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第五十七景【プリン】表

 沈む苦さに。

 想い人との待ち合わせは何度経験しても落ち着かないが、久し振りとなれば今までの比ではなく。

 二十分前に駅に到着した(れん)は、周りを見回したくなる気持ちを抑えながら(むぎ)を待っていた。

 保留のままだった六回目のふたりでの食事。ようやく同日の休みが取れた。

 家族経営の小さなパン屋では、ひとりの入れ替わりでも環境が変わる。最古参のパート有原が辞めてしまったことで、社員である麦には色々と負担を掛けてしまった。

 後任も慣れてきたことで、ようやく今まで通りのペースで休みを入れられるようになったのはいいものの。シフトを組むのは店長である自分。戻るなりの同日の休みは意図したものではないとはいえ、入れていいのかと迷った。

 次はこの日でいいですよね、とあっさり言われはしたが、麦からどう思われているかはわからない。

(楽しんではくれてるんだろうけど)

 ひょんなことから始まった麦とふたりでの食事。パンの美味しい店に行って、あれやこれやと話すだけではあるのだが。

 好きな人との食事はこれ以上ないほど幸せで。そして同時に、とても苦しい。

 麦は丸川ベーカリーにとって必要不可欠な人材。自分の浅はかな行動で失うわけにはいかないのだ。



 麦が来たのは待ち合わせ十五分前。

「言ってあったけど、今日は俺からの労いってことで」

 ホームに向かいながら念を押すと、麦は申し訳なさそうに聞いてますけどと呟く。

「ちゃんとお休みももらってますし、当たり前のことだと思うんですけど……」

「そう言わずに」

 麦には新人の教育やサポートのために、かなり融通を利かせてもらった。

 元々は販売のバイトとして店に来た麦、基本製造に掛かりきりの自分よりも上手くフォローしてくれている。

「それに、俺も一度行ってみたかったんだけど、さすがにひとりじゃ……」

 濁した言葉に、麦ははっと連を見てから吹き出した。

「確かに。寂しいですね」

「絶対今想像してたよね……?」

 そんなことないです、と笑う麦。

 屈託ない笑顔が見られた嬉しさは、普段の態度を取れているかとの心配と混ざる。

 甘苦い心中に、こっそり嘆息するしかなかった。



 ふたりで向かったのは美味しいと評判のベーカリーショップを併設するホテル。ランチビュッフェにもパンが並ぶ。

「これはちょっと誘惑が多すぎます……」

「目移りするね」

 和洋中と並ぶ料理にライブキッチン、圧巻のデザートコーナーまで。ホテルのレストランだけあって、品数も見栄えも段違いだった。

 いつもはパンがメインのふたりだが、さすがに今回はと色々な料理を楽しむ。それにより話題も自然と広がっていった。

 好きな食材や料理、味の好み。店では出ない話題からはいつもは見えないプライベートの麦の姿が見えるよう。

 嬉しそうに小さなケーキやムースをひとつずつ皿に盛る様子もまた、普段以上にかわいらしく映る。

「やっぱり普通に甘い物も好きなんだ?」

 つい緩む頬に気付いて慌てて取り繕ってから、ごまかしついでにそう尋ねると、己の皿を見た麦が恥ずかしそうに頬を染める。

「まぁそうなんですけど。連さんだってプリンふたつめですよね」

「うん、昔から好きで。店の窯で焼いたことあるよ」

 よく見てるなと嬉しく思いながら白状すると、そんなことしてたんですかと生温い視線を向けられた。

「置いてるパン屋もありますよね」

「窯もあるし、使う材料も被ってるし、アルミの使い捨て容器なら湯煎焼きもできるだろうしね」

「冷ケースに陳列できますね」

 結局店関係の話に戻りながらも、楽しい時間は過ぎていった。



 最寄り駅で麦と別れて帰路に就く連。

 ひとり歩くうちに、楽しかった余韻はずっと引っ掛かったままの言葉に消されていく。

 自分のことを一番に考えていいのだと、有原には言われた。

 幼い頃から自分を知る有原だからこそ、麦への想いに気付かれた。いくら心配しての言葉でも、自分には頷くことができない。

 こうして一緒に食事するのは楽しく、目の前で笑ってくれると嬉しい。

 しかし盛り上がるのは仕事関係の話。

 ―――わかっているのだ。

 麦にそのつもりなどない。

 彼女にとって自分は店長でしかない。

 だから自分もそう在るべきで、顔にも態度にも出すわけにはいかない。

 そう思うのに、麦は無防備に笑う。

 そのたびに好きなのだと思い知る。

 その嬉しさに、胸が痛い。



 胸中抱く想いはありつつも、また平常に戻り変わらぬ様子でともに働く。

 暫くすればまた気持ちをフラットな位置まで戻すことができると思っていたのだが。

 食事から数日後。麦から手渡された袋の中にはプリンが入っていた。

 一瞬目を疑い、次いで喜びが込み上げる。不意の衝動をどうにか抑え込み、連は平静を装って麦を見やった。

熱田(あつた)さん、試作は店でって言ってるのに」

「試作というより、百均にアルミカップがあったんで作ってみたくなったんです」

 あっさり返し、麦が笑う。

 自分の好物だと知っていて作ってくれたということが嬉しい。しかし自分の望むような意味はない。

 喜べばいいのか、落ち込めばいいのか、わからないまま。

「じゃあ、それならありがたく」

 礼を言って受け取ると、その笑みが満足気に深まる。

 人の気も知らないで。

 浮かぶ言葉は音にすらならなかった。



 昼休憩のため自宅へ戻ってきた連は、麦のプリンを前に嘆息する。

 ありがとうと受け取ることは、店長と社員の適切な関係なのか。

 好物を作ってもらえた喜びをどこまで見せていいのか。

 自分の気持ちを隠そうとすればするほど、どこまでが普通でどこからが恋情を映してしまうのかわからなくなってきた。

(……諦めないことも無理、か)

 これ以上は―――そう思って引いた線を何度も越えてくる麦。

 ふたりで食事に行くようになってから、加速度的に増す想い。呑み込むしかない甘さはすっかり焦げつき苦さを増した。

 割り切って隠すことができないのなら原因を取り除くしかない。

 後々苦しくとも幸せなあの時間。

 本当なら手放したくはない。

 いっそ想いを告げて距離を取られた方が楽になれるのだろうか。

 それはそれで後悔しそうだと嘲笑し、連はプリンをスプーンで掬った。

 初めはほんのり甘いあっさりめの生地。底のカラメルと混ざるにつれ甘さを増し、最後に残るほろ苦さ。

 何度目かわからない溜息を零し、連はスプーンを置いた。



 ひとまず自分は距離を置いた方がいい。

 そう決意し、連は退勤時に声をかけに来た麦を呼び止めた。

「食事なんだけど、今度から研修って肩書きにして、ほかの人も誘おうか」

 望まぬ提案を口にすると、麦は一瞬きょとんとしてから連を見据える。

「……どうしてですか?」

 不信感が滲むような、普段よりも静かな声音。

 胸に刺さるその声に無意識に手を握りしめながら、連はいつも通りを意識する。

「ふたりだけより、その方がいいかなって。熱田さんだって、誤解されても困るだろうし」

「誤解って……」

 はっと目を瞠った麦の表情が見る間に曇っていく。

「……すみません、私、甘えすぎでしたね」

 しゅんと視線を落とす麦。

「そういうわけじゃなくて」

「プリンも、迷惑でしたか?」

「違う、ちょっと待って熱田さん」

 自分の言葉が麦にこんな顔をさせた。その後悔と焦りが連から装う余裕を奪っていく。

「そうじゃなくて」

「あれはただお礼の気持ちで……」

「だからっ」

 半ば叫ぶような声に、麦がびくりと連を見上げた。

 落胆に混ざる怯えを目にして、連はさっと胸中が冷えていくのを感じて立ち尽くす。

 悲しませたいわけでも怖がらせたいわけでもない。

 ただの保身、その結果がこれだ。

 傷つけてしまった後悔は、引きずり続けた諦めと混ざる。

 あと自分にできることは、麦のせいではないと伝えることだけ。

 これでもう、諦めることができる―――。



 覚悟を決めるように息をついて、連はまっすぐ麦を見つめる。

「ごめん。熱田さんにそのつもりがないのはわかってる。だからこそ、だよ」

 声音が変わったことに気付いたのか、そっと麦が視線を上げた。

 怯えは消えていたが、間違いなく再び困らせることになる。それでも告げねば誤解は解けないとわかっていた。

「俺は()()()がそういう意味で好きなんだ」

 再び見開かれる瞳に、内心やっぱりと呟く。

 自分の想いになど欠片も気付いてなかったのだろう。

「だから正直……嬉しいけど、これ以上はつらくて」

 呆然と見返す麦。だが今はその方がいい。

「……いい仕事仲間でいたいから、黙っていようと思ってたんだけど」

 途切れて何を言えばいいのかわからなくなる前にと、反応を待たずに言葉を続ける。

 応えはいらない。

 最後の言葉にさえ頷いてくれたなら、もうそれでいい。

「ごめん。店ではこれからもちゃんと店長でいるから。だから忘れてくれると嬉しい」

 せめて、彼女を失わずに済むように。

 そう願いながら―――。


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