第四十七景【兄】
いつもの隣。
「ごめんねお兄ちゃん。あたし急ぐから先帰るね!」
授業が終わるなりそう言って、返事も聞かずに教室を飛び出していった妹。
寄りたいところがあるから先に帰っててって言おうと思ってたの、俺の方なんだけど。
騒がしい妹にクラスメイトたちが笑ってる。
「これ、忘れてるんだと思う」
隣の席の奴が、机の横に掛けたままだった袋を渡してくれた。
まったく。いつもながら慌てん坊だよな。
荷物が増えたなと思いながら補助カバンに詰め込んで。
そろそろ俺も行かないとな。
寄り道先はショッピングモール。
明日のホワイトデーに、妹と友達に渡すお返しを買いに行く。
おんなじ家に住んでるんだから、間際で買わないと見つかるってのもあるけど。元々すぐに渡せるあいつにはケーキかなんかにするつもりだったから、全部纏めて今日買うことにした。
ほかがどんなもんかはわからないけど、兄妹仲は多分いい方なんだと思う。
双子ってこともあるのかもしれない。
あいつはちょっとそそっかしくて慌てん坊でうっかり屋だけど、いつも一生懸命で頑張ってる。
頑張っても上手くいかないことが多くても、どこまでも自分ひとりでやろうとして。結果余計どうしようもなくなって落ち込んでも、あきらめて投げ捨てたりはしないから。
だから俺も。やり過ぎないようにとは思うけど、あいつが困ってたら手を貸せるように気をつけてる。
バレンタインの時だって、友チョコをあげたいんだって頑張ってたもんな。
まぁ大雑把すぎてことごとく失敗してたけどさ。
小さい頃から一緒だったから、今も一緒にいるのが普通だけど。そのうちばらばらで過ごすのが当たり前になってくるのかもしれない。
でもそれまでは。
もう少し兄貴ヅラしててもいいかな、なんて思ってる。
ショッピングモールで目星をつけてた焼き菓子を買って。
ついでにウロウロしてたら、小さな瓶入りの飴が目についた。
色とりどりの小さな飴。
思わず手に取って光に透かすと、赤や黄色や緑がキラキラと光る。
きれい、とはしゃぐ妹の顔が目に浮かんだ。
基本見た目より量だって知ってるから、あいつにはクリーム鬼盛りのシュークリームでも買おうかと思ってるんだけど。
(……ま、いっか)
そのままレジに向かう。
喜ぶ顔が浮かんでしまったから。
我ながら随分甘いよな。
家に帰ると甘い匂いが立ち込めてた。
慌てて帰った妹。そういうことかと納得する。
あいつがバレンタインに友チョコをあげたように、あいつも友達から友チョコをもらってた。お互い交換で終わらすんじゃなく、お返しもすることにしたんだろう。
律儀というか、懲りないというか。
浮かんだバレンタインの時の惨状に苦笑する。
果たして今回はどうだろうかと思いながらキッチンへ行くと、慌てた様子の妹に立ち塞がれた。
「何?」
「何って、これ」
シュークリームの入った箱を見せる。
「冷蔵庫に入れたいんだけど」
「冷蔵庫、今いっぱいなの」
キッチンへの動線を塞いだままの妹。
どうやら冷蔵庫どころかキッチンにも立ち入らせてもらえないらしい。
「じゃあ今食えば?」
箱を目の前に差し出すと、途端にきょとんとした顔になった。
「え?」
「ホワイトデー。一日早いけど」
はい、と箱を押しつけると、成り行きで受け取ったまま固まる妹。
助けを求めてこないってことは、多分なんとかなってるんだろうから。それならいいかと思い、キッチンを離れた。
自室に行って暫くすると、ドアがノックされた。
開けるとなんだかしょんぼりした妹が立ってる。
「お兄ちゃん……」
「どうしたんだよ」
「うん……」
言い淀んだあと、うしろ手に持ってた袋を突きつけてきた。
透明な袋だろうけど白く曇ってる。その隙間から茶色いものが見えた。
「ごめんね。冷蔵庫、チョコ入ってるからいっぱいで。シュークリームありがとう」
バレンタインに苦労してたチョコレート、今回は上手くやれたみたいだな。
「いいよ」
怒ってないこと、伝わったんだろう。さっきまでのしょぼくれ顔が一転、へへっと笑ってありがとうって言われた。
「それね、ホントは明日渡そうと思ったけど、あったかいのも美味しいかなって」
確かに受け取った袋はまだかなり温かい。
袋についた湯気の向こうをよく見ると、どうやら中はカップケーキらしい。
まぁこいつが作れるのって、正直ドロップクッキーかこれくらいだもんな。
「あたしも今からシュークリーム食べるから、お兄ちゃんそれ食べない?」
掌の中の温かなそれ。
今渡された意味くらい、双子じゃなくてもわかってる。
「そうだな、せっかくだし食べるよ」
「じゃああたしお茶淹れるね」
嬉しそうな顔をして、用意しとくとバタバタと戻るうしろ姿。
間違いなくさっきの態度を気にして声を掛けに来てくれたんだろう。
これくらいで怒ったりしないって、少し考えたらわかるだろうけど。
考えすぎてわからなくなるのがあいつなんだよな。
あんまり早く行くと焦らせるから、少し時間を見てからリビングに向かう。
テーブルの上にはシュークリームの箱と、紅茶のティーバッグが放り込まれたマグカップふたつが湯気を立ててた。さっきもらったカップケーキを置いて先に席に着くと、妹が皿とフォークを持ってきて前に置いてくれたけど。
別にどっちもいらないんだけどな。
妹が席に着くのを待ってから、袋を手に取った。
「じゃあいただきます」
「いただきます!」
袋からカップケーキを取り出す。飾りっ気も何もない、生地だけのシンプルなもの。なんだかんだやってるうちにもう冷めて、今はほんのりあったかいかなってくらい。
湯気で湿った周りの紙を破ってひと口かじる。バターの甘い香りと香ばしさと、砂糖の甘さと。まぁ普通に美味しい。
中はもう少し温かくて、いつもより柔らかいような気がした。
妹は隣で箱から出したシュークリームを皿に置いてから、どう食べればいいかと悩んでる。
鬼盛りの名前通り、ホイップがうず高く積まれてるからな。
溢れそうになるクリームと格闘しながら食べる妹は、食べづらすぎて困った顔もしてたけど、それでもやっぱり嬉しそうだった。
「ごめんねお兄ちゃん……」
俺が渡した皿をすすぎながら、申し訳なさそうに妹が呟く。
リビングで食べているところを母さんに見つかった俺たちは、片付けもしないままご飯前に食べてと叱られた。
「いいって」
ひとりで片付けると言われたが、ふたりの方が早いからと押し切った。まぁ正解だったと思う。
やっと入れてもらえたキッチンの惨状を思い出して苦笑する。
飛び散った粉は拭いたから、使った道具を洗えばひとまず終わり。あとは二回目に焼き上がった分が冷めて、冷蔵庫のチョコレートが固まってからだから、夕食後にでもすればいい。
ついでだからと夕食の食器の片付けもすれば、母さんの機嫌もなおるだろうし。
「ありがとうね」
そんなことを考えてたら、隣から礼を言われた。
「お兄ちゃんにも渡したかったから、今度こそひとりで作ろうって思ってたんだけど……」
「作るのはひとりでやっただろ」
弱くなる語尾にそう言うと、そうかな、と小さな声が返ってくる。
「美味しかった。ありがとな」
慌てて片付けることになったから、ちゃんと伝えてなかった感想とお礼。こいつにははっきり言ってやらないとだからな。
「喜んでもらえたらいいな」
「……うん」
明日皆に渡すんだ、と嬉しそうな妹。その顔に、俺もあの瓶入りの飴をまだ渡してなかったと気付いたけど。
どうせ明日もいつも通りだろうから、明日渡せばいいかな。
手に取って、光に透かして、きれいと喜ぶ顔を思い浮かべる。
ただそれだけでなんだか俺まで嬉しくなるんだから、兄貴ってのも単純なもんだよな。
イラスト 歌川 詩季様https://mypage.syosetu.com/2287106/
今回は【兄】です。
小池の「兄」といえば! いつもお世話になりっぱなしです。
リアル小池も妹ではありますが、兄ではなく姉なので。昔はお兄ちゃんに憧れたものです。周りの友達にもお兄ちゃんがいる人が少なかったせいもあるのかもしれませんね。
なので今は頼れるお兄ちゃんがいてくれて嬉しいのですよ。
この話の前日譚、バレンタインのすったもんだはこちらにて。
『双子のパンダの黒白のチョコレート』
https://book1.adouzi.eu.org/n1599kc/




