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6.花嫁と妹(中編)

『ここでの最後の夜』


 アカネが発したそのひと言は、アカネの幼いきょうだいたちにとっては失言だった。

 アカネが「まずい」という顔をした時にはもう遅く、


「ふぇ……」

「うぅ……」


 見る見るうちに、幼子たちの目に涙が盛り上がる。


「ごめんください、こっちにリリアナ……え?」



『うわぁーんっ!!』


 そして絶妙な不協和音を奏でるがごとく泣き出し、その矛先は最悪の間で現れたヨハンに向けられた。


「ヨハンのばかー!」

「ぐっふ!?」


 ひとりがヨハンの鳩尾に頭突きを食らわせた。不意の一撃に、ヨハンは身体を折る。


「ばかばかー! へたれー!」

「女ったらしー!」

「ねえちゃんとるなー!」


 うずくまったところを、残りが取り囲んでぽかぽかと叩く。

 画として迫力はないかもしれないが、感情の赴くまま力加減を忘れた攻撃は、幼子のものとはいえ見た目以上に容赦がない。


「ちょ、ぐっ、リリアナ、メガネっ」

「う、うん!」


 防戦すらままならない状態で、ヨハンはメガネを外して投げた。

 リリアナは二、三度手の上で跳ねさせながらそれを受け取る。


「おいお前らやめろ!」

「そうだよ、やめなって!」


 アカネとリリアナが止めようとするが、幼子たちは聞く耳を持たない。泣き声と制止の声の中、無慈悲な攻撃は続く。


「やめろって言ってるだろ!」


 アカネが怒りを露わに近寄ろうとするのを、巫女は手で制した。


「巫女様?」

「ここは任せてください、あなたとお腹の子に万一のことがあってはいけませんから」


 早口で告げると、幼子たちに近づき手を伸ばす。

 ひとり目をヨハンから引き剥がし、天井すれすれに放り投げる。ヨハンの胴に取り付いているふたり目も剥がして、上げた右足の腿に引っかける。

 そして左右の三人目と四人目を両腕で網のように攫って両脇に抱え、最後に、放り投げられていたひとり目が巫女の左肩に引っかかった。

 時間にして数秒、非常識な動きだった。

 幼子たちは、突然のことに泣くのも忘れて呆けている。

 もちろん、それを見ていたヨハンとアカネ、リリアナも。

 巫女はその体勢のまま、片足で器用に三歩後ろに跳ねて、ヨハンとアカネから距離を取った。


「……いいことを教えてあげましょう」


 いつものようによく通る、だが普段とは違う巫女の低い声に、幼子たちだけではなくアカネたちもびくりとする。

 巫女は幼子たちをひとりひとりゆっくりと下ろして立たせ、自分は幼子たちの目線に合わせて膝立ちになった。

 顔にはいつもの微笑みを浮かべているが、どこか凄味がある。


「アカネさんは、ああ見えてヨハンさんのことがだーい好きなんです」


 言いながら、巫女はゆっくりと左から右に幼子たちの顔を見回す。幼子たちは固まったまま動かない。


「ヨハンさんも、やっぱりアカネさんのことがだーい好きです」


 もう一度、今度は右から左へ幼子たちの顔を見回す。


「アカネさんとヨハンさんは、みなさんと同じくらいの年のころに、もうすでに花嫁さんと花婿さんになる約束をしているんですよ」


 リリアナがアカネとヨハンを見る。

 ふたりは揃って怪訝な顔をしているが、巫女の話に口は挟まない。


「村はずれの草原に、いくつか真っ白な丸い石が落ちているのは知っていますね?」

「おまじないの、白い石……?」


 リリアナが思わずといったように呟く。巫女はそちらを向いて頷いた。


「そう。みなさん、聞いたことがあるでしょう。あの白い石の中に、満月の夜に光るものがあると。そして……、光る石を見つけて好きな人に渡すと、ふたりは結ばれるという言い伝えがあります。ヨハンさんは、アカネさんにその光る石を渡しているんですよ」

「白い石……。もしかしてあれか!」


 アカネは小走りで部屋を出る。そしてすぐに戻ってきた。


「これ、たしか十年くらい前にヨハンにもらったやつだよな?」


 開いた手のひらには、白く丸い小石が乗っていた。幼子たちがざわつき始める。


「えっと、そうだ……。たしかに僕はこどものころ、アカネにそれを渡した。でも、おまじないのことなんて全然知らなかった、と、思う……。少なくとも、今初めて聞いたよ」


 ヨハンは戸惑いながら、アカネと手のひらの石、巫女を交互に見る。

 しかし、アカネも困惑しているようだ。


「それはそうだよ。だってそのおまじない、ほとんど女の子しか知らないもん」


 言葉を発したのはリリアナだった。

 幼子の中の女児も頷いている。


「ちょっと待て、アタシもそのおまじないのことは知らねーよ?」

「アカネちゃんって前からそんな感じだったから、女の子のうわさ話ってほとんど知らなかったよね?」

「あ」


 リリアナが呆れたように指摘する。

 幼子の女児は驚いたようにアカネを見た。

 この村の少女たちなら、誰でも知っていて当然のようだ。


「じゃあどうしてヨハンはおまじないの白い石を渡したの?」

「知らなかったんでしょ?」

「なんでなんで?」

「なんでー?」


 緊張がほぐれてきたようで、四人の幼子がヨハンを質問攻めにする。


「なんでって、それはたしか、えっと……」

「お兄ちゃん、メガネ」


 リリアナが預かっていたメガネを差し出す。ヨハンはそれをかけながら眉間にしわを寄せ、顎に手をやり、少し俯きながら何かを思い出そうとしている。


「けしかけられた、というか」

「誰に?」

「わからない……。月夜に誰かに呼ばれて、その石を――ほんとに光ってたんだけど――見せられたんだ。で、石を投げるから、探してアカネに渡せって言われて」

「……誰に?」

「本当に思い出せないんだ……。ただ、好きかどうかはっきりさせろって」


 言いながらヨハンは顔を上げ、ぎょっとした。全員の視線がヨハンに集まっていて、顔を赤くしたアカネ以外がにやにやとしていたからだ。


「なーにーそーれー。お兄ちゃん、言いわけくーるーしーいー」

「リ、リリアナ何言ってるんだよ! 本当に僕はおまじないのことは知らなかったし」

「でも渡したんでしょ?」

「……もらった、この通り」


 アカネがてのひらの石を握る。

 つられてヨハンまで顔が赤くなる。


「た、たしかに探しているうちに絶対アカネに渡さないとって思ったけど、そもそもあれは誰だったのかっていう」

「どうだっていいじゃーん! それ妖精なんだから」

「妖精?」

「そうだよ。白い石は恋の妖精の力で光るんだから」


 これ以上は教えない、とリリアナは笑った。


「そういうことで」


 巫女が立ち上がり、幼子たちは一瞬びくりとする。


「アカネさんとヨハンさんは、恋の妖精が応援するくらいお似合いのふたりなんです。お祝い、しましょうね?」


 アカネは咳払いをして、両手を腰に当てて幼子たちと向き合う。


「まあ、アタシの言い方も悪かったな。結婚するって言っても、アタシがヨハンの家に住むことになるだけだからな。いつでも会えるし、多分今までと大して変わんねーよ」

「あ、うん。リリアナと一緒で、しょっちゅうここでみんなでご飯たべたりするだろうから、明日僕たちのことを祝ってくれると嬉しいな」


 微妙に身構えながら、ヨハンも声をかけた。

 幼子四人は大人三人とリリアナを見回し、頷いた。


「……」


 ただ、巫女に無言の笑顔のまま見つめられているのに気づき、


「ヨハン、ごめんね」

「ごめんなさい」

「お腹痛いの大丈夫?」

「あしたおいわいするー」


 やや慌て気味でヨハンに謝罪した。


「いいよ、わかってくれたら」


 ヨハンもようやく警戒を解いた。

 場の緊張がほどけた時、リリアナは膝立ちから立ち上がる巫女を見て疑問を思い出した。


「ところで、巫女様は誰からこの話を聞いたの?」


 巫女は服の乱れを直しながら、


「恋の妖精から、でしょうかね」


 そして今度こそ、宿へと向かったのだった。



 宿にとった部屋でひとり、巫女は明日に備えて荷物を(あらた)めていた。

 リリアナからもらった礼服は衣装掛けへ。髪飾りなどはまとめて近くに置く。

 祝いの品も、ひとまとめにして部屋の隅に。「とあるもの」についてはアカネが怒るかもしれないが、冗談で押し通すとしよう。


 山を行き来する関係でいつも荷物は最小限にしているので、明日の用意はすぐに済んだ。

 アカネたちも今頃、夕食を終えて談笑しているころだろう。

 結局、ヨハンとリリアナも交えて結婚前日を過ごすことになったのだ。彼ららしいことだ。

 巫女も、夕食だけでもどうかと誘われたが、丁重に辞退した。何だかんだと長居することになりかねない。


「さすがに、これを見られるわけにはいきませんしね」


 独り言を呟いて、巫女は袖の上から左腕をさすった。

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