第五十七景【プリン】裏
隠されたもの。
(服、これでいいかな)
駅に向かいながら、麦は今一度己の服装を見下ろす。
今日はホテルのランチビュッフェ。特に服装制限はないが、いつもよりは落ち着いた装いを心掛けた。持ち慣れぬ鞄がなんだか落ち着かない。
有原の後任も慣れてきたところで、久し振りに連と同日の休みが入っていた。
今回は招待させてと連に言われ、断りきれずに当日を迎えたものの。未だ甘えてよかったのだろうかと考えている。
駅前には既に連の姿があった。毎回連の方が早いのが少し悔しくて、今日は十五分前に着くように出たのだが負けた。
「おまたせしました! やっぱり連さん来るの早いですよね。また負けちゃいました」
手元のスマホを見ていた連が顔を上げ、勝った負けたじゃないと苦笑する。
「ちょっと早いけど行こうか」
「はい」
連に促されホームに向かいながら、改めて今日は連のおごりだと告げられた。
自分だって丸川ベーカリーの社員なのだから当然だと食い下がるが、連はそう言わずにと笑みを見せる。
「それに、俺も一度行ってみたかったんだけど、さすがにひとりじゃ……」
歯切れの悪いその声に、にぎやかなビュッフェ会場でひとり難しい顔をしてパンを食べる連の姿を思い浮かべた。
まず間違いなく浮くだろう。
「確かに。寂しいですね」
「絶対今想像してたよね……?」
「そんなことないです」
吹き出してしまったのでバレてはいるが、そうごまかす。
ふてくされる連は、店のように気を張る必要がないからか、いつもより和らいでいるように思えた。
ホテルのランチビュッフェだけあり、メインにサイド、デザートに至るまで、こだわりの料理がずらりと並ぶ。
一番の目的は併設ショップが作るパンではあるが、そればかり食べていてはもったいないと思えるほど。
目移りするねと言いながら、ふたりは食事を大いに楽しんだ。
パンコーナーにあるチョコデニッシュももちろん美味しかったのだが、デザートコーナーに何種類も並ぶ小振りなケーキも堪能したい。
一度目に載せきれなかった分を取って戻ると、案の定ニンマリとした笑顔を向けられた。
「やっぱり普通に甘い物も好きなんだ?」
パンの好みからして甘い物が好きなことはバレていると知ってはいたが、こうして面と向かって言われるとなんとも気恥ずかしい。
「まぁそうなんですけど。連さんだってプリンふたつめですよね」
連の皿は自分よりもかなり控えめではあったが、二度ともプリンが取られていた。
「うん、昔から好きで。店の窯で焼いたことあるよ」
「そんなことしてたんですか」
呆れて呟くと、数回だけだと慌てる連。
自分よりもそれなりに歳上の大人の男性に向かって抱く感想ではないが、その様子はどこかかわいらしい。
こんな一面もあったのかと思いながら、もし店に置くならを連とあれこれ話し合う。
ふたりの食事での連は、やはり仕事中でないからか、張りつめた感もなく。出る話題も様子も店の延長のようでいてどこか違う。
(やっぱり楽しいな)
向かいの席、だいぶ見慣れたいつもより緩んだ様子の連。
こうして遠慮なく語り合えることが嬉しかった。
次の休み、麦は自宅のキッチンで材料を並べて調理を始める。
宣言通りあの日は払わせてもらえなかった。何かお礼をと考えていたのだが、偶然百均でアルミカップを見つけてこれだと思った。
作るのは底にカラメルを敷き込んだ、オーソドックスなプリン。あっさりしすぎないように、生地に少しだけ生クリームを足した。
初めて作った焼きプリン。
温かいままひとつ食べると、ほっこり優しいカスタード味が掘り進めるにつれほろ苦いキャラメル味に変わる。
少しカラメルを焦がしすぎたが、どうにか許容範囲だろう。
(連さん、喜んでくれるかな)
ホテルのプリンのような華やかさはないが、素朴で優しいプリン。「いつものパン」を置く丸川ベーカリーにはぴったりだと思えた。
翌朝にプリンを渡すと、袋の中を見た連は一瞬固まったあと困ったように息を洩らした。
試作は店でするよう言われるが、作ってみたかっただけだと言い張る。お礼も兼ねていることは、おそらく気がついてくれるだろう。
考えるようにもう一度プリンへと視線を落とした連は、やがて袋を閉じて顔を上げた。
「じゃあ、それならありがたく」
先程より和らいだその顔にほっとする。
昼に休憩から帰ってきた連からは美味しかったと礼を言われた。ふたりで商品化するにはどうすればとあれこれ話し合う。
ふたりでの食事の時も、店でのこうした時間も、どちらもとても充実していて。こうして連と語り合えることが嬉しかった。
程度に差はあれど、連も近い思いでいてくれる。そう思っていたのだが―――。
「店長、お先に失礼します」
「ちょっと待って」
退勤の挨拶をする麦を、麺台の片付けをしていた連が呼び止めた。手を止めてこちらを向く連のいつになく緊張した面持ちに、麦もどことなく不穏なものを感じ取る。
言葉を選ぶように何度か口を開けかけてから、ぽつりと連が呟いた。
「食事なんだけど、今度から研修って肩書きにして、ほかの人も誘おうか」
(……え……?)
一瞬意味を理解しきれず、呆けて連を見上げる麦。
次の瞬間感じたのは、落胆のような悲しさで。
「……どうしてですか?」
自分はあの時間を楽しいと思っていた。
連もそうだと思っていたのに―――。
「ふたりだけより、その方がいいかなって。熱田さんだって、誤解されても困るだろうし」
「誤解って……」
繰り返した言葉にはっとする。
店長と一従業員がふたりで出かけることで、何かあらぬ疑いをかけられたのかもしれない。それとも―――。
どくんと大きく鼓動が跳ねる。
続けて浮かんだ可能性に、なぜか気持ちが落ち着かない。
しかし今それを突き詰める余裕はなかった。
「……すみません、私、甘えすぎでしたね」
どちらにせよ、連に何らかの不都合があったのは間違いない。
顔を見ていられず視線を落として謝ると、焦った声でそういうわけじゃないと返してくれる連。
こんな時にまで気を遣われ、更に申し訳なさが込み上げる。
「プリンも、迷惑でしたか?」
自分で口にした言葉が胸に刺さる。
「違う、ちょっと待って熱田さん。そうじゃなくて」
喜んでもらえると、そう思い込んでいた。
「あれはただお礼の気持ちで……」
「だからっ」
突然の大声に麦は反射的に身をすくめて連を見た。
見上げた連自身も呆然と麦を見ている。
無言で見合っていたのはほんの暫く。
深く息をついた連が辞色を和らげた。
「ごめん。熱田さんにそのつもりがないのはわかってる。だからこそ、だよ」
その顔がなんだか泣きそうに見えて、麦は動揺を忘れ連を見つめる。
それでも自分を見る眼差しは、店での飄々としたものでも食事の時の落ち着いたものでもなく、確実に何かを含む強さがあった。
見返すことしかできない麦に。
「俺は麦さんがそういう意味で好きなんだ」
眼差しに反し諦めた声で連が告げた。
何を言われたのか、すぐには理解できなかった。
立ち尽くす麦の前で連が苦く笑う。
「だから正直……嬉しいけど、これ以上はつらくて。いい仕事仲間でいたいから、黙っていようと思ってたんだけど」
矢継ぎ早の言葉が右から左に抜けていく。
「ごめん。店ではこれからもちゃんと店長でいるから。だから忘れてくれると嬉しい」
言い切った連は既にいつもの店での表情に戻っていた。
しかし麦はまだ目まぐるしく変わる己の心を掴みきれないまま、じっと連を見る。
次々に揺らされる感情に、どれに対して何を感じたのかわからなくなってしまった。
しかしそれでも、ひとつだけ確かなことがある。
「時間をもらえませんか?」
ここで即答すべきではない。
それだけはわかっていた。
「私は連さんと話すのも食事に行くのも楽しいです。今はびっくりしてちゃんと答えられませんけど、もう少し落ち着いたら……」
固まる連に続けると、我に返ったのか、苦笑いを返される。
「それは皆で行っても同じだと思うよ」
「そうかもしれませんが、そうじゃないかもしれない。答えを探す時間をください」
まっすぐに連を見つめ、麦はそう言い切った。
いつもより少しだけ遅くなった帰り道。夜道を歩きながら、麦はほっと息をつく。
今まで通り。
店では店長と従業員、そして時々ふたりで食事に行く。
暫くはそのままでということになった。
自分がどの言葉に引っ掛かって、どんな感情を抱いたのか。まだ混乱する頭でははっきりとわからないが。
(……喜んではくれてたんだ)
帰り際、連はもう一度プリンの礼を言ってくれた。
嬉しかった。その言葉が自分も嬉しい。
(そういえば、私……)
あのプリンを誰に渡そうと思っていたのか。
浮かぶ面影はどちらも同じ。
しかしその意味は、大きく違っていた。
プリン! 皆様お好きですよね? ね(圧)!!
冷たいのはもちろん、焼きたて熱々ももちろん美味しい。ちなみに家で作るならカラメル不要派。カラメルよりは表面キャラメリゼの方が好きです。
というのも。小池はカスタードが好きなのですよね。カスタードといえば、パンやシュークリーム。でも本音は中身だけでいい。とはいえカスタードクリームだけを食べるのも気が引ける。
というわけで。その解決策がプリン、ということなのです。これなら罪悪感なくカスタードだけを堪能できますから。
……なんだか間違っているような気がしないでもない……。




