それぞれの正しさ
「な、なんでだよ!? 目的はどうあれ、あいつは実際に人の味方になっている。それなら討伐するよりも、あいつから情報を貰う方が、人魔大戦を有利に進められだろ!」
少女の迷いなき宣言に翔も精いっぱいの反論を返す。
実際ダンタリアから教えてもらった魔法の知識は、翔が人魔大戦を生き抜いていく上で非常に役に立つものだった。
そんな世話になった相手と手を取り合う未来があるのなら、無理に討伐したくはない。翔の反論にはそう言った個人的な感情も含まれていた。
「人類の味方......? ふざけんなぁぁぁ!」
だが個人的な感情を優先してしまった翔の反論は、少女の逆鱗にしっかりと触れてしまったらしい。
「な、なにを......」
「そもそも人魔大戦そのものが悪魔の身勝手な理由で始まったものじゃない! それを人類に利益を与えてくれる悪魔だから見逃す? はっ! 笑わせないで!」
「そ、それはそうだけど、でも、実際にダンタリアの情報は有益で......」
「ふん! そもそも、そのありがた~い助言とやらに、致命的な嘘や間違った解釈をさせるような言葉が含まれていたらどうするつもり? 長年積み上げた功績だか知らないけど、人類が妄信しきった瞬間に嘘を吐かれたらどうなると思う?」
「......」
「分かるわよね? 悪魔の手足になって動いた結果、罪も無い人々の命が失われるのよ! 人類が生き残るための術を悪魔に委ねるのは絶対に間違ってる! 人類は人類の力だけで未来を切り開かなきゃいけないのよ!」
「っ!?」
その言葉を聞いて、翔ははっとした。
確かに少女の言う通り、悪魔は平気で人を騙し、人々の命を危険に曝す。カタナシとの戦いは、まさに悪魔の悪意溢れる戦いだった。
そして、ダンタリアが絶対に人類と敵対しないという証拠はどこにもない。むしろ味方としてこちらの懐に潜り込み、人類が一番弱みを見せたタイミングで裏切られなどしたら、その被害はカタナシなんかとは比べ物にならないほどに大きなものになるだろう。
ダンタリアが親身になって翔の世話を焼いてくれたことは、彼女が人類を裏切らないことに対して何の反証にもならないのだ。
見るからに動揺した翔の様子に、少女も余裕を取り戻したのだろう。表情からは絶対の自信が垣間見え、雰囲気には少しの迷いも感じられない。
折れることを感じさせない強い意志には、仮にダンタリアを討伐した後であれば、人類の全てから敵対されても構わないという信念すら感じられた。
そのあまりにも真っすぐな心の在り様に、思わず翔も目が眩む。
「あの悪魔の魔力を纏わせて、あいつの肩を持つ意見を出すってことはあの悪魔の居場所にも見当がついてるんでしょう?今すぐ教えなさい。そうしないと例え悪魔殺しだろうとあいつの側に立つ人間に容赦はしない。次は足じゃ済まさないわよ」
脅し文句こそ変わらないが、その声音には若干の柔らかさを感じられる。先ほどの説得によって、翔がこちら側へと転ぶ可能性を感じたためだろう。
けれど当の翔は、そんな少女の気遣いから全く別の感情を抱いていた。
脅しながら向けられる槍の穂先。
けれど、それは向けられているだけ。少女は翔自身を見てはおらず、向けられた槍そのものも、彼の中に見え隠れするダンタリアに向けての物だ。
もう少女の中では翔は屈服させた相手、もしくは取るに足らない路傍の石ころと同義であるらしい。
だが、それも仕方ない。彼女の目的は一貫してダンタリアの討伐だ。翔との出会いも、その追跡の途中で出会った怪しい人間に聞き込みを行っただけ。少女からしてみれば、次の瞬間には顔すら忘れているだろう存在に過ぎなかったのだ。
しかし、そんな少女の態度は、翔の闘争心に火を点けるのには十分な行為だった。
翔は先ほど少女が放った言葉を、心の中で反芻する。
(悪魔に主導権を握られるわけにはいかない。ごもっともだ。悪魔から得た情報を信じられない。これもごもっともだ。悪魔は情報を意図的に隠す。ハプスベルタとの戦いの最後も、神崎さんっていうブレーキがいなければ、俺は無謀な突撃の末に死んでいたかもしれない)
思い返して考えてみても、翔程度の頭では微塵の反論も生まれないほどに、彼女の言葉は正しかった。
「あんたの意見は正しいよ」
だから翔は無意識の内に彼女の言葉を肯定する言葉を発していた。
「今更気付いたの? だったら、さっさと悪魔の居場所を......」
「けどな」
彼女の言葉を遮ってまでも出す翔の意見。それは彼女の信念と比べればまさに幼稚の一言に尽きる意見なのだろう。
しかし、翔にも曲げられない、いや曲げてはいけない自らの信念というものは存在するのだ。
「脅された程度で、世話になった相手は売れねーんだよ!」
翔があらん限りの声を出し、己の意見を少女にぶつける。
「例え、そいつが平気で人を騙す悪魔のような奴だろうと、人の命を弄ぶようなやべぇ奴だろうと、俺は確かにあいつの世話になった。あいつの知識で一歩前進することが出来た。お前の言う通り、あいつが肝心な場面で裏切ったりしたら、取り返しのつかないことになるのだってわかってる」
翔が大きく息を吸う。
「けどな...... それは全部可能性の話だ! 全部が全部、怖がりで心配性なお前の口から洩れた、弱気な妄言に過ぎねぇんだよ!」
そして、あらん限りの声で、己の意見を少女へとぶつけた。あまりにも幼稚な意見、他人の意見を妄言と罵りながら、結局出てきた意見も可能性を語っただけの妄言。
一拍もしないうちに、少女の殺気が膨れ上がるのを感じる。
自分は今まさに窮地に陥っている。しかし、翔の表情は満足気で、笑みすらこぼれていた。そのことが余計に、少女の癇に障ったのだろう。
「あっそう...... あんたみたいな雑魚悪魔殺し、どうなろうと知ったことじゃなかったけど。悪魔に手を貸すっていうなら話は別ね。さっさと死んで」
これまでの感情を爆発させていた物言いはなりを潜め、少女はただ淡々と、右手に構えていた槍を投擲する。
飛来する槍は、踏ん張りが利かない空中から投げられたにしてはかなり速く、当たり所が悪ければ、一撃で戦闘不能になるにふさわしい威力を感じられる。
だが、ハプスベルタとの戦いを経験していた翔にとって、攻撃の瞬間から視認することが出来る槍の一撃は、片足を負傷していても捌くのには苦労しない一撃だった。
木刀を素早く振るい、到来した槍を後方へと弾き飛ばす。
近くで槍が転がる音がした。
それと共に、ガキンガキンカランとアスファルトに何かがぶつかる音が続く。
最初の不意打ちと同じ状況だ。音はすれど、目に見える範囲で何かが飛んできたりといった様子は無い所も似通っている。
もしかしたら、彼女が投擲した槍に何らかの魔法が込められているかもしれない。翔がそう考え、油断なく木刀を構えなおそうとした時だった。
「っ!?」
翔は驚愕に目を見開いた。
それもそのはず、握られていたはずの木刀が、翔の手から消失していたからだ。
ならばどこへと周囲を見渡すと、少し離れた位置で消失を始めた木刀の姿が目に入る。
そこで自分が木刀を取り落としたことにようやく気が付き、木刀を握っていた右手が力無くだらりと垂れ下がっていることに気が付く。
いつの間にか足の刺し傷と同一の刺傷が、右手にも発生していた。そのせいで翔は、木刀を取り落としてしまったのだ。
当然、痛みなどは一切感じなかった。むしろ痛みを感じないからこそ、相手の攻撃にぎりぎりまで気が付くことが出来なかった。
(しまった! 最初の攻撃では、外れた槍が転がる音は一つしか存在しなかった。外れた槍が転がる音、何かがアスファルトにぶつかる音、その後に何かが転がる音は、腕を怪我した俺が、木刀を取り落とした音だったのか!)
「一体どうなって......!」
翔からしてみれば、躱したはずの槍が足に突き刺さり、弾いたはずの槍がいつの間にか腕を傷つけているのだ。
何かの魔法による効果なのは分かる。けれど、それを理解した上で対応するには、今の翔だと実力も経験も知識も何一つ足りていなかったのだ。
そうしてうろたえる翔をよそに、少女は再度槍を構える。
携えていた槍は右手と背中の一本ずつだけだったはずであるのに、彼女の手には、いつの間にか槍が出現していた。これも何らかの魔法によるものだろう。
しかし、今の翔にそんなことを気にする余裕はなかった。
移動するための足を奪われ、守りに用いる利き腕も奪われた。左腕で槍を弾けば、次の一撃までは対処することは可能だろう。
けれど、それで左腕まで負傷してしまえば、もはや犠牲にするための部位が無くなってしまう。
そもそも翔は、少女の扱う魔法に何の目測も付いていない。
四肢からじわじわと裂傷を刻み続けていく魔法だったら。槍を弾くことをトリガーに、負傷を与える魔法だったら。そして、今までの負傷は、奇跡的に急所を避けただけに過ぎなかったら。
次の攻撃が臓器を突き破らない保証はどこにもない。反撃だってままならない。まさしく万事休すといった状態だった。
もはや翔に出来ることは、最後まであきらめずに抗い続けるのみ。そして、どうにかして魔法の秘密を暴き、一矢報いてやろうとする気概のみだった。
ここまで追い詰められてもなお、目の光を失わない翔を鬱陶しく思ったのだろう。少女は軽蔑の目を向けながら、翔に三度の槍を投擲した。
これを弾いたところで未来は無い。だが、例えこの一度だけになろうとも、必ず攻撃を防いで見せる。
翔が身構えた時だった。
翔に向かってきていた槍が、ガガガガッと喧しい音を立てて彼の目の前で勢いを失ったのだ。
突然の事態に驚く翔。その腰を後ろからポンポンと叩く者がいる。
振り返るとそこには、少女というより幼女と言った方が近い、紫を基調とした魔女服に身を包んだ魔王が、うっすらと微笑みを浮かべて立っていたのだ。
「義理と人情はニンゲンの社会を構成する重要なエッセンスだ。けれどそれに命まで賭けだしたら、復讐や仇討の螺旋へと繋がってしまう。覚えておくといいよ、少年」
「ダンタリア! どうして!?」
「しかし、それを理屈として正論を撥ね退けるのを見るのは、存外と心地よいものらしい。せっかく肩を持たれたのなら、その肩を組んで仲の良さを見せつけるのも面白いと思わないかい?」
突然現れた知識を司る悪魔の王は、自らの命を狙う頭上の少女に向かって楽し気に微笑んだ。
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