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城郭都市グラン・ドレイグ ③ フラム・ウィフト

 眼前で刃が交錯し、激しい火花を散らした。

「っ!」

 ゼノは思わず呼気を漏らす。

 ――疾く、重い。 

 弾き返して身を翻す。逃げるのではなく、奴の動きの選択肢を絞る為。

 距離を取れば詰めるしかなく、その迫る刹那を狙う事が今の希望だ。

 だがそれも虚しく、先程己がそうしたように、フラムは一瞬にしてゼノの正面に回り込んだ。

 言葉などない。また容赦なく振り下ろされた剣に、ゼノは為す術もなく対応した。

 また火花が散り、剣が受けた衝撃が両腕を襲う。骨までが振動し、にわかに痺れる。

 腹の奥底が鈍く痛む。緊張と恐怖を押し殺して、ゼノは口角を釣り上げた。

「はっ!」

 刀を弾き、押し返す。今度はゼノが距離を詰め、その刀身の長さを利用してフラムを突き殺す――刃先は鋭く首筋を薄く斬った。

 同時に、目の前から白刃が閃いた。フラムの刀が己の心臓目掛けて飛来する。

 罠だった。判断が鈍る。避けきれない――微かによじった身体が功を奏した。その鋭い剣閃は心臓から離れた脇腹に突き刺さり、力任せに引き裂いた。

 激痛。視界が一瞬明滅する。焼けるような痛みが腹部から全身に伝播する。剣を握る指から力が抜けかけて、

「クソッ!」

 気合一息。それをなんとか逃れる。剣を握り直して立ち直った直後に、またフラムの嵐のような剣撃が襲いかかった。

 何度も何度も力任せに振り下ろされるそれを、正確に見咎め、対応する。僅かでもズレれば大上段から降ろされる刃になます斬りにされる筈だ。

 だがそこばかりに集中していれば、

「……っ!?」

 腹部を力強く蹴り飛ばされ、堪らずに膝を折る。それに合わせてフラムの足先が、鋭くゼノの顔面を蹴り飛ばす。僅かに身体が浮き上がり、やがて地面に叩きつけられる。

 首の骨がイカれそうだ。腹部から致命的なほどに血が流れ続けている。両腕の痺れがまだ治らない。視界が赤く明滅する。

 ――死。

 脳裏にそれが過る。

 死にたくない、という恐怖より、死ぬ訳にはいかないという使命感が脳を支配した。

「く、そ……!」

 剣を支えに、ゼノはようやく立ち上がる。

 フラムはゆっくりと歩み寄り、地を駆り、肉薄。硬く握られた拳が、痛烈にまたゼノの顔面を殴り飛ばした。

 さながら人形のように力なく吹き飛ばされたゼノは、まだ、ややあってから立ち上がる。頬が裂け、殴られた左目が真っ赤に充血している。まだ笑う口元は鮮血に染まり、それを垂れ流していた。

「はッ! やっぱこの程度か……テメエは雑魚だ。それで良くここまで生きてこれたと褒めてやろう」

 フラムはひどくつまらなそうな声色でそう吐き捨てた。

 ゼノは笑ったまま彼を睨み、大きく息を吐く。

「悪いが、ここで死ぬわけにはいかないんだ」

「……命乞いか?」

「いや。僕が甘かった、死ねないから、ここで終われないから、死力を尽くす訳にはいかない……そう考えてた。こいつは、その甘さが招いた罰だ」

 切り裂かれた腹部をさする。触れただけで鮮烈な痛みに全身が跳ね、意識が飛びそうになる。手が血でぬめり、赤く染まる。

「勝つしか無い。生き残れば、まだチャンスは幾らでもある。だから死ぬ気で、君を斃す」

 感情は、不思議と落ち着いていた。痛みに思考が混乱しているのかわからないが、感覚は先程より研ぎ澄まされているかのように繊細だった。

「テメエに何が出来る?」

「精々……足掻いてみせるさ」

 来いよ、と指先で招く。 

 舐められたもんだ――言葉がフラムの神経を逆撫でした。

 フラムはまた一息で距離を詰める。剣撃が容赦なく降り注ぎ、それは彼自身以外なまでに通る。鋭い剣閃はゼノの右の肩に叩き込まれ、鮮血が弾けた。

 同時に振り薙がれたゼノの長剣が、予断なくフラムの首を狙う。

「――ッ!」

 即座に後退。だがそれは寸でで、フラムの喉元を薄く切り裂いた。

 フラムは短く息を吐く。だがそれも束の間、ゼノの姿が一瞬にして視界を埋め尽くす。

 間に合わない――ゼノの刺突が甲冑を激しく叩き、砕く。さらに全身全霊が籠もった一撃が皮膚を裂き、骨を砕き、左の鎖骨辺りを貫いた。

「がァ……ッ!」

 さらに剣は動きを止めずに切り裂かんと力がこもるのを感じる。フラムはにわかに呼吸を乱し、深く突き刺さるのも構わずに自ら距離を詰めた。

 無防備に構えているゼノの横っ腹を力任せに蹴り飛ばす。何か堅いものがいくつもへし折れ砕ける感触、その音が響く。

 彼はもはや言葉を発せず、力を失い剣を手放すと、そのまま吹き飛んでいった。

 ――丸太の衝立をなぎ倒し、ゼノはその向こう側に消える。同時に、その先で大きな水柱が上がった。

「ちいッ! クソが……! はぁ、はぁ……ッ」

 フラムは激しい呼吸を繰り返しながら、肩口を貫いた剣を引き抜いて捨てる。鮮血が尾を引き、重い金属音を鳴らしてそれが地面に転がった。

 血に濡れたその長剣を忌々しげに睨みつけながら、鬱憤を晴らすかのようにそれを力任せに踏み抜く。足の下で硬質のそれが砕け、割れる感触があった。

 油断していたワケではない。単純に、ゼノはフラムの想定を超えた、ただそれだけの事だ。

 まさかこの姿になって、致命的な一撃を喰らうとは思っていなかった。

「認めてやる……だが、テメエはここで終わりだ」

 まだ死んでは居ない筈だ。ああいう奴はその首と身体を引き離さない限り、安心は出来ない。

 フラムは大げさに破壊された衝立、その向こう側の温泉へと足を向けた。


 湯に浸かり、眠りこけていた時だった。

 破滅的な破壊音が背後からした。反射的に身体を起こすと、己のすぐ近くまで衝立の丸太が倒れ込んできた。

 何事だ――考える間もなく、それを引き起こした何かが、己等の頭上を超えて温泉へと突っ込んでいくのが見えた。激しい衝撃に天高く水柱が上がり、豪雨のようにビシャビシャと辺りに降り注ぐ。

「なっ、なっ」

 クロルは現状に理解が追いつかない。エルファも同様に、訳がわからないなりに温泉に落ちたそれへと近づいた。

 ――湯が赤く染まっていくのがわかる。傷を負った何かがここにぶち込まれたのだ。

 エルファは温泉の底に、人の形があるのを発見する。動きはない、意識を失っているようだ。

 このままでは溺死する。彼女は潜り込んで、視界の悪いそこから抱きかかえるようにしてそれを掴んで、引き上げた。

「――っ!?」

 エルファはそこに、正確な言葉を出すことが出来なかった。

 引き上げたのは、顔が引き裂かれ頬骨が露出し、温泉に浸かってなお未だ血まみれになるほど激しく出血しているゼノだった。よく見れば腹部から流れた血液が温泉を汚している。

 意識はなく、呼吸が浅い。完全に脱力していて、抱えているだけでも一苦労だ。

 そして同時に、背後から激しい殺気が近づいているのに気がついた。

 振り返れば、倒れた丸太の上に立つ赤い甲冑姿。肩口の甲冑が破損し、そこから出血しているのがわかる。

「……人払いをした筈だが、居たのか」

 静かで、重い声が響く。

 まずい、クロルを逃さなければ――考える間に隣を見ると、既にその姿は湯から上がっていた。

 肢体を隠すように布で身を包み、それを胸元でしっかりと縛る。

 クロルは顔を真っ赤にしながら、それに負けず劣らずの赤い甲冑に対峙していた。

「あなたが……ゼノさんを……?」

 今にも泣き出しそうな顔だった。エルファは焦り、逃げるように叫ぼうとする。だが恐怖と焦燥で焦げた喉が、声を発せない。胸元でただ、強くゼノを抱きしめる事しか出来ない。

 クロルの問いに、男はクツクツと笑い肩を震わせた。

「奴の連れか? クククッ、良いことを思いついた」

 フラムは舐めるように下からクロルの肢体を眺める。細く小さい体だが、面は悪くなく、胸も尻もふくよかそうだ。悪くはない。

「……肯定と判断します」

「奴が目を覚ますまで、テメエを犯し――」

 フラムの言葉は、最後まで紡がれなかった。

 クロルが前へ突き出したその手のひらの先。その空間に突如として出現した陣が回転しながら膨張し、その中心から猛烈な輝きの奔流を吐き出したのだ。

 爆発的な熱量がそこから生まれる。轟、と放たれた爆音が世界を塗り替えた。眩い輝きが、一瞬だけそれ以外の全てを影に変える。

 フラムが立っていた丸太が一瞬にして焦げ付き――そこから遥か遠くの方で、その赤い甲冑が大地に叩きつけられるのを見た。

「許しません」

 短く、ただ一言クロルはそう告げる。目の端から流れた一筋の涙を拭いながら、クロルは指を動かす。

 更衣室から舞うように飛んできた衣類が、にわかに浮かんだクロルの肢体を包み込んでいく。一瞬にして着替えを終えた彼女は、そこでようやくエルファと、ゼノを一瞥した。

「ここは私が。エルさんはゼノさんをお願いします」

「ダメよ――ゼノでさえ、こんなに……」

「信じてください。私は伊達や酔狂で彼についてきた訳じゃありませんから」

「……無茶はせず、逃げること。約束して」

 エルファはようやく冷静さを取り戻す。短く、頭に血が上った相手にもわかりやすく告げる。

 だがクロルは飽くまで冷静だった。それに小さく頷き、温泉から外へとその姿を消していく。

 エルファはそれを見送りながら、ゼノを温泉から引きずり出し、まずは術による治療を始めることにした。

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