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男人禁制の国アマズ・ハイネ ④ 悪夢、そして情報屋との再会

 深い井戸にでも落ちたかのような感覚だった。意識が暗く冷たいどこかへ吸い込まれるように落ちていく。

 落下の感覚はついさっき覚えたばかりだからか、非常にリアルで恐怖感を煽るものだった。

 やがて身体はなんの衝撃もなく、そこへ降り立った。

 そこというのは、底という意味でもある。つまり深淵――うっかり眠ってしまった時に気がつくといつも居る、悪夢のスタート地点だった。

 闇が空間を完全に支配していて何も見えない。あまつさえそれらは身体にまとわりついて、歩くのさえ重っ苦しくひどくかったるい。

 ゼノは短く息を吐いて、前を見据えた。

 そこにはやはり、いつも居る巨竜が佇んでいる。見上げればそのまま後ろにひっくり返りそうなほどに大きく、そして闇よりも尚黒い漆黒のドラゴン。

 こいつには何度も泣かされたし、怯えたし、殺された。もう二度と会わないぞと決心したが、二日しか保たなかった。やはり人は眠らないとダメだな、と思うと同時に、眠っても結局ここに居るのだから疲れがとれないのだ、とも思った。

「今日は、戦う気分じゃないんだよ」

 ゼノはうんざりしたように口を開いた。思えばそう語りかけるのは初めてだったな、と思う。

『ならば戦わなければ良いだろう』

 低く歪んだような声が、不意に響く。耳に届く音はなかったが、それは確かに聞こえていた。

 驚いて目を見開くと、遥か空の上から見下ろす紅い眼とゼノの視線が交錯した、とうな気がした。

「……話せる、のか?」

『お前が今まで、対話を望まなかっただけだろう?』

 そんな普通の返答に、まったく予想外だと言わんばかりにゼノは吹き出すように笑った。

 少しして落ち着いたゼノは、ひいひいと掠れた喉を鳴らしながら言葉を返す。

「君が殺してくるからだろ」

『お前が武器を握っているからだ』

「こんな巨大な竜を前にして、素手でいられるやつなんて居るもんか」

『何もしていないのに刃物を向けられ、何もせずに居られる者もいないだろう』

 やれやれ、と黒竜は大きく息を吐く。その吐息がまるで暴風のように吹き荒れ、思わずゼノは吹き飛ばされそうになった。

『この姿のままだと、いくらか首が疲れるな』

 ぼやくように呟く。ソレは膨らんだ気球が萎んでいくように、その姿を徐々に縮めていく。やがてそれがゼノほどの大きさになった時、その輪郭は竜ではなく人のものに変わっていた。

 まるで鏡写しだ、とゼノは思う。黒竜だったそれは、髪色と目の色を黒く染めただけの、ゼノそのものの姿だった。

 夢だから当然か、とわずかな驚きを納得させて落ち着く。またそれを見て、男は言った。

『首が疲れるとかいう感覚があるのか? とか言わんのか?』

「ごめん、その発想がなかった」

『お前は誰だ、とか』

「ああ、まあ……」

 話が出来る。そんな事がどうでも良くなるようなくらい軽い口調に変わったことに対して、ゼノは少しばかり意表をつかれたように狼狽していた。

 気後れするゼノへ、男は得意げな様子で続ける。

『俺はお前だ。だがお前は俺であって、俺ではない』

「良くわからないが」

『俺という自我はお前とは異なるが、同一人物かと問われれば是とする。わかるか?』

「何をもって同一人物とするか、じゃないかな」

 姿形が似ている、あるいはそのものであるならば性格や記憶が異なっていても同一人物なのか。もしくは外見がまったく違っていても、自我だとか記憶が同じであるならば同一人物なのか。前者ならば彼の言う通りだが、少し話しただけでも性格ばかりは似ているとは思えない。

 ゼノの返答に、顎に手をやり考え始めた男へ、咳払いをして思考の中断を促す。

「そんな事はどうでもいいんだ。それが言いたかっただけなのかい」

『いや』

 そんなわけあるか、と言わんばかりに鼻で笑って首を振った。

『このまま戦い続ければ、お前は間もなく死ぬ。先の邪なる者の息子との戦闘……ああいったものが続けば、尚更な』

 お前は今、両手両足を縛られたまま生きているようなものだ、と揶揄した。

「過大評価だよ……と言いたいところだけど、そこまで弱くなってるのか?」

『ああ。ま、ゆっくり話そうか――この世界では、時の流れは早くも遅くもある。お前が望めば望む分だけ時間は伸びる……最も、それほどに起きた時、疲労感が残るがな』

 男は指を鳴らす。瞬間、ゼノの身体は気づいた瞬間にはもう既に椅子に座らされていた。

 目の前には小さな円卓があり、湯気をたてるティーカップが置かれていた。

 男はまるで最初からそうだったかのように落ち着いてティーカップへ手を伸ばしており、ゼノ自身もまた、そうであったかのように驚くことはなかった。夢だからなんでもありだ、と納得以前に彼は全てを受け入れていた。

『俺の出自から話そう。そして俺は、お前に力を貸す時が来る――それを納得させる為に、な』

 男はそう言って、ゆっくりと、だが徐々に滔々と語り始める。

 己が生まれた所以。それはゼノの出自にも大きく関わる秘められた事実。

 時間はいくらでもある。男が言った通りにそこに居る時間は、その体感だけでも一日以上。だというのに話はまだ尽きる兆しは見えない。

 だが、ゼノも時を忘れてその話に聞き入っていた。時には疑問を投げ、時には反論し、戸惑い、嘆き、やがて納得する。

 話はちょうど、そこにある身体がにわかに軽く浮かび上がってきた所で終わった。

『俺とお前は一心同体だ。忘れるな』

「はっ。じゃあなんで今まで、散々僕を殺し続けたんだい」

『二五年、待ち続けた。憂さ晴らしだったとでも言おうか』

「なるほどね……だが、あまり君の力は借りたくないな」

 その話が事実なら。

 これは飽くまで夢だ。

 だからこれこそは自分が想像する最も最悪な、あるいは最も最良な妄想である可能性を否定することは出来ない。

『そう言えるのも、今のうちだけだ』

 冷たく、重い言葉が最後の最後でゼノの心を不安で煽っていた。

『あと一つ、助言するとするならば―-お前はお前であることを見失うな』

 浮かび上がった身体が、言葉を返すより早く天高く上昇しきっていく。

 高度が増すにつれてそこにある意識がゆっくりと鈍く濁って行き、やがて途絶えた。


     ❖     ❖     ❖


 目が覚めたのは、隣から伸びた手が身体を大きく揺さぶっていたのと――頭を前に落として胸の中に沈んだ顔が、吸うべき空気を失い窒息しかけていた時だった。

「っ――はぁっ、はぁっ! な、な……し、死ぬかと、思った」

 狭い所で膝を立てて座っていたせいで、胸が圧迫されて隙間を無くしていた。たわやかな胸が大きな障害物となり、そこに落ちた顔面の気道という気道を塞ぐという事故が起こった。簡潔な所でそんなくだらない理由だったが、事実そのくだらない事で命を落としかけていたのだから、笑うに笑えない。

 顔を覆うように垂れていた長い髪を整えるようにかき分けながら、少し呼吸を整える。

 似たような体勢でアンジュが眠りこけていた事を思い出して首を回す。視線の先で膝を立て眠っている彼女の姿は確かにあったが、しかしゼノとは異なりそういった心配はなさそうなのを知って安堵に胸を撫で下ろす。

 最も、そんな事を直接言えばまた蹴り飛ばされるかも知れないが。

「ねえちょっと、大丈夫? 随分うなされてたみたいだけど」

 低い声が、女性のような口調で隣から聞こえた。

 顔を向けると、浅黒い男性の顔。まだ夜更けで薄暗い牢の中、その顔ははっきりとは見えない。だがどこかで聞いたような声が、鉄格子の向こう側から聞こえていた。

 目を凝らしてよく見る。

 口元に無精髭を伸ばしているが、その顔にはうっすらと化粧を施されている。黒いドレスという格好に、鈍っていた思考がゆっくりと手探りで記憶を引っ張り出してきた。

「マダム……?」

「うん? あら、あたしにこんな綺麗なお嬢さんの知り合いなんて居ないけれど」

 首をかしげる男に、ゼノは声を潜めて言った。

「マダム、僕だ、ゼノだよ。訳あって女性の格好をしているが」

「ゼノ王子?」

 言いながら、その発言の裏付けをとるようにゼノの居る牢の中へと視線を向ける。すると程なくして、すぐ近くに布を掛けられ眠っている少女の姿を捉えた。あれは確か、クモッグで紹介されたゼノの同行者であるクロルに違いない。

 この場所がアマズ・ハイネである以上その姿が女性のものであっても不思議ではない。何より『マダム』と名乗っているのはゼノに対してだけだ。

 注意深い確認の後に、確かによく見ればどことなく面影の残る顔、特にその金髪と青い瞳を見据えて、マダムはようやく破顔した。

「あなた達も大変なのね、こんな所に押し込められて」

「ええ……いや、マダム。なぜあなたがここに?」

「ここに王子の求める情報があると思って忍び込んだのだけど、このザマよ。ふふ」

「なるほど……無謀という他ないと思いますが、僕の為と聞くに申し訳ない」

「気にしないで、自分でやったことよ。それに、今晩ゆっくり休んで逃げ出そうと思っていたし」

「可能のかい?」

「あら、忘れたの? あたしはどこにでも行けるのよ……ふふっ、こうして、こんな所で話すのも懐かしいわね」

 言いながら、マダムはまた微笑む。

 懐かしい――言われて、思い出す。

 十年前……正確には十三年前。まだ軍に入ったばかりの頃だ、あの頃はまだ己が王子である事の印象が強く、冷遇されていた。王位継承権を放棄したばかりで、随分と舐められ、好き勝手されていた。

 あの日も確か、これくらい更けた夜だった。訓練でミスをした己が一人懲罰房にぶち込まれて、メソメソ泣いていた時だった。

 天井近くに設置されている小さい窓。ガラスはなく鉄格子だけが嵌められているそこに、マダムがやってきたのだ。

 それから彼との付き合いは続いている。元々情報屋としての生業をしていた彼は、ゼノらが旅立ってからその本領を発揮してくれている。

「ああ、あの時はマダムが居なかったら、きっと心が折れていたかもしれない」

 マダムは元々、どこかの国で諜報活動を主としていた部隊に所属していたらしい。だがそれも昔の話で、今はその経験を活かして自分の生活の糧としている。最初の頃こそ警戒していたが、特にそれらしい被害も無いのはこの十三年間変わらない。

「ま、王子が無事なのを確認出来て良かったわ。捕まった甲斐もあるってものよ」

「そう言ってもらえると嬉しいよ。それで? ここに何の情報を?」

「ええ」

 頷きながら、マダムは牢の外を見やる。離れた所に居る看守は、机に頬杖をついてウトウトと船を漕いでいた。

「王子がここに居るって事は、もう首飾りの事は知ってるのね?」

「うん。ドラン・グレイグのシスターから聞いてね」

「じゃあ、今この国に降り掛かってる騒動の事は?」

「ああ、そうだ。それを聞こうと思ってたんだけど、女王が話すだろうって取り合ってもらえなくてね」

「じゃ、まずはそれからね」

 そう言って、マダムは話し出す。

 それはこの国では黒影騎士と呼ばれ、空から現れたという。黒い甲冑は影のようなもやを纏っており、多くの魔物を率いて言葉もなく襲いかかってきた。

 その時は撃退に成功し、連中は北の方へと逃げていった。が、その際にただ一言「金髪碧眼の男が来たら俺に差し出せ」とだけ残していったと言う。

「……僕の事、かな」

「話だけ聞くとね。それに、金髪碧眼っていうのも珍しいし」

 甲冑の男。

 言われて、ドラン・グレイグでの事を思い出す。フラムと名乗った奴は奇妙な丸薬を内服した瞬間、甲冑を出現させ身に纏っていた。

 関連性は強い。ほぼ間違いないと言っても良い。

「だが、撃退出来るほどの力がこの国にあったわけだね」

「と言っても、大打撃だったそうよ。深夜から朝まで持ちこたえて、太陽を見てそれは帰っていったってだけの話らしいわ」

 はぁ、とゼノは大きく、深くため息をついた。

 また僕のせいか、と零せずにはいられない。ドラン・グレイグでも同じことがあった。あの時は、ガラムという伝記に詳しい老人が殺害されていた。この国では死傷者の数こそ知れないが、確実な被害が出ているようだ。

 嫌になる――だが、これが己が選んだ道なのだ。

 人に迷惑をかけるのも承知で、全人類の敵ともなっている『邪なる者』と明確に敵対したのだ。

 今更後悔していても仕方がない。自分の力で全てを守り抜く事なんて出来ない、そんなのはわかりきっている。

「落ち込んでもしょうがないわよ。あなたの目指す深淵は、放っておけば今回の事なんかよりずっとヒドい事になる。あなたが言うように、わざわざそういう事をするっていうのは、敵があなたを危険視してるってことなんじゃない?」

 優しい口調でマダムは告げる。ゼノは引きつったように微笑みながらそれに頷いて、あれ、と妙な違和感を覚えた。

「マダムは、そいつが深淵の刺客だってなぜ知っているんだい?」

 その言葉に、マダムは驚いたように目を見開く。

「王子、あなたはあたしの仕事を忘れたの? あなたがドランで紅い甲冑の男に襲われた事だって知ってるのよ?」

「なっ……どうやってその事を?」

 今度は逆にゼノが驚かされる。あの件から既に十日以上が経過している、ある程度情報が広がっていてもおかしくはないと思うが。

「ふっ、機密事項よ」

 ま、そんな事より。マダムはそう言って言葉を続けた。

「次は白銀竜ホワイト・エンドの情報よ。ここからさらに北、ずっと行った先に最後の街があるのよ。この大陸最北の街――ガル・アルブ。それなりに大きな街なんだけど、なんでもそこに居る占い師が白銀竜について何かを知っているらしいという噂があるわ」

「占い師、か……」

 こんな話を聞いて思い出すのは、ドラン・グレイグのガラムの事だ。彼はゼノが訪れる前に殺されていた。

「ま、ここで例の首飾りが手に入れば無用かも知れないけれど、どちらにしろ最後の補給地点だから寄らないわけはないでしょう? 念のために、ね」

「ああ、ありがとうマダム。今はこんな所だが、また改めて礼をするよ」

「ふふっ、構わないで良いわ。あたしたちは、友達でしょう?」

「ああ、そうだね」

 ゼノはそう言って笑う。ああそうだ、もう十年来にもなる友達だ。

 ゼノの笑顔にマダムも笑って返す。彼からは情報というよりは、元気を貰う。いつもの悪夢……あれを見た後だったから、きっと目が覚めた後は彼が居なければ気が滅入っていた事だろう。

 そう言えば、ここからどうやって脱出するのか――そう聞こうとした時、不意に牢屋の外から足音が聞こえてきた。

 言葉を止め、それを待つ。やがて扉が空いたと思うと、先程去っていったリナがそこに入ってきたのがわかった。うたた寝している看守の机から鍵をひったくり、牢の前まで到着する。

 彼女は中を伺うと、小さな寝息が聞こえてきていた。

「なんだ、寝ているのか」

 ぼやく彼女に、ゼノは立ち上がって反応する。暫く狭い所に身体を押し込んでいたから筋肉が凝り固まって痛みを訴える。それを伸ばしながら、返答した。

「すまない、起きているよ」

 ゼノは手を組んで両腕を上に伸ばす。気分を切り替えるように大きく息を吐いて、リナの前まで歩み寄った。

 彼女は小さく頷いて、

「女王がお待ちだ。起きているお前だけで良いから、着いてこい」

 言いながら牢の鍵を開け、ゼノが外へ出るのを待つ。

 隣に並んだ彼を確認してから、牢の鍵を締め直す。「着いてこい」と告げて再び道を先導する彼女に首肯しながら、ゼノは振り返った。

 マダムは小さく手を振りながら別れを告げていたのを見て、ゼノも軽く手をあげてそれに応対した。

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