第四十九景【ちまき】表
近くても遠くても。
和菓子屋の前を通りかかった爽太は、店頭に置かれていた緑色のものに目が吸い寄せられた。
五月が近付くにつれあちこちで端午の節句という言葉を見かけるようになっていたが、こどもの日間近の三日ともなればこれが店頭に並び始める。
視線の先には二十センチほどの緑の円錐形のもの。
端午の節句のときにしか見かけない、ちまき。
見るたびに思い出す懐かしい思い出に、爽太は頬を緩めた。
小学生のころ、こどもの日のお祝いとして、一年に一度だけ給食にちまきが出た。
たかだか年一回ではあるが、四年生ともなると見ればまたかと思う。
いかにも草の匂いがするほんのり甘いだけの餅。桜餅や柏餅もあまり好きではなかったが、餡すら入っていないこれの何が美味しいのか輪をかけてわからなかった。
その年も去年と同じように、運ばれた人数分のちまきから教室に笹の芳香が広がる。爽太は机に置かれたちまきを眺めて溜息をついた。
「後藤くん、どうしたの?」
かけられた声に爽太は隣を見る。
なんだかきょとんとこちらを見るのは、四年生になって初めて同じクラスになった哲。話したことがないわけではないが、特に親しい間柄でもない。
どうやら心配してくれているらしい哲に、爽太はうん、とちまきを一瞥した。
「すごい匂いだなぁって」
「ちまき? 嫌いなの?」
意外なものでも見るような。そんな眼差しを向けられて、爽太は内心慌てる。
「別に食べられないってわけじゃないけど……」
つけ足した言葉は好き嫌いをするわけではないのだと言うようで、なんだか言い訳がましくなってしまった。しかし気にした風もなく、哲は軽く首を傾げた。
「そうなんだ? 僕は好きなんだけど」
「えっ?」
思わぬ言葉に素頓狂な声をあげてしまい、周囲のクラスメイトたちの視線を浴びることになってしまった爽太。皆の興味が逸れるのを待ってから、笑顔のまま待ってくれていた哲にまた話しかける。
「中原くん、コレ好きなんだ」
「うん。なんだか普通のお餅よりすっとするような、爽やかな感じしない?」
自分が草っぽいと感じた匂いは、哲にとっては爽やからしい。
そうなのかとまじまじとちまきを見つめる。
鼻に届く匂いは同じ。しかし受け取り手によって感じ方例え方が違うのだと知った。
「あんこ入ってない方がよくわかるから、ちまき好きなんだ」
だから今日の給食を楽しみにしていたと話していた哲は、実際に食事が始まってからも嬉しそうで。最後に残したちまきをゆっくり味わって食べている。
そんな哲を見て、爽太はどうにも不思議な気持ちになっていた。
好きではなかったはずのちまき。それなのに、隣で嬉しそうに食べる哲を見ていると美味しいもののように見えてくる。
爽太も手に取り、巻かれた紐を解いた。二枚の笹の間から現れた白い餅にかじりつくと、そのしっかりした食感はだんごに近い。
近付けた笹と口中の餅から感じる笹の香はやはり馴染まぬものではあったが、草ほど青臭くはないかとふと思う。
何かに似ていると考えること暫く。思い浮かんだのは最近校区内で引っ越した友達の家。真新しい畳の部屋がこんな匂いだった。
確かにあの部屋はいい匂いだと思った。そう思うとこれも、いうほど草っぽくないのかもしれないと考えを改める。
緑の真ん中の白い餅をもうひと口かじると感じる、清涼感のある香りと柔らかな甘さ。
「美味しかったぁ」
しみじみと満足そうな哲の声に、自然と笑みが浮かぶ。
食べ終わる頃には今まで抱いていた忌避感は薄れていた。
それ以来、爽太と哲はよく話すようになった。
クラスの中ではそれぞれ親しくしている相手もいるので、一緒に何かをしたり遊んだりというわけでもなかったが、些細なことをふと話すことのできる、そんな相手となった。
進級とともにクラスが分かれ、その先中学生時代も含め同じクラスになることはなく。相手が行った高校すらはっきりと言えない、その程度の関わりではあったものの。
交換することができた連絡先で、今も細々と交流が続いている。
特に遊びに行くでもなく。哲が遠方の大学に行ったこともあり、中学校卒業後に顔を合わせたことなどほんの数えるほどしかない。
しかしだからこそなのか、本当に他愛ない呟きや、周りの友達には話しにくいことなど。そんなことを零せる相手になった。
社会人になり、仲のよかった友達ともほとんど連絡をすることがなくなった中で。今でも変わらず、そんな関係が続いている。
自宅に帰ってきた爽太は、今年も買ってきたのと母親に笑われながら、ダイニングテーブルにちまきと柏餅を置いた。
スマートフォンで写真を撮ってから、ちまきを手に取る。
巻き上げる紐はい草らしい。あの時畳の部屋を思い浮かべたのはあながち遠くもなかったのだと、大人になってから知った。
二枚合わさる笹の中には白い餅。
あれ以来平気になった葉の香り。給食がなくなってからは、懐かしくてこうして家で食べている。
成長とともに味覚も少し変わったのか、今は素直に美味しいと思えた。
ちまき一本と引き換えに母親が置いていったお茶を飲みながら、ほんのりと甘い餅菓子をゆっくりと味わう。
思い出すのは何気ない日々。
一緒に何をしたわけではないからこそ、浮かぶのは些細なやり取りばかり。
ちまきに比べ日持ちのする柏餅はまた明日食べることにして、葉を片付けるついでにお茶のおかわりをもらってきてから。
爽太はスマートフォンでメッセージをうち始めた。
九時頃にスマートフォンに返信が来た。
『そろそろ来ると思ってた』
哲の言葉に、気取られていたかと笑う。
大学卒業後そのまま遠方で就職した哲の周りでは、地域柄かちまきはほとんど見かけないらしく、柏餅を食べるしかないと言っていた。
食べたくなったらこの時期に帰省して、ついでに会えたらいいのに。
そんなことをふと思うが、なんとなくそのまま書けず。代わりに自分は餡の入った柏餅も好きだけどと返信を書いていたその時。
再び哲から送られてきたメッセージには、ちまきの写真が貼られていた。
どこかで見かけて買ったのだろうか。
そう思っていると、またすぐにメッセージが届く。
『急に思い立って実家に戻ってる。ゴールデンウィーク、時間が合えば一緒にメシでもどう?』
書かれていたのは先程自分が書けなかった言葉。
思わず何度か文面を読み返し、間違いないと確認する。
(……こっちに戻ってる……?)
急な帰省への驚きは、すぐに同じように考えてくれていたのだという嬉しさに変わった。
とりあえず書きかけの文面を消してからなんと答えようか悩み、しかしあまり間が空くのも悪いと思い、まずは了承の返答を入れた。
哲は今日戻ってきたばかりで六日の夕方に帰る予定だという。その間でどこか時間を取れないかと聞かれた。
買いたいものがあるので見に行こうとは思っていたが、それは別にいつ行ってもいい。
そう返しがてら先程送られてきた写真のことを尋ねると、最寄り駅から家までの間に見つけて速攻買ったとあった。
何年振りだろうかと喜ぶ様子に、爽太も頬を緩める。
どうして哲が急に帰省を決めたのかはわからない。もしかしなくても自分はちまきのついでだったのかもしれないが、それでもこうして声をかけてくれたことが嬉しかった。
いつでもいいなら、と、会う約束は五日になった。行きたい店があるらしく、ランチの予約を取っておくと哲が請け負ってくれる。
『楽しみにしてる』
礼を入れると返ってきたその言葉を暫し眺めてから。
爽太はテーブルの上の最後の一本のちまきに手を伸ばした。
裏は五日投稿になります。




