その143 幼なじみとの会食
都内にある、高層ビルの一室にて。
苦楽道笹枝は、自身に与えられた豪勢な居住スペースのキッチンで、ぐつぐつと野菜を煮込んでいる。
今日は、親友との会食が予定されているのだ。
「……ふう」
準備を終え、一息吐いた頃。
こんこんここん♪ という、小気味良いノックの音と共に、數多光音が現れる。
「おっすおっす、ちょうしはいかが?」
光音はご機嫌だ。いつものことだが。
「……良好よ」
「そうは見えないなぁ。元気なさそうじゃん」
「いつでもどこでもへらへら笑ってる、あなたの方が異常なんだわ」
言いながら、笹枝はどうにか、作り笑いすることに成功した。
「そうかな。笑う門には……って言うでしょ?」
「気持ちはわかるけど。光音のようにはなれないよ、私は」
彼女は昔からそうだ。
優しくて。強くて。美しくて。
いつだって人を惹きつける魅力にあふれていて。
(それに比べて私は……)
「おおっ。すげえ、サラダなんか用意してくれたんだ。新鮮な野菜なんて、久しぶりにみたよー」
「……自家栽培よ。味わって食べて」
「さんくす!」
幼なじみ同士の食事が始まった。
「うめー! このトマトうめー! みずみずしい! 塩かけただけで百個はイケる!」
「ふふふ……、喜んでもらえたようで、幸いだわ」
いつもの風景。
光音がしゃべって、笹枝が笑う。
それだけの時間。
二人の会話は、自然と、――件の”神獣使い”についての話題になっていた。
「……まったく、参っちゃうよホント。これで死ぬのは三回目だよ? 半端ないって、あいつ」
「光音がそこまで手こずる相手がいるなんてね」
笹枝は、手製のスープを上品に口に運びながら、呟く。
「でも、大丈夫なの? 確か《不死Ⅰ》で復活できる回数って、決まってるはずでしょう?」
「まーねー。残機はあと二つってとこ」
「それ、かなりマズイんじゃ」
「うん。実際ちょっとピンチ。……《不死》は次のフェイズまでランクアップできないみたいだからねぇー」
「やっぱり、誰か護衛をつけたほうが」
「いらないって。いまさら仲間ができたって無駄無駄。悟空とベジータのバトルにチャオズが参戦するようなもん」
「……その例えは正直、よくわからないけれど」
子供の頃から男子に混じって遊んでいた光音は、その手の話題の引き出しも豊富だ。
「だいたいあいつ、なんであたしを付け狙うのかも謎なんだよなぁ」
「うん……何か、個人的なことじゃないの?」
「ありえる」
”終末”以前は、テレビ出演までしていた彼女のことだ。
他者からの嫉妬には慣れている。
ただ、ここまで執拗な攻撃を受けるのは、ちょっと普通ではないが……。
「まあ、あたしのことはあたしがなんとかするよ。実は少し、気になってる”実績”もあることだし。……それよりさ」
光音はそこで、サラダを口いっぱいに頬張りながら、
「ほにゃひゃのほうはひんはいはにゃ」
「……なに?」
「ほにゃひゃ」
「食べるかしゃべるか、どちらかになさい」
「ふみゅ」
しばしの沈黙。
ごくりと喉が鳴る音がして、
「あたしは、貴女のことが心配だな」
「……私?」
「笹枝、……貴方、何か悩み事とか、ない?」
「べつに」
なるべく自然に見えるように、笹枝は応えた。
「うまくやってるよ。どっちにしろ私、ここじゃなきゃ生きていけないだろうし」
半分嘘で、半分本当のこと。
笹枝は、”牙なき人”である。
彼女は未だに、”ゾンビ”一匹すら殺すことができていない。
かつては、そんな自分を変えたくて”マスターダンジョン”で鍛えたりもしたが。……やはり自分は、他人を傷つけるよりも、他人に傷つけられることを選ぶ類の人間だと痛感しただけだった。
「……縁さんとはその後、どーいう感じ?」
「やめてよ」
「あの人たぶん、笹枝に気があると思うんだけどねー」
「やめて」
「なあに? 照れてるの?」
「”ダンジョンマスター”とは、そういう関係じゃない」
「ふぅん……」
光音は目を細めて、微笑む。
ふいに、笹枝の胸のうちに、不愉快な気持ちが波のように押し寄せた。
心のなかにあるダムが決壊しかけて、
「やめよ、この話。……”外”ではまだたくさんの人が苦しんでる。こんな風に食事を楽しんでいること自体、本当は不遜なことなんだよ」
「かもしれないけどさあ。たまにはこう、気持ちの手綱を緩めないと、ぷつーんってイっちゃうかもだよ?」
「そうだね。……それに、光音はふだん、すごく頑張ってるもんね」
「そらそうよ。なにせあたしは、”勇者”だからね」
”勇者”は、他の”プレイヤー”に比べて、あらゆる面で優れた特性を持つ。
故に、普通の”プレイヤー”よりも段違いに強い。
いつだったろう。
その力を、――光音が、他人のためだけに使うと決めたのは。
それは、世界がこんな風になる、少し前のことで。
「それにしても、あの”王”とかってジジイ、なーんか気に入らないんだよなぁ」
「……そう?」
一瞬、何かの核心を突かれた気がして、心臓が跳ね上がった。
「まず、視線がスケベだね」
「……光音は美人だから。誰だって、そういうふうに見ちゃうよ」
「そりゃそーなんだけどさー」
そこを否定しないところが、光音らしい。
「ありゃ間違いなく、若いころはイケイケだったと見るね」
「……それは、そうかも」
「まったく、縁さんと大違い。あの二人、一応親子なんでしょ?」
「そうだね」
「あの親子だったら……、まだ縁さんの方がいいと思うなぁ。あたし」
「……その話、蒸し返すの?」
「いいじゃん。恋バナしようよ。飢えてるんだよぉ」
「はいはい」
残念ながら。
そうする訳にはいかないんだよ。
この会話、……たぶん、”王”に聞かれてるから。
そのタイミングで、こんこん、と、扉をノックする音。
「あら。誰かしら」
内心、話題が途切れることに感謝しながら、笹枝は来訪者を迎える。
扉を開けると、ネグリジェに外套を身にまとっただけの姿の鮎川春菜が立っていた。
「はろろーん☆ ……って、ややっ。“勇者”さんじゃん。ひょっとしてお邪魔だった?」
「いいえ。……何か?」
「伝令だよん♪」
そして、さっと一枚のメモを受け取る。
「ありがとう」
「それと……縁さんが呼んでたよ。『もし良かったらこの後、お茶しませんか』ってさ☆」
「……うん。考えとく」
言って、笹枝は渡されたメモをさり気なく一瞥。その後、破り捨てた。
「……………………………………」
「どったん?」
「仕事関係。何でもない。ちょっとだけ野菜を枯らしちゃったってだけ」
「あら、そう」
光音は特に気にしたふうでもない。
我ながら演技が巧くなったものだ。
頭痛がひどい。
吐き気がする。
こういうことは、……やっぱり、気分が悪い。
それが、自分にはどうしようもないことだとわかっていても。
笹枝の頭の中では、先ほど春菜から手渡されたメモの内容が反芻されていた。
『鎌田忠義の件。――処理済。』
ただそれだけの文面が、幾度も、幾度も。




