また会う日まで
見上げた空はまだ西に鈍い朱色を残しているものの、その殆どを夜色に染め上げている。
濃紺に散らばる星々を眺めてから、改めて玄関口に集まった面々へと顔を向ける。
ゼノ・ロステイトは柔和な笑みを浮かべて、まず疲れた顔のアンジェリーナ・ブロッサムへと言葉を掛ける。
「君には色々世話になったね。ありがとう、ゆっくり身体を休めて」
「貴様に言われる筋合いは無いが、まあ今は素直に聞いておこう――クロルも気をつけて。頼りになりそうでならない男だ」
「い、いえ、そんな事は……」
そんな事を言っていると、ごほん、と隣で咳払いが聞こえる。口をつぐんで横を一瞥すると、少しむっとした顔のモカ・ナリイはアンジェリーナを怒ったような目つきで睨んでいた。
「ゼノほどの男は他に居りゃせん」
アンジェリーナは肩をすくめ呆れたように鼻を鳴らした。
「ま、人の好みはそれぞれですからねぇ」
言いながら、彼女は小脇に抱えていた外套を広げる。
そのまま少し屈んで、クロルを包み込むようにして着せてやった。彼女は少し驚いたように胸元でそれが落ちないように抑えると、アンジェリーナはクロルへにっこりと笑いかけた。
「あっちほど上等なのじゃないけど、風を通さない作りだからいくらかマシだと思うわ」
「い、良いんですか?」
「もちろん。女の子は身体を冷やさないようにしないとね」
言ってウインクしてみせると、彼女は少しだけ一歩後ろに退いた。
隣ではすでにゼノとモカとの別れの挨拶が始まっているようだったが――まるでモカの様子が離れ離れになる恋人のように見えて、アンジェリーナは面白がって口を閉ざしそちらへと傾聴する。
「ゼノや……主の使命はわかっておるが」
モカは元気なさげに下腹部あたりで指をいじくり、視線を落としている。
ほんの僅かだけ間を開けて、彼女は微笑むゼノへと顔を上げ、見た。
「いざこう離れるとなると少し……少しだけ、寂しいのう」
「女王、なぜここまで気に入って頂けているのかわかりませんが……また来ますから」
「ふむ、やはり憎い男じゃのう」
先程までのさみしげな表情はどこへやら、モカはニヤニヤと頬を緩める。
ゼノが己の好意に気づいて知らぬふりをしているのか、あるいはただ単に鈍重すぎるほどに鈍感なのかは彼女自身わからないが、どちらにしろそこがゼノの良いところだと思っている。
モカは一歩踏み出してゼノに寄る。豊かな胸が微かにゼノの胸板に当たっていて、見上げる顔と見下ろす顔は、不必要に近い。
ゼノは動揺を隠せないように視線が泳いでいた。だが女王の手前、近づいた彼女から離れてしまうのも失礼だと動けない。
「じょ、女王……?」
「ゼノや……」
モカが少しずつ背伸びして、二人の顔の距離が近づく。
クロルはその状況に驚いたまま動けない。
アンジェリーナはそれを面白そうに眺めている。
館の玄関口で控えていたリナとエミリは、二人仲良くその状況を見て黄色い声を上げていた。
――女所帯は誰も助け舟を出してくれないのか。
ゼノは毒づく。
最も男がいたとしても状況は変わらないだろうが――ゼノは額に汗がにじみ出るのを感じながら、意を決した。
やがてモカの瞳が静かに閉じた瞬間――ゼノは彼女の肩を掴むと、少し押すようにして無理やり距離を離す。
彼女は少し驚いたような顔でゼノを見ると、すぐにイタズラっぽい少女然とした笑顔を作ってみせた。
「つれないのぅ?」
「と言われましても……」
「据え膳食わぬは、と教わらなかったのか?」
「いや、あの……すみません。お気持ちはとても、嬉しく、身に余る光栄なのですが、今は、その……僕自身そういった感情を持つことが出来ず、それは、あの、女王に対しても非常に申し訳ない話ではあると理解できているのですが、しかし、感情もなく女王に触れるのはさらに不敬であると考えまして――」
「――わかったもう良い、言うな、悲しくなるわ」
もう、とため息。モカは複雑そうに笑うと、少し強めにゼノの二の腕を叩いてみせた。
それは冗談だったと笑い飛ばす為であり、また喝を入れる為であり、さらには純粋に好意をはっきりと拒まれた事による怒りによるものだった。
「主はこれからが大変なことになるじゃろう。気をつけて――必ずここに戻って来るんじゃぞ? 遅くなっても良い、必ず」
「はい。それはお約束致します」
「ふむ。その時は、もう主の感情や気持ちなど一切考慮せんからな」
モカは言って、ゼノの胸板を小突く。そうしてからニカっと明るく笑うと、今度はクロルへと目を向けた。
「そういう訳じゃ。お主にも色々言ったが、まだ言いたいことは腐るほどある。聞かせてやるから、お主も必ず顔を見せよ」
「ふふっ、わかりました。女王様って可愛いところもあるんですね」
クロルは仕返しとばかりにそう返すと、予想外のカウンターだったのかモカは口ごもり、やがてぷいっと顔を背けてしまった。
「ともかく、よ。どうあれ主らにこの国を救ってもらったのは事実じゃ。また改めて、礼をさせてくんなし。こんなコソコソとではなく、国中をあげてな――さ、これ以上の話は無用じゃ。夜が明けてしまう前に、旅立ちなんせ」
「はい。ありがとうございました、女王。それでは、また」
ゼノは短く告げ、改めて彼を見るモカへと頭を下げる。
そうして今度はアンジェリーナへと顔を向け、微笑んだ。
「君もゆっくり休んで、はやく怪我を良くしてくれ」
「貴様に言われんでも治るものは勝手に治る。気にするな」
「ははっ、それもそうだね。それじゃ」
「ああ」
腕組みをするアンジュへ軽く手を挙げると、彼女は首肯して返す。
ゼノはそうして彼女らに背を向け、歩き出す。
クロルも彼女らへ深く頭を下げてから、ゆっくりと彼の後を追っていった。
空はようやく西日を飲み込んだ濃紺に包まれていた。




