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第26話 狼と山姥

茨城県石岡市には「狼ばしご」という民話があるのです。

気になった方は調べてみてくださいね。


「きゃあぁぁぁぁ!」

 

 わたしは今、悲鳴を上げながら全力疾走している。

 社会人になってすっかり運動から遠ざかっていた体は、数分も保たずに悲鳴を上げた。

 

 けれど、休んでいる暇はない。

 なぜなら、数匹の大きな犬が追いかけてきているのだから。


 どうしてこんなことになっているのか、まるで分からない。

 起きたら見知らぬ場所で、とりあえず外へ出てみたら木や草が生い茂る山の中だった。

 

 そうしたら当然、「え。ここ、どこ?」ってなるじゃないですか。

 訳が分からないなりに把握しようと思って小屋の周りを見て回っていたら、それが間違いだった。

 

 茂みの向こうからおばあさんが現れたかと思えば、ニタリと笑みを向けてきたのだ。


 一目見て、不気味だと思った。

 愛想良く近づいて、ここかどこか尋ねようとも思えない。

 

 長い髪は荒れ放題、顔じゅうしわしわ。

 つり上がった目は黄色く濁ったような色をしていて、手には包丁を持っている。


(包丁⁉︎)

 

 二度見したけれど、間違いない。

 あれは、包丁だ。


 目が合った途端、本能的に危険を察した。

 背を向けた瞬間、おばあさんは「キィエェェェ」と奇声を上げて追いかけてくる。

 

 そうなったら、逃げるの一択しかない。

 

 わたしは走った。とにかく走った。

 そのうちにおばあさんの姿が視界から消えたけれど、代わりに数匹の大きな犬が追いかけてくる。

 

 この犬たちは、たぶん猟犬だ。

 おばあさんがわたしを狩るために、犬たちをけしかけたに違いない。

 

 息が苦しい。

 一人きりが怖い。

 

「助けて。狐白(こはく)、狐白――!」

 

 恐怖を払拭(ふっしょく)するかのように、わたしは叫んだ。

 叫んだ内容なんて覚えていない。

 

 わたしの叫び声に驚いたのか、枝にとまっていた鳥たちがバサバサと飛んでいった。

 上に逃げ場所がある鳥たちがうらやましい。


「わたしにも翼を授けてよ!」

 

 某エナジードリンクの宣伝が脳裏をよぎる。

 飲んだところで、飛べやしないのだけれど。

 

 現実逃避しているうちに、どんどん限界が近づいてくる。

 下へ下へと走っているけれど、道路に出る様子はまるでなかった。


 ハッハッハッと犬たちの息づかいが聞こえてくる。

 見なければいいのに、わたしは恐怖に耐えかねて振り返ってしまった。

 

 その瞬間、限界を迎えていたわたしは体勢を崩す。

 足がもつれ、体が傾いだ。


「うわあっ」

 

 視界の端に、何かが猛スピードで向かってくるのが見えた。

 ぶつかる――と思った瞬間、やわらかく抱きしめられる。

 

 わたしは何かに抱きしめられたまま、木の上に移された。

 犬たちは怯えて尻尾を丸め、木の下でキュンキュンと鳴き声を上げている。

 

 ここは高いし、犬たちが登ってくることはないだろう。

 安心してようやく、わたしは今の自分の状況を思い出した。

 

 そう。わたしは今、正体不明の何かに抱きしめられているのだった。

 

 触れ合っている背中から、震えが伝わってくる。

 おなかに回された手も、カタカタと震えていた。

 

「あの、大丈夫ですか……?」

 

 恩人の正体が分からないことより恩人のことが心配になって、わたしは振り返った。

 

「大丈夫って……それはあなたの方でしょう?」

 

 珍しく余裕のない声に、きょとんとしてしまう。

 青灰かかった茶色みのある白髪がさらりと揺れて、わたしの肩に額が押し当てられる。

 ぐりぐりと額を押し付けながら、狐白は深いため息を吐いた。

 

「遅くなって申し訳ございません」


 安堵(あんど)と自責の念が混じり合う声で、狐白は謝った。

 そんなことないと返すにはあまりにも怖い出来事だったし、かといって狐白を責めるのも違う気がする。

 うまい言葉が見つからなくて、わたしは押し黙った――その時だった。

 

「何をしておる! さっさと娘を連れて来んか!」

 

 木の下に、おばあさんがいた。

 荒れ放題だった髪はさらに乱れ、その顔はよく見えない。

 

 おばあさんの声に、ひれ伏していた犬たちが立ち上がった。

 犬の上に犬が乗り、さらにその犬に犬が乗り――犬のはしごがかかる。

 

「よしよし、倒れるんじゃないよ!」

 

 おばあさんは犬たちに言いつけると、遠慮なくはしごを登り始めた。

 じわじわとおばあさんが近づいてくる。

 

「こ、狐白! 逃げないと、追いつかれちゃうよ⁉」

 

「大丈夫ですよ、くるみ。ほら、よく見てください。こちらに飛び移るには高さが足りないでしょう?」

 

 そう言われても、わたしには分からない。

 でも狐白が言うのならそうなのだろう。

 それでもわたしは怖くて、狐白の服をぎゅっと握りしめた。

 

「くそぉ、くそぉ! 届かぬぅぅぅぅ!」

 

 狐白の読み通り、犬一匹分くらい高さが足りなかった。

 おばあさんは黄色い歯をむき出しにしてギィギィ怒りながら、しぶしぶはしごを下りていく。

 

「こ、怖かった……」

 

 強張った体から力が抜ける。

 後ろに倒れ込むと、やわらかく狐白が抱き留めてくれた。

 

「ほら、大丈夫だったでしょう? 一度失敗していますから、諦めが早いですね」

 

 なだめるように、狐白の手のひらがトントンする。

 赤ちゃんを寝かしつけるようなしぐさに思うところはあるけれど、今はそれどころではない。


「一度……?」

 

「おや、くるみは知りませんか?」

 

「何を」

 

「狼ばしごという民話ですよ。山姥(やまんば)の正体に気づいて逃げ出した旅人を狼に追いかけさせて、高い木の上まで旅人が登ってしまうと、狼ではしごをつくって襲おうとする……」

 

「待って待って。今、山姥って言った?」

 

「ええ、言いました。あの老婆は山姥ですよ」

 

 見れば分かるでしょう?

 常識のように言われて、わたしははしごを下りているおばあさんを見た。

 

 見た目はおばあさんなのに、はしごを下りる姿はちっとも危なげない。

 老いてなおかくしゃくとしている感じではなく、もとからそうであるような。

 

 言われてみればたしかに山姥だ。言われなければ思い至れないけれど。

 まさか現代に山姥が存在していると誰が思うだろう。

  

(それを言ったら、つくも神も同じなんだけどね)

 

「山姥……。そっか、山姥か」

 

「ええ。くるみは山姥に連れ去られたのですよ」

 

「一体、何のために?」

 

「繕い手を利用するためでしょうね」

 

 冷ややかに山姥と犬たちを睥睨(へいげい)する狐白。

 ぎゅっとわたしを抱きしめ、彼は言った。

 

「覚悟しろ。僕はおまえたちを決して許さぬ」 

 

 狐白の射殺すような視線に、山姥と犬たちが震え上がるのが見えた。



お読みいただきありがとうございます!


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