第五十五景【ドーナツ】裏
変わらない時間。
一週間近い期末考査もようやく終了。手を振り帰っていくクラスメイトたちの表情も明るく、ようやくの解放を喜ぶ様子に自分までなんだか浮かれた気分になる。
廊下で隣のクラスが終わるのを待っていた梨沙は、待ちかねたように出てくる生徒たちの中に和奏の姿を見つけた。
滅多に見せない気の抜けた表情は、彼女なりにやり切ったからだろう。
「おつかれ。どうだった?」
駆け寄ってそう聞くと、途端に苦笑を返された。
「今日は聞かないで〜」
テストが返却されればきちんと見直していることは知っている。手元にない今だけが、和奏にとって束の間の休息なのだろう。
「行くよね?」
「もちろん!」
それを一緒に楽しむことができる。
自分にとってもご褒美の時間だった。
学校を出て向かうのは、最寄り駅にある商業施設。中にあるドーナツショップでお茶をするのが、ふたりのテスト最終日恒例となっていた。
「期末は教科多いから、ホント大変だよね」
「中間も同じだけあるよりいいじゃない」
やっと終わったとばかりに息をつく和奏にそう返すと、そうだけどそうじゃなくて、とむくれられる。
こうして文句を言うものの、和奏が副教科だからと手を抜かないことは知っている。体育祭や文化祭といった行事や委員会など校内での役割も含め、何事にも真面目に取り組み楽しむ様子は周りにもいい波を起こすようで。同じクラスだった一年生の時は、学校に来るのが本当に楽しかった。
二年になって違うクラスになってしまったが、それでもこうして一緒にいられる時間があることが嬉しい。
学校から駅までの通学路には同じように解放感溢れる学生たちの姿。いつもに増して足取り軽い様子に気持ちはわかると内心頷く。
そこまでテストが嫌いなわけではないが、やはり期間中の緊張感とじわじわ這い上がるような焦慮は居心地のいいものでもない。
終わった安堵を分け合うように隣を見ると、足元に視線を落としたまま歩く和奏が目に入った。
「どうしたの?」
弾かれたように自分を見た和奏の表情には、とてもテスト明けとは思えない焦りと不安が見えて。
今和奏が置かれている状況を思い出し、梨沙は浮かれていた気持ちを落ち着ける。
和奏にとっては今は夢へのスタート地点に立てるかどうかというところ。テスト期間が明けたといって、気を抜けるものではないのだろう。
―――しかし。
「今日の残りくらいゆっくりしたら?」
ここで少し休憩したとしても、和奏がこの先怠けたりペースを崩すことはないと自分は知っている。
「大丈夫。和奏はこんなに頑張ってるんだもん」
それにたとえここで目標点に届かなかったとしても、その一度きりの結果だけで挑戦権を取り上げられることはないはずだ。
「ちゃんと見てくれてるよ」
和奏がずっと真摯に努力を続けていることを見てきたのは自分だけではない。
彼女自身が諦めない限り、自分を含め、応援してくれる人はいる。
「……うん。ありがと」
言葉足らずであろうに、それでも気持ちは届いたようで。
はにかむように微笑む和奏に、梨沙も大丈夫そうかと胸をなで下ろした。
一年の三学期、学年末考査の一週間前に入った頃のことだった。
自習室に向かう和奏の表情がどこか思い詰めたように見え、思わず呼び止めた。すぐにいつもの笑顔を見せてはくれたが、どうにも無理をしているように感じ、お節介を承知で話を聞きたいと言ってみた。
幼い時から憧れているドルフィントレーナーを目指すために成績を上げたいのだという和奏。自分に手伝えることがあればと聞くと、勉強を教えてほしいと言われた。もちろん否はないのでふたつ返事で了承し、ふたりでテスト対策の復習をすることにした。
和奏の躓きを一緒に考えることは自分にとっても曖昧だった部分の整理となり、余裕をもってテストを受けられた。
和奏には時間を取ってごめんねと謝られたが、ふたりで勉強する時間は楽しく、自分にも成果がある。二年になっても続けないかとの自分の申し出は、即決で採用された。
それ以来、打ち上げと称してテスト明けにドーナツショップに立ち寄るようになったのだ。
店内に入って席を確保してから買いに行く。列に並ぶ前に、何にしようか悩む和奏を待つのもいつものこと。
「決めた!」
「じゃあ並ぼ」
和奏はチョコレートの掛かったオールドファッションドーナツ、梨沙はグレーズの掛かったもっちりドーナツ、そしてそれぞれホットカフェオレを頼んだ。
トレイを手に席に戻る。いただきますと言い合ってカフェオレのカップを手に取ると、ふわりと甘い湯気が鼻腔をくすぐった。
テストの緊張も寒さからのこわばりも緩めるような温かさに、ふたりはほぅっと息をつく。
「終わったなぁって感じがするよね」
「和奏いっつも言ってるよね」
カフェオレを飲んで呟く和奏にそう返すと、だってぇ、とふてくされた声。
「楽しみにしてたんだもん」
そして続く言葉に、梨沙は私もと頷く。
いつまでも、は無理だとわかっている。
しかし少しでも長く、こんな風に過ごすことができればと思う。
穏やかな日々、変わらない日常。漫画にあるような冒険も事件も実生活には必要ない。
波風がないのは退屈なのではなく、安定しているということなのだから―――。
ふと浮かんだそんな考えに内心苦く笑い、向かいでドーナツを食べる和奏を見つめる。
憧れという原動力でドルフィントレーナーという狭き門を目指す和奏。ただ歩けばなれるというものではないその道を進む、自分にはないその勇気と情熱が眩しくて仕方なかった。
しかしそう思っていても、変われない自分がここにいる。
溜息の代わりに食べるドーナツの、柔らかくも存在感のある歯ごたえと口にした瞬間に広がる甘さ。いつも通りの味わいはハズレのない安心でもあった。
慣れた場所、慣れた過ごし方。
家から近い高校を選んだお陰で小中学の頃からさほど行動範囲は変わらない。
知っている範囲の中で動く安心感。既知の日常がもたらす安寧は、小さな頃から環境の変化にビクビクしてきた自分には必要なものだった。
もちろん今は昔ほどではないとはいえ、積極的に新しいことに踏み込めないまま。青春という言葉とはほど遠い生活を送っている。
「梨沙、それ好きだよね」
唐突な声にいつの間にか落ちていた目線を上げると、和奏は自分の手元のドーナツを見ていた。
梨沙は少し言葉に詰まってから、そうだねと返す。
「ひとつしか食べないならこれかなぁ。和奏は色々食べるよね」
これしか選べない自分とは違い、好奇心旺盛で何に対しても積極的な和奏。
ただドーナツをひとつ選ぶだけでもこうしてその差が出るのかと思うと、じわりと情けなさが滲むような気がした。
「だってどれも美味しそうなんだもん」
楽しそうなその様子に。
「和奏らしいね」
自然と零れた己の声にはっとした。
夢に向かって一生懸命努力する和奏と。
何になりたいもなく、ただ日々平穏に過ごせればいいだけの自分。
そんな自分たちが違うのは、考えるまでもなく当たり前のことなのだ。
自分は和奏のようにはなれない。
知らない世界への希望を持つことも、そこへためらいなく踏み込むことも、自分にはできない。
変わる和奏を羨ましく見つめながらも、変わらない日々を願う。そんな矛盾だらけの自分など―――。
「……ありがとね」
耳に届いた小さな声に思考が途切れる。
そろりと顔を上げるが、和奏の視線は手元のカップに向けられたまま。
(……気のせい……?)
今までにも和奏からはたくさん『ありがとう』をもらってきた。
もちろんこれも言葉通りの『ありがとう』であるのだろう。
そうわかっているのに、じわじわと込み上げるのはそれ以上の喜び。
『ありがとう』以外の何を言葉にされたわけではないのに、不思議とこんな自分でもいいのだと言われているような気になってくる。
「何か言った?」
とはいえ、ただ零れ落ちただけのようなその言葉を自分への礼として捉えるのもどうかと思い、聞こえなかった振りをした。
顔を上げた和奏は梨沙をまっすぐ見返し、ふっと微笑む。
「ううん。なんでもない」
屈託ないその笑顔は、自分の考えが間違いではないのだと示すようで。
なんだか少し照れくさく、梨沙は自然と綻ぶ口元をカップで隠した。
ドーナツ。もっちりもふんわりもカリッとも、どれも美味しいですよね。
小池にとってのドーナツは、ドーナツといえばのあの店のもの。いやもうめちゃくちゃ食べていました。確かに景品ほしさもあったのですけど、純粋にここのドーナツが好きなのです。またピロシキ食べたいなぁ。
今年の福袋は例のあのコのグッズが! ただ正直ちょっぴり物足りない……。いえ、それでも買いますけどね。お皿、お弁当箱、膝掛け、タオル、バッグ、変わったところでは片手桶などなど、今も現役で家の中にグッズが。そしてしまわれたままの未使用グッズもあれこれと(笑)。パゲるぬいぐるみはもう好きすぎてこっそり隠してあります。
つい脱線……小池はパン屋や袋入りのものだとカリッとしたドーナツが好み。サーターアンダギーも美味しいですよね。
ということで、家でオールドファッションドーナツを作ってみました。レシピの比率のままのはずなのに、「大丈夫か?」というくらい生地が硬く。失敗したかと思いましたが、揚げてみると意外に少し硬めな程度。外側はきちんとサクサクで美味しかったです。
とはいえ、消費した油の量にドーナツは揚げ物なのだと再認識しました……。




