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城郭都市グラン・ドレイグ ② 宿場町

 用事がなくなってしまったから、クロルたちとの合流も難しそうだ。

 ゼノはグラン火山麓へ向かう緩やかな坂道を上りながら考える。話によれば、温泉は全て宿屋が牛耳っているらしい。

 もっと気楽に、温泉だけ入れる施設があるかと思っていたのだが……まあ適当に、宿泊はしないでも温泉だけ利用出来るのかもしれないし、ひとまず合流する前に自分もひとっ風呂浴びて、リフレッシュしよう。

「ま、切り替えよう」

 こんな茹だったような頭じゃ考えもまとまらない。その例の老人が何らかの私怨を抱えていて殺されたのかもしれないし、あるいはゼノの動向を見ていた者が先んじて殺害したのかもしれない。

 だが、だからと言って今の自分に出来る事など無い。わざわざその相手を探し出して言及するよりも、ただ一歩でも先に進むことが重要だ。

 少なくともこの街では一泊以上する予定だったから時間的に不都合はない。折角だから、今は羽根を伸ばして有事の為に体力を残しておこう。

 そう、考えた矢先のことだった。

 坂道は馬車が互いにすれ違える程度の広さがあるが、その両側には高い岩壁がそびえている。

 だがやがてそこを抜けるにつれて壁の高さは低くなり、登頂と同時に地面は平らになった。眼前には広い道と、点々とした宿屋があるちょっとした宿場町のようになっている。もっとも、そう表現するにはあまりにも宿と宿との間隔が広く、殺風景ではあったが。

「……?」

 ゼノはその違和感に、ようやく気がついた。

 人が居ない。

 否、正確には人の気配すらない。

 ――宿場からは湯気や、煙突から煙はあがっている。だがそこには異様なまでに活気がなく、音さえ無い。

 なぜ気づかなかった。いつから人は居なかった?

 坂を登っている最中……否、それより前。

 クロルたちが向かっているその時にはもう、そこに彼女ら以外の姿は見えなかった。まだ昼間だから、なんて訳はない。ここはグラン・ドレイグ一の名所だ、旅の者、地元の者でさえ気軽に立ち寄れる場所。

 鼓動が高鳴る。何か、嫌な予感がする。

 クロルは、エルファは、マッシュは――背負った剣の一本を抜きかけたその刹那。

「よお」

 声は、その瞬間に眼前に出現した猛烈な気配から発されていた。

 全身が一瞬にして総毛立つ。全神経が警報を掻き鳴らし、逃げろと頭の中でがなり立てている。

 ゼノはその驚異的な反射神経から瞬時に後退を選択。一息で、己の射程圏内より遠くに逃げた。

「……誰だ」

 背負っていた剣を鞘ごと腰元まで流し、引き抜く。遠くで陽炎すら浮かぶ熱射の中で、その鋭い刀身は鮮やかに冴えていた。

 ――それは人だった。

 短い髪を後ろに撫で付けるように固め、その人相は厳つい。狐のように鋭い目つきは抜身のナイフのように危うげであるものの、腕、足に鋼鉄製らしき防具を身に着けているだけ。そんな姿で無防備に構えている筈なのに、ゼノは迂闊に動けないでいる。

「ゼノ・ロステイトだな」

「……悪いが、人違いだよ」

「んなワケねえだろうが。オレはテメエを待ってたんだ」

 声は若い男のものだが、その雰囲気はとてもそれ故の軽さを見せない。全てが異様であり、重圧さを覚える。本能的に危険を察知しているのだ。こんなことが勘違いである筈がない。

「誰だ、貴様は」

 ゼノは努めて強い口調で言った。

 男はその様子を鼻で笑う。

「クククッ……親父殿に聞いちゃいたが、思ったより弱そうだなテメエは」

「親父……?」

 良くて己と同じか、それより下程度の年齢だろう。その父親とは言っても、その年代の知り合いは居ない。

「おい、二本抜いてみろよ。抜けねえんだろ? 今のテメエじゃあよ、何も出来ねえ雑魚のクセに粋がってんじゃねえよ糞ガキ」

「……何を言っているんだ、お前は」

「ドンドン弱くなってくテメエの力に絶望しろよ。テメエは最早オレの相手にすらならねえ」

「本当に人違いじゃないかな、言っている意味がわからないが――」

「ジャーク・ウィフト。テメエのよく知る男の息子だよ、オレは」

「――ッ」

 ジャーク・ウィフト。邪なる者。深淵の始祖。千年前の魔術王。あらゆる情報が頭のなかで交錯する。

 理解が追いつかない。

 奴は千年前の存在だ。息子? 居るわけがない。だが目の前の男がなぜそう名乗っているのか、そのメリットがわからない。なら本物? ならば奴も千年前に? 今の己に勝てるのか? クロルはどこへ? まさかこいつに――。

「ああああああッッ!!」

 沸騰した頭が己の意思に反して感情を爆発させた。

 先程とは比にならない激痛が心臓を支配する。今にも血管が破裂して、心臓が内から爆ぜて死んでしまう――そう思わせるほどの衝撃が、一瞬にして肉体に駆け巡った。

 だが同時に、身体は怖いくらいに冷静に動いていた。

 ゼノが大地を蹴り飛ばす。

 その長身に見合わぬほどの速度――その刹那に距離を零にして、白刃は僅かな差異もなく正確に男の首元へ、袈裟に振り下ろされていた。

「ッ!?」

 男は息を呑む。咄嗟に腕を振り上げて腕甲でそれを受けると、身を屈めて攻撃を回避した。頭上を過ぎる剣撃を見送る――暇もなく、真正面から膝蹴りの追撃が襲いかかる。

 それを両手を重ねて受け止め、後ろへ飛び退る。衝撃は受け流したが、手が痺れる。男は短く舌を鳴らした。

「はッ! 親父殿が日和るわけだな。よくその心臓でここまで動けたもんだよ」

 男がそう吐き捨てる間にも、ゼノはまた距離を詰める。

 鋭い剣閃の閃きが額を狙って飛来する。首を逸らして回避してみるが、続けて剣撃が振り下ろされる。

 またそれを腕で受け――そのまま鍔迫り合いよろしく男は肉薄してみせた。力強く振り抜かれた拳は腕力に任せてゼノの腹部に叩き込まれる。しかしその感触も手応えもなく、男が知覚するより先にゼノの姿は消えていた。

「なッ」

 隠しきれない猛烈な殺気が背筋を冷たく撫でた。男にはわかる。最早振り返る時間すら残されていない。

 だったら――その背に鋭い牙が噛み付いたその瞬間、男は咄嗟に前へ飛び込むように回避した。

 同時に、男の心臓があったその空間を白刃が貫く。即座に立ち直り、男はゼノに対峙した。

 呼吸が乱れ、額から汗が流れ続ける。気温や湿度のせいだけじゃない。

 己は今まさに、死を直感した。

「……確かに、今の僕じゃ剣を一本扱うのが精一杯だ。腕力も落ちたし、体力も以前より保たなくなった。だが――」

「は、ははッ……今更、負けた時の言い訳か?」

「――貴様を殺す事は出来る」

 ゼノの殺気が、心臓を貫いた。そう思うほどに、男はその鋭い悪意、殺気を神経質なまでに感じていて、その刹那に己が彼の刃の元に伏せるイメージが脳裏を過った。

 このままだと殺される。

 そう、このままなら――本気を出さねば。

「そうかい」

 男は短く息を吐く。呼吸を整える。

 落ち着け、奴のペースに飲まれるな。

 今のが奴の全力ならば、己が負けるわけがない。そう、負けるわけには行かない。

 男はズボンのポケットに手を突っ込む。まさぐったその先で、一つの丸薬を取り出した。

「じゃあ、オレもヤラせてもらうぜ」

 にい、と男は笑った。その手で摘んで見せた、紫色の、眼球ほどの球体を口の中に放り込む。

 噛み砕く、硬質な音がその静かな空間に響き渡った――刹那。

 男が身につけていた腕甲が、脚甲が途端に赤く染まり、変容する。それはゆっくりと溶けるように腕を指先まで、肩口まで、あるいは足先から腰元まで、全身を覆い尽くしていく。

 やがてそれが真紅の全身甲冑へと変貌した時、男の雰囲気が、ゼノが初めに感じた猛烈な存在感より遥かに強烈に増したのを理解する。

 炎が揺らめいているような柄を全身に施し、その顔すら最早わからない。

 ゼノにはその変貌が何を呼び起こすのか、わからない。だが確実なのは、先程までのように相手は己に対して油断はしないし、動きだけで翻弄することは叶わなくなったということだ。

「オレはフラム・ウィフト」

 フラムと名乗った男の手の中に、炎が宿る。それを振るった時、尾を引いた炎が振り払われ――片刃の、反り返った一振りの刀剣が出現した。

「推して参る」

 静かな一言を皮切れに、フラムは一瞬にしてゼノに肉薄した。

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