旅路 ⑥ 白銀の世界で
鉛色の空はただでさえ凍りつきそうな寒さを増長させるように、しんしんと白い雪を降り積もらせていた。
しばらく歩き通していたゼノ・ロステイトとクロル・ルッカの二名は呼気が白く染まり視界端に逃げていくのをなんとなく眺めながら、やがて足を止めた。
地面はすっかり雪が積もっていて、その厚さはくるぶしにまで及ぶ。
疲労はその雪のようにゆっくりと、だが確実に溜まっていく。
「ノルスを出てもう五日か……」
つぶやくゼノに、クロルが小さく頷く。
「ですね。アマズを出てからもう十日、さすがにちょっと疲れてきましたね」
「うん、この雪が思ったより厄介だね。吹雪いてないのが幸いってトコかな」
この大陸に存在する最大の街である『資源都市ノルス』。そこである程度の物資は入手できたが、やはりこの先にある『ガル・アルブ』に向かう者はそう多くない。故にその道はすべて雪に閉ざされてしまっているし、馬車すら出せないという。
正確には馬車は出せるが、その道中で使い物にならなくなる可能性が大きいという話だ。そのため、業者に依頼しても良い顔をされないのは当然だろう。
「ガル・アルブまで五日って聞いてたけど」
ゼノは徐々に薄暗くなっていく空を見上げながら、短く息を吐いた。
改めて前を見据えるが、町の灯りはおろか人の気配すらない。
もっとも、まだ旅立って五日。誤差を考えて一日、二日ほど延びるのはほとんど当然と言っても良い。
「ま、考えても仕方ないですよ。今日はここのあたりで、少し休みましょうか?」
「ああ、そうだね――」
クロルに視線を落として微笑を浮かべた刹那、ゼノの視界端に何かが蠢くのを見る。
彼は経験則から即座に身構え、クロルを庇うように立ち直る。同時に背に担ぐ剣に手をかけ、敵を睨んだ。
蠢いたのは雪。
雪は徐々に隆起すると、やがてそれを人型に形成する。顔の部分に二つの赤い宝玉。それが怪しく鈍く輝く。
その数は見る間に増えていき、瞬く間に二人を囲うほどの数にまで増えていた。
「……見たことのない魔物だね」
「はい……北の方は魔物が出ないと聞いてましたし、不思議な事ですが――」
言いながらクロルは指を鳴らす。
不意に耳につんざく甲高い異音が響いた。
瞬間、彼女の眼前に突如として展開された光輪が刹那にして空間に陣を展開する。同時にその中心から溢れる光の奔烈が細分化するように幾重にも分かれ、それらはまるで意思を持つかのように周囲へ発射。そして瞬時に彼女らを囲む数十体の魔物の眉間を撃ち抜いて見せた。
凄まじい熱量によって雪が解け、じゅう、といった音が余韻を残す。
雪の魔物はボロボロとその身を崩していき、やがて何事もなかったかのように消えてなくなった。
「私たちの敵ではないですね、ふふっ」
自慢げに胸を張り、どんなもんだとでも言わんばかりの姿勢を見せるクロル。ゼノはそれを見て微笑み、軽く彼女の肩を叩いて褒めてやる。
「クロルが居れば百人力だね。僕の出番がなくなっちゃうよ」
だけど、とゼノは微笑んだまま改めて剣を構えなおしていた。
そして彼の眼は、崩壊した雪が再び先ほどのように人の形を取り戻していく光景を捉えていた。
「……ゼノさん」
得意げな顔は、容易く魔物を撃破してみせたから、というわけではなさそうだった。わかっているだろう? と言わんばかりに、彼女は真剣な眼差しでゼノを一瞥した。
ゼノはそれに応じるように小さく頷く。
『それ』が瓦解する瞬間、薄くなった雪の中に赤色に鈍く光る玉石の影を見た。
その認識は、やがて知識や経験から推測を促し、そして答えを導き出す。
頭部を破壊されて無事な生物はいない。それは魔物であっても同じだ。
であるならば、目の前のソレは生物ではない。つまりなんだ? 精霊や、あるいは人……魔術に秀でた者によって作られた木偶である。
それを行うとするなら、それはガル・アルブの守護者――あるいは、己の命を狙う者。そしてその心当たりは十二分にある。
――寒さによって疲弊し、十分な休息もとれていない現状。こんな中で『息子たち』に襲われてはたまったものではない。
しかし答えはもう出ている。
そしてすべき行動は決まっている。
そうなれば、ゼノの動きは早かった。
雪が人の形を保ち始めるより早く肉薄。同時に赤い玉石があった頭部へ腕を突っ込む。
やはりあった。ソレを掴んで腕を引き抜く。
手の中を見れば、精巧に加工された球状の赤い宝石が鈍き輝きを放って存在感をあらわにしていた。大きさはちょうど眼球ほどか――雪から離れた途端に、目の前の魔物は先ほどと同じようにその姿を崩壊させていった。
ゼノがそれを握り潰している間に、不意に熱風が頬を撫でた。
顔をあげると、さらなる熱気が爆風とともに上昇気流を作り出していた。瞳が焼かれそうになって思わず腕で顔を守ると、その直後に大地がにわかに胎動。したかと思えば、針ほど細い何かが隆起するように地面から突出し、十数ともなる赤い玉石を正確に打ち砕いていた。
「……なんでもありだな」
独りごちながら、手の中の玉石が再生しないのを確認して振り払う。
そうしている間にクロルは短めに嘆息しながら隣へやってきた。
「お互い様ですよ、ふふっ」
彼女はまた、得意そうに胸を反らして見せた。
はじめにマッシュたちと出会ってから暫くにぎやかな旅路が続いていた。それに比べればこの五日間はいつになく静かで物静かな雰囲気さえあっても仕方ない筈だったのに、クロルはどちらかといえばむしろご機嫌な様子だ。
疲れは見えているが、無理をしている様子はない。この先の街に何かの期待を抱いているといった情緒もなさそうだ。
随分となついてくれたものだ、という安堵や嬉しさが半分。
この先の事を考えれば――もし白銀竜に近づいているのならば残りの旅はもう短いという事を考えれば――申し訳なさが半分。
ゼノは複雑そうに彼女に微笑みを返しながら、旅の続きを促して歩みを進める。
なんにせよ、この雪の中を歩くのはまだしばらく続くのだ。
厄介なことが続く前に少しでも街に近づいていておくのは、間違いではないはずだ。




