クモッグの町 ④ ガンズ・ダルフレーク
爆発の衝撃は想像よりも激しく、あと一瞬気づくのが遅ければ教会の屋根から吹き飛ばされていただろう。
下ではあらゆる音が悲鳴に変わり、地面にうずくまっている人影がほとんどだ。
そして町の四方、唯一燃えていない門から大勢の男達が雄叫びを上げながら町へ押し込んできていた。
「……なんて奴らだ」
唯一絞り出せたのは、そんな言葉だった。
久しぶりに心臓が止まりそうなほど驚いた。そして連中の強引でガサツで何も構わない野生さに、心底吐き気がする。
怒りを覚え始めた時、ズキリ、と心臓が鋭く痛んだ。顔をしかめて、ゼノはゆっくりと深呼吸して心を落ち着かせる。空気はひどく硝煙の臭いが濃く、軽くむせた。肌を焼くような熱風に、薄っすらと額に汗が浮かぶ。
「ゼノさん……苦しい……」
胸元からそんなうめき声が聞こえて、腕をパンパンと叩かれて気づく。咄嗟にクロルをかばうように抱きついたのを思い出して、力を緩めて解放した。
「ふう……」
クロルは簡単に乱れた髪を整えながら、町を取り囲むような火焔を眺めた。炎は次第に建物に燃え移りつつあり、人々は逃げ惑っている。見知らぬ集団が気紛れに人を殴り飛ばし、あるいは刃物で切り裂いては、徐々に町の中心部へ近づいているのがわかる。
恐らく目指す先は町長の屋敷なのだろう。
「ひどい……ですね、これは」
「ああ……思ったより早かったね。少し、様子を見よう」
「……はい」
落ち着きを取り戻したゼノに、寄り添うようにクロルが隣に来た。身体は少し小刻みに震えていて、呼吸も浅く、短く繰り返されている。
彼女は初めて、純粋な悪意を目の当たりにして、肌で実感した。ただひたすらに怖い、というのが今の感情を占める全てだ。
――ゼノは顔色一つ変えずに、自分が動くべき瞬間を見定めている。
彼はそもそも軍に在籍していて、しかも隊長だったと言う。恐らくはこれより酷い状況を何度も見てきただろうし、己がその渦中に居た事だってあったはずだ。
自分には、無理かもしれない……わずか数刻前まで意気込んでいた己がひどく未熟で、世間知らずだったか思い知った。彼が居なければ何も知らず、この惨劇に巻き込まれていた可能性さえある。
「クロル、あの男が見えるかい」
「……さっき言ってた人、ですね」
皮肉にも、天を焦がす勢いで発生している轟炎のお陰で町の様子は手に取るように見えている。
先程千鳥足で歩いていた男のもとに、盗賊の集団が肉薄しているのが見える。偶然にも彼が居るのは、通りから唯一町長の家に繋がる道の前だった。
さっきまでの酔っぱらい具合はどこへやら、彼からは既に酒の気配は消えていて、その非常識な分厚く幅の広い大剣を肩に担ぐようにして構えていた。
既に状況は理解しているようだ。その上で、先に到着する方向へ目を向けていた。
「なるほど、マダムも相変わらず良い目をしている」
十人ばかりがまず男の下へたどり着いた。それと同時に男は動き出し、連中が構えている剣を振り下ろすより早く大剣を薙ぎ払った。
先頭の二人が土手っ腹から横に真二つにされながら後方へ吹き飛んだ。後続は狼狽しながら何人かが躓き、倒れ込む。その脇を抜けてきた三人を、彼は油断なく睨み、一息で距離を詰めた。
まず真ん中の男へ、大上段から大剣を振り下ろす。対応するように剣で受け止めようとするが、それを容易く砕いて肩口から一閃、縦に両断する。大剣がそのまま地面に叩きつけられれば、そこに放射状の亀裂が蜘蛛の巣のように広がった。その勢いに乗じて飛び上がった傭兵はそのまま脇の男の顔面へ痛烈な膝蹴りを叩き込む。着地と同時に剣を振り上げれば、今まさに刃を振り下ろした盗賊の両腕を切断してみせた。
泣きわめき叫ぶ盗賊を蹴り飛ばして、今度はさらに後方から迫る集団を認識する。
既に恐怖で動かぬ生き残りを睨みつけながら、短く息を吐く。腰につける小さなバッグから紙巻きを一本取り出し、マッチを壁に擦りつけて火を起こして紙巻きを吸う。
紫煙をくゆらせ、傭兵の男は空を見上げた。否、視線はそれより斜め上――教会の屋根で屈んでいるゼノと視線が交錯した。
男はゼノを誘うように、指を立てて招くような仕草をしてみせた。
直後にぶつかり合う男と盗賊集団は、一言で言えば圧倒だった。
――横薙ぎに大剣を振り払えば、そこに血華が咲き乱れる。大雑把で無骨な外見の割にはその切れ味は鋭く、また軽装故に盗賊の肉体は紙を切るような軟さで裂けていく。
それに加え、甲冑に大剣という超重量の塊がぶつかってくるのだ。並大抵の剣撃は当然のように分厚い肩当てで受けて流し、その衝撃を物ともせずに押し返す。
雄叫びは徐々に減り、やがてその通りに立っているのは傭兵ただ一人となった。
「……化物だな、あれは」
「規格外ですね……ゼノさんくらい、強いかもです」
「買いかぶりすぎだよ。僕は彼には到底及ばない」
敵は一通り一掃した。だが所詮それは雑兵だ、敵にとってこの展開は飽くまで想定内……というわけではないだろうが。
「僕たちも行ってみようか。多分、ここからが本番だ」
「本番……? 敵はもう、あの人が」
言って、気づく。
その男はまだ油断せず、大剣を肩に担いだまま北側の門から三人の男が悠々と入ってくるのを見ていた事に。
そしてゼノも既にそれに気づいていて、クロルの脇に手を回していた。ぐっと力を込められればその矮躯は簡単に浮き上がり、抱えられる。
クロルが悲鳴を上げるより早く、ゼノはその教会から飛び降りていた。
そこはひたすらに血なまぐさかった。
現実感が喪失するような死体の山だった。レンガの通りを浸すほどの血液が流れていて、それを全身に被った男は身の丈を超える巨大な剣を担いだまま、そこにやってきたゼノを見ていた。
クロルはもはや声を出すことすらままならない。非現実的で、あまりにも現実的すぎる光景に衝撃が強すぎる。吸い込む息は余すこと無く鉄臭く、深呼吸でもしてみれば卒倒してしまいそうだった。
彼女はしっかりとゼノの衣服を掴んで、ぴちゃぴちゃと足音を鳴らしながら後をつく。
初めに喋ったのは、傭兵の方だった。
「高みの見物とは良いご身分だな、ええ? 『微笑みの殺戮者』さんよ」
「なんだそのあだ名、初めて聞いたよ」
「テメエが来た時からその存在には気づいてたさ、金髪碧眼にその長身、背負う対の長剣。国を離れて放浪しているとは聞いたが、まさか本当だったとはな」
「そういう君はガンズ・ダルフレーク。その大剣一本で渡り歩いてる傭兵は君しか居ない、有名だよ」
言いながら、背負う長剣の一本をゆっくりと抜いた。街灯の少ないその薄暗い通りにはその冴えた刃が怪しく輝く。
「そりゃ光栄なこって。んで、テメエも連中の一味ってわけ……じゃあなさそうだが」
「当たり前だろ。君が呼んだから来た、君もそのつもりなんだろう?」
「ああ。見物してるくらいなら手伝え、この持ち場はあいにくオレ一人しか居ねえからな」
「上の連中はどうした?」
「ありゃあ町長サマのお付きさ。ま、百人くらいを想定してたんでオレにとってもこれは嬉しい誤算だが……ありゃあ少し骨が折れるからな」
ガンズが振り返る。そこにはようやく辿り着いた三人が立ち止まり、こちらを睨みつけていた。
一人はざんばらに刈った頭の背の低い男。彼は湾曲した剣をわなわなと震わせながら握っていた。
もう一人は全身に黒衣を纏い、爪状の武器を装着する線の細く背の高い男。
最後の一人は、巨大な戦斧を構えた女。褪せた金髪はくせ毛のように波打ち、鍛えられた身体を包むのはやけに露出の高い踊り子のような衣装だった。
「さ、お話はここまでのようだ。クロル、下がってて」
「は……はい」
クロルは言われるがまま血の海を走り去り、物陰に隠れていった。
ゼノはゆっくりとガンズの隣に並び、三人に対峙する。
言葉も動きもなく、五人は静止したまま何かの合図を待つかのように睨み合っていた。




