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旅路 ⑤ みんなで野営

 西の空に朱が差し始める頃、一行の馬車は徐々に草木が薄れつつある土地までやってきた。

 車輪が刻む轍は、風が吹けば掻き消えるような軽い土の上にその姿を残し、辺りにはゴツゴツとした岩が散見される。

 大地は西日に関わらず赤く染まっていて、地平線はその姿を隠すように色気のない地肌が荒れた岩山に囲まれている。あの山を超えた先にようやく、彼らが目指すグラン・ドレイグ領があるのだ。

 ――やがて東の空から追いかけてきた藍色の宵闇がその色を濃くして世界を飲み込み始めた頃、マッシュは手綱を強く引き締め、馬を停めた。

「これから先は足場が悪くなる。少し早いが、今日はここで夜を明かそう」


 適当に地面が平らな場所を探し、一同は馬車を降りる。

 マッシュは荷台から大きな桶を取り出し、馬に餌をやる。荷台の脇に括り付けていた藁と、布袋に入った穀物を少々。

 その間ゼノとクロルは石を集めちょっとしたかまどを作る。適当な木が見つからないが、

「火くらいなら、朝ごはん前ですよ!」

 そういうクロルは幾つかの石を前に跪き、念ずるように集中する。すると途端に石が発火し、強く燃え始めた。

 ゼノはそれをかまどに蹴り入れながら、それでも消える気配のない石にやや驚く。

「すごいね、何をしたんだい?」

「えへへ……石の性質をちょっと変えて、石炭のようにしたんです。普通の石だったのでエネルギー量的にはやや不十分ですが、あれだけあれば一晩くらいは十分にもつと思います」

「焚き木要らずだね。さすがクロルだよ、頼もしい」

「ふふっ、ありがとうございます」

 そんな他愛もない話をしている間に、マッシュとエルファがかまどへと集まってきた。

 彼らは手慣れた様子でかまどの上に薄い石を置いて、腸詰めや干し肉を切り分け焼いていく。ゼノはそれにあわせて人数分のパンを用意して、焼けないように火の近くで温めた。

 そんな形で、四人の夕食が始まった。


     ❖     ❖     ❖


「じゃあわたしは先に休むよ。後は頼んだ……ふぁぁ」

 言いながら大きなあくびをしたマッシュは、かまどから少しだけ離れた場所でそのまま横になって、布をかけて眠り始めた。

「もう、遠慮のない奴」

 エルファはそんなマッシュに短く舌打ちをして、既に見張りをする気満々で剣を抱えて離れた所に座り込んでいるゼノを眺める。

 逆にあいつはなんで休まないのか。自分が夜の見張り当番だと知っている筈なのに――声を掛けに立ち上がろうとした時、それより先に彼のもとへ走り寄っていく小さな影を見て、エルファは動きを止めた。

「――ゼノさん、休まないんですか?」

 片膝を立て、股ぐらから肩を一直線に差すように剣を抱えるように座るゼノに、クロルはそう声を掛けた。

 荒野ゆえに、見晴らしがいい。特に場所を変えずに周囲を警戒しているだけでも良かったのだが、眠る者が居るのならそれの邪魔になってしまうだろう。そんな考えでかまどや馬車から離れたゼノの隣に、クロルはちょこんと座り込んだ。

「うん、まあ僕も僕で馬車で座ってただけだし、出来る事くらいは手伝わないとね」

「ふふっ、ゼノさんらしいですね。私もご一緒しますよっ」

「ありがとう。じゃあ少し、話でもしてようか」

「はい。少し気になった事なんですけど……ここから真っ直ぐ行くんですよね? 山を登るんですか?」

「ああ……あれはね」

 と首を傾げるクロルに、ゼノは説明する。

 ここからグラン・ドレイグまでは馬車であと一日程度の距離だ。

 目の前の岩山には大きなトンネルがあり、そこを抜ければもうすぐそこだ。地平線に大きな火山が見え、その手前に大げさなほどの城郭があり、それを囲むように城壁が広がっている。街の規模で言えば、クモッグが四つも丸々入ってしまうほどの大きさだ。

「……そんな大きな街で、マダムさんの言ってたおじいさんを探すんですか?」

「そうだね。座談会を開いてるって言ってたから、そこまで難しくはないと思うけど……」

「でも、これ以上白銀竜に関する情報が欲しいっていうのは、なんですか? 私でも極北に居るっていうのは聞いたことがありますし」

 ――白銀竜は極北に生息している。正確な場所まではわからないが、恐らくあの土地では正確な場所へ向かう事がまず第一に困難だろう。

 大地は凍りつき、一日中吹雪で荒れ果てている土地。たまに晴れていたとしても、どこを見渡しても等しく白く、一つの目印すらない。コンパスすら使えないという話があるが、それが確かなら確実に迷い、疲労し、飢え、凍死する。やがてその死体が見つかることすらないだろう。

 その極北は、この大陸から海を挟んだ北の大地にある。港を過ぎ、街を越え、やがて雪が降り積もる地域へ辿り着いてからが本番だ。

 一説にはその最北端にそびえる断崖絶壁の雪山の頂に居るとも聞いたことがある。もしそれが本当ならば、為す術はない。

「昔、白銀竜を求めて旅立った数人の男が居ると聞いた。彼らはその居場所を示す何かを持っていて、過酷な旅路の中で生き残った一人だけが、それを果たしたと……何か、あるはずなんだ。白銀竜を求める為に必要な何かが」

「必要なもの……?」

「うん。それが何かはわからないけどね、今は信じて行くしか無い」

「ですね……」

「少し不安になった?」

 歯切れの悪い返事に、ゼノは少しいたずらっぽく言った。

 クロルはとんでもない、と言わんばかりに首をブンブン振って否定する。

「違います違います! 私も頑張らなきゃって思って」

「うん……ただ、あまり無茶はしないようにね。もちろん、僕もキツい時は君を頼るし、お互い頑張ろう」

「はい! ゼノさんは、旅を続けてしんどいなって時はないんですか?」

「うーん、まあ。あるよ、しんどい時」

 少し曖昧に笑ってから、言葉を待つクロルを見て、ゼノは諦めたように後を続けた。

「例えば、天候に恵まれない時、魔物に襲われて食料も奪われて、戻るも進むもままならなくなった時とか……」

「えぇ……それは大変、でしたね……」

 クロルはあからさまに、嫌そうなと言うか、うんざりしたような顔をした。

 だからあんまり言いたくなかったのに、とゼノは苦笑して――でもそんな素直な反応をしてくれる事が、少し嬉しかった。

 出会ったばかりなら、気を使ってそんな表情すら見せてくれなかっただろう。まだ一緒に行動し始めて日は浅いが、ようやく一歩前進している実感があった。

「ま、そんな事もあるかもしれないから、休める時に休まなきゃ」

「でも……」

「いざ敵に襲われた時、君の術頼りになるかもしれない。そんな時に寝不足で参ってたら、どうにもならないだろう?」

「もー、ゼノさんも言いますねぇ。もし何かあったら、絶対にすぐ起こしてくださいね?」

「わかってる、大丈夫。仲間はずれにしないよ」

「絶対ですからね?」

 そこまで念を押して、クロルは立ち上がる。土で汚れた尻を軽く叩いて綺麗にすると、ゼノに手を振りながらかまどの元へと戻っていった。

 それを横目に見送ってから、ゼノは短く息を吐く。

 彼女の術はゼノが思っていたものより遥かに強力だ。あれだけ散々守るだのと言ってきたが、もし彼女が本気を出せば己より強いのではないだろうか。

 ふと、自信がなくなってくる。本当に――あの狼男のような敵と出くわした時、自分は彼女を守りきれるだろうか?

 いや、守るのだ。自分で言い出し、身勝手に約束したことだ。それに不安を感じてどうするんだ。

 例え道半ばで果てる事があろうとも、彼女だけは。この心臓の保つ限り――。

「――よいしょっと」

 胸あたりの衣類を握りしめていると、不意に人の気配を強烈に感じる。唐突に現れたエルファは、遠慮なくゼノの隣にどかっと座り込む。

 クロルがそうしていた時より距離が近く、あぐらをかく彼女の足とゼノの足は殆ど密着していた。

「どーも。昼間は不出来な相棒がお世話になったみたいで」

「ああ、いや、気にしないでいいよ。お陰で僕らもこうして楽が出来てる訳だし」

「そうね。お客様気分じゃなくてあたしも安心したわよ」

「うん。だから君も今夜はゆっくり休んでて大丈夫だよ」

「いや、そう言ってくれるのはありがたいんだけどねぇ、あたしも昼間良く寝たからそんな眠くないのよ。身体が夜起きてる事に慣れちゃってるし」

「あー、それもそうか。君がずっと、マッシュを守ってきたんだもんね」

「んん……なんだろう、その言い方。妙に含んでない?」

 ゼノの言葉に、ちょっと気恥ずかしそうに頭を掻く。長い赤髪を撫でるように弄くりながら、彼女は続けた。

「言っておくけど、別にあたしとマッシュは特別な関係じゃないわよ。ただの商人と用心棒……まあそれも結構長いから、もう居て当たり前っていうか――ともかく、あたしの話はいいの。あたしは、あんたの話を聞きに来たのよ」

「僕の話?」

「ええ。クロルがあんたの事気にかけてたわ、単にあんたの見てくれが良いから惚れてるのかと思ってたけど……何か抱えてるわね?」

「……君は結構良い奴なんだね。でも、お節介だよ」

 微笑んでいたゼノから、ふと笑みが消える。だが怒っているわけでも、それが不快なわけでもなく、真剣な眼差しで彼はただ遠くを眺めていた。

 エルファはその横顔を見て、少し気まずげに口元を歪める。隣で見るその顔は良く出来た彫像のように整っていて美しささえあるし、あの微笑みはさながら貴公子で暖かみを感じる。だがそんな男でも、触れてはいけない部分もあるのだろう。

「でも、クロルが心配してたわよ」

 彼女は退かずさらに追撃を試みる。

 そんな故も知らぬ色男の隠しているものが気になってきたのだ。単なる好奇心ではあるが、もしこれに乗ってこなければそこでやめておこうとも思っていた。

「知れば余計心配する事になる。そうして彼女が無理して危険に晒されれば元も子もないだろう?」

 飽くまで静かで、どこか諭すような口調だった。だがそこに妙な重さがあり、冷たさが肌を撫でるような感覚を覚える。

「別に、あの子に伝えるつもりはないわ。ただ知っておく事で、この道中あたしにも手伝える事もあるんじゃない? そうすればあんたの気も多少楽になるかもしれないし」

「君も中々食い下がるね」

 ゼノはそういって、呆れたように長く息を吐いた。少し迷っているように頭を掻いて、また口を開く。

「まあ、要らぬ心配かな。僕のような奴を生まない為にも、必要な情報共有かもしれない」

「なに、話してくれるの?」

 ちょっと上ずった声で問うエルファに、ゼノは小さく頷いた。

 それから辺りを見渡し、かまどの近くで横たわる二つの塊を確認してから、ゆっくりと話し始めた。


「――僕は心臓に病を抱えている」

 生まれた頃から、だと思う。物心ついた時には、もうそうだったから。

 怒りや悲しみなど、その負の感情を抱くと強く心臓が痛む。膨張するように、あるいはひどく締め付けられるように、あるいは刃物で突き刺されたように。そういった強い痛みが、己を蝕んでいた。

 それは痛みを重ねるごとに強さを増していくようだった。まともに生活し、まともに喜怒哀楽を表現していれば恐らくもうこの世には居ないのではないか、とゼノは思っている。

「少し前に、『邪なる者』によって妹に呪いをかけられた。彼女は僕と同じように心臓を侵され、もはや歩くことすらままならない。それを解く為に、僕は白銀竜を探してるんだ」

「……それって」

「ああ、多分僕自身も、その呪いを掛けられてたんだと思う。ただ両親は何も知らないといったように話さないし、僕もまた、誰にも話せてないけど」

 唯一この事を知っているのは両親と、ロイド・エッジくらいだ。その他の者……特に妹や弟には、口が裂けても言えない。

「お陰で苦労した。僕は軍に入ってたんだけど、まあ荒療治みたいなものかな? 怒りも悲しみも、抑えられるようになった。僕の国では隣国とのちょっとした戦争があってね、その時に散っていった仲間に涙すら流せないってのは、結構しんどかったよ」

 戦場では笑う事を心がけていた。表面的なものではなく、心の底から。その負の感情を上書きするような笑顔、その昂ぶりを。

 お陰で、どうやら影では『微笑みの殺戮者』などと呼ばれていたようだ。まったく不名誉極まるが、それも仕方がない。

 理解してくれる仲間も居た。だがそれを大幅に上回るほど、嫌悪し、恐怖する仲間たちが多かった。

 下手に戦果を上げていたから、殊更それを煽る結果になってしまったのかもしれない。

「その白銀竜に、あんた自身の心臓は治してもらわないの?」

「そうしたいのは山々なんだけどね、多分、そこまで贅沢は言えないと思う」

 白銀竜も、そもそもタダでなんでもやってくれるわけではないだろう。何かしら代償が要るはずだ。

 命を助けるならば、相応のものを。例えばこの己の命を。

 だからと言ってその場で捧げるつもりはないが、交渉が通じる相手ならば良いのだが。

「それに、僕の旅の終わりは白銀竜じゃない。そのおとぎ話の化身に出会って、用を済ませて……そこからが、また始まりなんだよ。僕は邪なる者を許さないし、倒すと決めた」

 ある種、運命づけられた旅なのかもしれない。

 この心臓が本当に単なる病ではないのならば、よもや深淵の始祖もここまで生き延びるとは思わなかっただろう。

 必ず奴は倒す。この世から葬り去り、深淵の時代に終止符を打つ。

 例えこの命が果てる事になったとしても――。

「そんな程度の、つまらない話だよ。君もくれぐれも邪なる者を見たら戦わずに逃げ……」

 言いながら隣をなんとはなしに見る。するとひどく悲しそうな顔をした彼女が居たものだから、ゼノは思わず言葉に詰まる。

 エルファはぎゅっと引き締めたへの字口をゆっくりと開いて、震えた声色で喋った。

「……切ない」

「ははっ、バカだなぁ。感受性が強いんだよ、こんなつまらない話で」

 少し真面目に話しすぎたな、とゼノは思った。笑ってみせはしたが、エルファの表情は冴えない。

 どうしたものか、と考えていると、不意にエルファの手が膝に触れた。

「これも、何かの縁よ。あなた達がグラン・ドレイグを経つ時まで、何か困ったことがあったらなんでも手伝うから」

「……ありがとう。素直に嬉しいよ、頼もしいし」

「そう思ってくれればあたしも良かった。ねえゼノ?」

「ん?」

 呼ばれて、手招く彼女に耳を近づけるようにして顔を寄せる。するとその彼女のしなやかな指先が、ゼノの頭に触れた。

 優しく撫でるような手つき。暖かさが、その優しさが染み込んでくるような気がした。

「お疲れさま。少しはあんたも休みなさい?」

「ありがとう……それじゃあ、お言葉に甘えて」

 ここでそう言われれば、誰にも断れない。ゼノはそう思って前を向き直ると、体勢はそのままで、ただ瞳を閉じた。

 そうした瞬間、引き締めていた意識が一瞬にして目の奥に引き込まれていく。疲労がそれを手伝って、間もなく眠りの誘いにされるがままに、ゼノは意識を手放した。

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