と康介くん、二人ともが同じ表情を作ります。
「危険過ぎるというか……それ以前の問題だ。確かに君は腕が立つかもしれんが、あれだけたくさんの“ゾンビ”を相手にできるわけがない」
道理でした。
正面から“ゾンビ”と相対するだけでもリスキーなのに、それを百匹以上相手にするなど、どう考えても無謀だと言えます。
“ゾンビ”の恐ろしさは、個々の膂力が強いことだけではありません。自分の命を一切考慮に入れずに襲い掛かってくる点にあります。
正直に言いましょう。
今の私の腕では、三体以上の“ゾンビ”を一度に相手にする自信がありません。
現状、“ゾンビ”一匹を仕留めるには、
「構える→頭部を突く→剣を引き抜く」
という、三つの動作が必要です。
一対一であれば負ける心配はありませんが、その方法でたくさんの“ゾンビ”をさばけるかどうか、となると……難しいところでしょう。
故に、私が提案しているのはほとんど自殺行為に等しい作戦でした。
ですが、まあ。
もし、日比谷一家を助けられる者がいるとしたら、私の他にはいないでしょうし。
「ロボットみたいに悩まない」と噂される通り、内心の焦りを微塵も感じさせずに断じます。
「大丈夫です。勝算はあります。なんとかなりますよ」
私は平然と嘘を吐きました。
「本当かね……?」
「ただし、同行するメンツは私が決定します。もちろん、その人が『行ってもいい』と言ってくれたら、ですが」
「フム……」
佐々木先生と麻田さんが、顔を見合わせます。
「“彼女”がそう言うなら」。顔にそう書いていました。
なるほど、どうやら私の力は、思っている以上に過大評価されているようで。
あれ?
ひょっとして私、鬼かなんかだと思われてません?
「この作戦なら、犠牲になる確率が高いのは私だけでしょう。一人の命で四人救えるならば、考えるまでもないのでは?」
それに、万一のことがあっても、例の自衛隊員の人がここの防衛について考えてくれるはずです。
このコミュニティを存続させるためには、私なんかよりも、ちゃんとした訓練を受けている彼の能力が必要だと思われました。
「ちなみに、連れていくのは、誰を?」
私は答えます。
「少数精鋭で出ます。救出に向かうのは、今野林太郎くんと、君野明日香さんの二人。それ以外の人は、ここに待機していただきます」
「えっ」という、康介くんの驚く声が聞こえました。
私はそれを無視して、
「林太郎くんと明日香さんを除いて、異論反論は受け付けません。時間もありません。決めるなら、いま、この瞬間。数分以内にお願いします」
みなさん、しばらく言葉もなく押し黙りました。
助けを求める手を払いのけるか。
仲間を犠牲にして賭けに出るか。
私が迫っているのは要するに、そういう二択です。
時間して、たっぷり数十秒の沈黙の後。
汚れ役を引き受けたのは、大方の予想していた通りの人。
佐々木葉介先生。
彼は、泥を吐き出すような深いため息を吐いた後、言いました。
「……わかった。すぐに準備しなさい」




