第五十景【小説家になろう】
いつの日か。
画面をスクロールする指を止め、白い星に色をつける。続けてサムズアップとにっこりのマークをタップしてから、もう少し画面をずらして。
感想の文字を暫く見つめた友花は、小さく息をついて画面を閉じた。
(……藍さん、すごいなぁ)
つい先程読んだ話の余韻に浸りながら、友花はまた別の画面を開く。
文字列を下まで辿ってから、その続きに文字を書いては消して。
結局はもう一度溜息をついて画面を閉じ、スマートフォンをベッド脇のサイドテーブルに置いた。
感嘆の溜息が別の意味も含むようになったのはいつ頃からだろうか―――。
昔から本を読むのが好きだった。その延長のように小説投稿サイトを見るようになり、いつしか自分でも投稿を始めた。
サイト内では萌歌と名乗っている。ただ読んで投稿するだけではなく、互いに声をかけ合える相手も幾人かできた。
サイトの中では華々しき活躍をする一握りを筆頭に、日々様々な誰かの活躍が目に入る。
別に商業化を目指しているわけではないからと言い訳めいたことを思いながらも、やはりその輝きは羨ましく。
なんの手応えも達成感もない日々に、次第に物語が紡げなくなっていた。
自分の書いたものなんて、読んでくれるのはほんの数人。投稿してもしなくても、何が変わるわけでもないのだから。
スマートフォンを一瞥し、手を伸ばしかけてやめる。
感じているのは未練なのか罪悪感なのか。それとも、自身に対する落胆なのか。
「……もう寝よう」
断ち切るように声に出し、友花はベッドに潜り込んだ。
友花は町中を歩いていた。見覚えはないが、よくある風景。何も考えず歩いていると、不意に視界が開け、遠くに西洋風の城が見えた。
あまりに突拍子もないその変化に、夢を見ているのだなとどこかで思う。
状況への疑問は抱かぬまま歩を進めると、城の方から白黒の何かが飛んできた。
(……何……?)
近付いてきたのは手の平に乗るくらいの大きさのパンダ。その背には透き通る妖精の羽のようなものがある。
突拍子もない夢だなぁとぼんやり思う友花の前で、そのパンダは手に持ったむき出しのドーナツをブンブン振った。
「あたしは妖精ナロリング! なろう王国の大事な鍵がなくなっちゃったから探してね!」
「どう見てもドーナツ持ったパンダ……」
「妖精なんだってば!」
ほら行くよ、とナロリングは背を向けて城へと飛ぶ。
「あ、待って」
そう言い一歩踏み出した瞬間、視界が薄青く染まった。
「えっ?」
映像でしか見ることのない海の中の風景がそこにはあった。
見上げても空はないが、差し込む光で辺りはほんのり明るく。見えていた城もいつの間にか石造りのものに変わっている。
(ここ……?)
覚えた既視感の正体が掴めないままの友花の下に、紫銀の髪の少年が泳ぐ素振りのないまま近付いてきた。
「こんなところでどうしたんだよ?」
「鍵を探してるの」
海の中なら案内すると笑う少年の姿に、友花ははっとする。
(これって藍さんの……)
寝る直前に読んでいた物語。その世界が目の前にあった。
少年に案内されながら海の中を巡る。
水は風のように柔らかく髪や服を撫でていき、淡い青のフィルターがかかったような視界には、時折光の筋がゆらりと割り込む。
テレビや映画で見たのだろうか、自分の中から出てきたとは思えない景色を呆けて見上げながら、友花は鍵を探した。
「なかったね」
手を振ってくれる少年に、海の中でもふやけなかったドーナツを振り返してから、ナロリングが残念そうに呟く。
「次どこに行こう?」
「どこって……」
呟き返しながら足を踏み出した瞬間、ざぁっと周りの景色が変わった。
今度は一面の緑、遊歩道のような舗装されていない道の両側に行儀よく木々が並んでいる。
自然公園のようだと思いながら歩いていくと、一本の大きな木にカラスがとまっていた。
鍵を探していると話したナロリングに、カラスは虹のふもとではないのかと答えている。
何か引っかかりを覚えながらも、ナロリングと一緒に虹のふもとを訪れた友花。この世のすべての色を集めたような透き通る光のアーチの下で、飼い主の到着を待つ動物たちに手伝ってもらいながら鍵を探すが見つからなかった。
動物たちにありがとうと手を振り足を踏み出すと、また別の場所へと移動した。
今度は普通の部屋の中。部屋の主の少年がゲームをクリアすれば手に入るかも、と言う。手伝ってもらいながらゲームをクリアしたものの、結局は見つからなかった。
少しレトロな雰囲気の喫茶店では、店主が一緒に探してくれ、最後にお疲れ様とコーヒーを淹れてくれた。
お月様より上にあるのかも、と言ったのはコスモスの花畑にいたキツネ。一緒に月の光の道を登って探した。
学校の教室にもなく。
ぬいぐるみも持っておらず。
鳥たちも知らず。
パン屋にも並んでいない。
場所を重ねるうちに、友花は何が引っかかっていたのかを理解した。
ここは、全部サイト内で読んだ誰かが紡いだ物語。
誰かが描いた、ひとつの世界だった。
「ねぇ。鍵がないとどうなるの?」
夕焼けの海岸で鍵を探しながら、友花がナロリングに尋ねた。
「鍵は扉を開けるものだからね」
オレンジに染まる海の上を飛びながら、ナロリングが答える。
「ないと扉が開かないから。先に行けないんだよ」
「先に行けなかったらどうなるの?」
「それはあたしにはわからないよ」
でも、と。含みを持つナロリングの声音に、友花はそれ以上聞けなくなった。
先に行けなければどうなるのか。
一番わかっているのは、ほかでもない自分ではないのか、と。
―――もしここがサイト内にある物語の世界ならば。
間違いなくあるはずの世界を自分はまだ訪れていない。
そして同時に、心のどこかではわかっていた。
もし鍵があるならばそこなのだろう、と―――。
ぎゅっと手を握りしめる。
そこにいるはずのものに、自分は一体どんな顔をして会えばいいのだろうか。
「……ねぇ」
長く迷い、ようやく友花は覚悟を決める。
「行きたい場所があるの」
初めはただ物語を紡ぐということに夢中だった。
自分の中の何かが言葉になり、姿を取り、描き出されていく。その過程が楽しく、出来上がったものがいとおしく。ただそれだけで満足で幸せだった。
しかしほかの人の話を読むようになり、感動し刺激を受ける一方で、自身の物語の見え方が変わってきた。
誰の目に留まるでもなく、誰に何を与えるでもなく。きらびやかな世界の片隅にただひっそりとあるだけの物語。
―――自分の物語だって、光が当たりさえすれば。
そう思ってしまう己の卑しさが情けなく、苦しく。
不相応な光を望まれる物語の続きを書けなくなっていた。
景色が凍りつく針葉樹の森に変わった。強い風が吹いているものの、寒さは感じない。
木々の間を進むと、凍りついた湖の畔に赤い髪の少年が座り込んでいた。
立てた膝に顔を埋めるように隠す少年に、友花は近付く。
「……ごめんね」
かけた声に少年が顔を上げた。
赤い瞳には戸惑いと諦め―――その瞳にまだ希望は見えない。
たとえ光が当たらなくても。
たとえ誰にも読まれなくても。
彼の瞳に希望の光を灯せるのは、彼の物語を紡ぐ自分だけなのだ。
「……まだまだだけど精一杯書くね」
見上げる少年が少し微笑み、手を伸ばした。
友花がその手に触れた瞬間、辺りに光が迸った。
翌朝目覚めた友花は、なんだか変な夢を見たなと苦笑する。
はっきりとは覚えていないが、最後に見た景色は残っていた。
これからもきっと何度も落ち込んだり妬んだりするのだろうが。
それでも手を止めてしまえばそこまでなのだから。
(頑張るね)
書きかけの物語を思い浮かべ、友花は心中そう告げて。
切り替えるように大きく伸びをして、ベッドから降りた。
イラスト 歌川 詩季様https://mypage.syosetu.com/2287106/
第五十景、前半ラストらしくお題は【小説家になろう】です!
今回も好き勝手書きました!
小池の初投稿は2021年の10/31。投稿数は検索外の番外編も含めて74作品。総文字数は220万を超えました。
思っていたよりどっぷりとはまり込んでおりますね(笑)。
まだまだ書きたい話もあります。
色々あって筆は遅くなっていますが、少しずつでも紡いでいければと思います。
読んでくださる皆様、そしてお声をかけてくださる皆様への感謝を忘れずに。
本当にありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします!




