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2.慌ただしい日 ~カナリヤの来訪~

4/22に改稿した第2話をちょっと踏まえて進みます。

 竜の兄竜が、風に乗って(流されたのかもしれないが)竜たちが棲む山にやってきた。

 竜は改めて、娘の腕に抱かれている小さな黄玉色の竜を見る。


「噂に聞いてはいたけど、お前は少し見ないうちにずいぶん丸くなったな。人間を自分の娘と認めるとは」

「兄者もこう……態度が軽くなったな」


 以前会った時は、口調も竜とさして変わりがなかったはずなのだが。

 小さな兄竜は笑った。


「今は人間とあちこち旅をしてるんだ、世俗にも(まみ)れるさ。その連れもじきここにたどり着く」

「人間と、旅を……」

「あの」


 竜たちのやり取りを黙って聞いていた娘が、ようやく口を開く。


「お母さんのお兄さんというにはその、ずいぶんと体の大きさが」


 娘は言いながら、大人の男三人分の背丈に巨大な体躯の竜と、腕の中に収まっている小さな竜を何度も見比べる。


「オレは妖精竜なんだ。身体は小さいけれども魔法は得意」

「竜というのは生まれてみなければわからぬと言っただろう、娘よ。兄者はお前の腰くらいの高さの卵から、その大きさで生まれていたのだぞ」


 竜が生まれた直後は、二頭の大きさにさほど差がなかった。しかし兄竜の体は、ほとんどといっていいほど成長しなかった。大きくなるばかりだった竜との体格差は、見ての通りである。


「して、兄者。今日はどうしたのだ?」

「特にこれといった用事はないよ。たまたま近くに寄ったら、お前がなにかと噂になってたからさ。会いに行ってみるかって思っただけで。まあ、来てよかったよ。オレが思っているよりもずっとおもしろいことになっているし」


 兄竜は娘の顔を見上げる。娘は兄竜と目を合わせて、不思議そうに首を傾げた。

 魔法に特化した兄竜なら、今の娘の状態も見ただけでわかるのだろう。


「ところでな、なんだか妙に疲れてきたんだけど。どういうことだ?」


 娘に背中を預けるようにしていた兄竜が、じたばたと四肢を動かす。が、あまり力が入っていないようだ。

 娘がそっと兄竜を支えて、膝の上に下ろす。


「私は少し調子が良くなりました。魔獣の肉を食べた時のように、魔力の飢えというか……。そういうものが少し、満たされたような気がします」

「あー、なるほど。濃度の問題か。魔力の塊になりつつあるのに、魔力不足で貧血起こしてる感じなのは、お嬢さん中に結晶(それ)があるからか。つまり、接触することで魔力の濃度が高いオレから、お嬢さんの方に吸収される形で流れたと」

「まあ」


 娘は驚いたように兄竜に触れて、そっと毛皮の敷物の上に下ろす。兄竜は少しよろけた。

 下ろす前に、娘が少し魔力を吸収したらしい。まったく、ちゃっかりしている。


「せっかくお越しいただいたのですから、なにかおもてなししましょうか。魔力をいただいてしまったことですし、まずは魔獣の干し肉はいかがですか?」


 娘は、まだ手を付けていない干し肉を差し出す。


「オレは休めば魔力は戻るけど、妹の娘の好意を無下にはできんよな。いただくよ。その前に、そこの温泉に入りたいな」


 兄竜は、もわもわと湯煙漂う温泉を見る。

 その温泉も、竜が長く棲んでいる影響からか多少の魔力を宿している。が、それとは別に、湯に浸かりたいものと思われた。兄竜は、幼竜の頃から水浴びや温泉といったものが好きなのだ。


「わかりました。では、ご案内を」

「あー大丈夫だって。目の前だし」


 兄竜は娘を制して、背中の小さな翼で温泉まで飛んで行く。そして水面に下りて湯に浸かろうとし、


「さてさて、旅の疲れでもとれ」


 浸かるを通り越して、そのままちゃぽんという音とともに温泉に落ちて沈んでいった。

 竜と娘は顔を見合わせる。

 娘はすぐに頷き、素早く温泉に飛び込んだ。水の抵抗が最小限に抑えられる角度だったようで、ほとんど水音も飛沫も上がらない。

 少しの潜水時間のあと、捧げ持つようにされて兄竜が水面から出され、続いて娘が顔を出した。


「ここは深いので、立ち湯にしていまして。大丈夫ですか?」

「いやはや、驚いた。助かったよ」

「浅瀬にご案内しますね」


 そのまま娘は、兄竜を浅瀬まで連れて行く。兄竜が少しずつぐったりしているように見えるが、大丈夫だろうか。


 浅瀬に着いた娘は、いつも湯浴みに使う桶に兄竜を入れて温泉に浮かべ、桶が沈まない程度に湯を入れて手を放した。

 兄竜は湯入りの桶に浸かり、温泉の上をゆっくりと漂っていく。


「こりゃいいや。礼を言うよ、お嬢さん」

「いえいえ、ごゆっくり。私は着替えてきますね」


 温泉から上がり、娘はずぶ濡れの髪を絞って衣装を脱ぐ。

 瞬時に、その身体を湯気が覆い隠す。竜がかけた魔法だ。


「なるべく早く戻りますね」

「髪はよく乾かせよ」


 娘は微笑みを浮かべてうなずく。

 濡れた巫女装束の水気を絞りながら、着替えるために洞穴へと下がっていった。




「お母さん」


 娘が着替えに下がってしばらく経った時、娘の生活拠点の洞穴がある方向から声がした。

 振り返ると娘がいた。が、竜はその服装を見て眉根を寄せる。

 娘が身につけていたのは、袖や脚の部分が透けた素材で作られ、ほかは身体の要所要所を隠しただけの、へそまで出ているような露出度の高い衣装だ。そして何を慌てたのか、着方が妙に乱れている。


「砂漠地方の踊り子の衣装だな」


 兄竜は一目で断じる。いつの間にか頭に手ぬぐいを乗せていた。


「旅の商人が、どうしても私に、というのでいただきました」

「それはいいとして、衣装の乱れを直せ。はしたないぞ」

「はい、すぐに。ところで、お母さんの宝物から瑠璃珠をいくつかいただいてもいいですか?」


 娘が言っているのは、今まで村人たちが生贄とともに竜に捧げた貢物のことだ。

 貴金属や珠などは竜にとって特に使い道のないものだが、実は種族特性として収集癖のある竜は、それらを律儀に保管している。


「構わんが、何に使う?」

「それは」


 娘は何かに気づき、途中で言葉を切る。


「お母さん、そのまま少しだけじっとしていてください」


 そして竜の顎下まで駆け寄って止まり、頭上の竜の顎に向けて片手を伸ばす。

 ぱしっと、娘は落ちてきたものをつかみ取った。


「この鱗もいただきますね!」


 剥がれ落ちたばかりの「紅き竜の逆鱗」を持って、娘は慌ただしく洞穴へと去っていった。




 カラカラと、呼子が鳴ったのは娘が鱗を持って下がってから少し経った時だった。

 境界線を越えてきた人間を察知するために、娘が設置しておいたものだ。


「はいはい、ただいま参ります!」


 衣装の乱れを完璧に直した娘が、背丈を越える長さの棒状の柄に、燃える炎を(かたど)った赤い刀身の得物を持って現れた。


「薙刀か。この辺りにもあるんだな」


 湯から上がり、身体を乾かしている兄竜がもの珍しそうに娘の薙刀を見る。


「よく御存じで! 旅の商人と麓の鍛冶師が悪ふざけしながら作った一品なんです! この辺りでも珍しい武器ですが、それについては後でぜひお話しましょう!」


 娘は話しながら二頭の前を駆け抜ける。

 二頭がそろって顔を動かしながらその後ろ姿を追う中、娘は慌ただしく山を下る道へ消えていった。


「なんか忙しそうだな」

「普段はそうでもないのだが」


 珍しく用事が重なったものだ。

 竜はそう思いながら、兄竜の身体が早く乾くように、体表の温度を少し上げた。




「おーい、カナリヤー!」


 娘が出かけて少し経ってから、入れ違いに男の低い声がした。

 見ると、娘が下山に使った道の入り口に、人間の男がひとり立っている。


 大柄で締まった身体、短い黒髪と頬に十字傷。身につけた鎧はこの辺りでは見慣れない金属製で、使い込まれていて小傷が目立つ。腰に下げられた剣は抜かれてこそいないものの、鞘も新品ではありえぬ風合いがあり、中の刀身も同じくいくつもの場数を踏んでいると思われた。


 男は人好きのする顔立ちをしているが、普段竜に挑むごろつきどもとは比べものにならないほどの、凄まじい実力が感じ取れた。

 が、それ自体は大した問題ではない。


 この男は兄竜の真名を口にしたのだ。


 竜は威嚇の咆哮とともに首をもたげ、地面に尾を打ちつける。尾が直撃した岩が砕け散り、ずしんと地面が大きく揺れた。


「おお、おっかねぇ」


 男は言葉でこそそう口にしたが、おどけた様子で一歩も退いていない。

 竜はさらなる威嚇のため、炎を吐くべく口内に灼熱の玉を作り出す。

 どうやって兄竜の真名を知り、なぜここに来たのかはわからない。が、いざとなったら焼き殺してしまえばいい。


「おい、落ち着け妹!」


 竜の眼前に、兄竜の小さな身体が飛び込んできた。


「こいつはさっき言っていたオレの連れだ!」

「しかし兄者、この人間は真名を」

「いいんだ、オレが教えたんだから!」



「ただいま戻りましたー」



 緊迫した空気の中、娘が緊張感なく戻ってきた。

 いつもは涼しい顔をしているのに、今は「腑に落ちない」という顔をしている。


「山で何者かが争った跡はあったのですけれども、誰もいませんでした」


 そして男に気付く。男も娘に気付き、ふたりはお互いの顔を見合わせて、


「あ」

「あ」


 片方は驚きに目を見開き、もう片方は笑いを抑えられないといった風に、それぞれの表情を浮かべる。


「師匠!」

「久しぶりだな、愛弟子!」


 突然のことに、竜と兄竜は置いてけぼりをくらった。

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