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第四十五景【虹】

 彼方の光に。

 大きな公園にある背の高い木に一羽の鳥が止まっていた。

 いつもは二羽並んでいたのに、今は一羽きり。番に先立たれたその鳥は、何日もそこに止まっていた。

 時折仲間たちが声をかけにきても、頑なにその場を動かなかった。

 ただ悲しくて、寂しくて。疲れも空腹も感じなくなった。

 このまま何も感じなくなるなるのかと、そう思っていた時。

 どうしたの、と眼下から声がする。

 鳥が見下ろすと、そこには見覚えある小さな犬がいた。

 いつもこの公園に散歩に来るその犬は、どうして最近は一羽でいるのかと聞いてきた。

 鳥が事情を話すと、そうなの、とシュンとした様子を見せる。それから自身のことについて話し始めた。

 少し前に家族を亡くしたというその犬。

 悲しむ犬に飼い主は、家族は虹のふもとで待っていてくれるから、と言ったらしい。

 だからきっと、あなたの番も虹のふもとにいるよ、と。穏やかな目をしてその犬は告げた。



 空に浮かぶ光の帯。そのふもとに、自分の番もいるかもしれない。

 そこに行けば番に会えるかもしれない。

 重く立ち込めた雲が晴れるような。そんな思いで鳥は空を見回す。しかしどこにも虹は見えなかった。

 虹は稀に空の向こうに見えるが、そのふもとに行ったことはない。虹のふもとがどのくらい遠いのか、鳥には見当もつかなかった。

 虹はどこにあるのかと犬に聞くが、犬もわからないのだと申し訳なさそうに答える。

 しかし地面を走るしかない自分とは違い、まっすぐ虹に向かって飛ぶことのできるあなたなら辿り着くことができるかもしれない。

 どこか羨むようにそう告げた犬は、もしあなたがそこに行ったなら、自分の家族に自分が行くまで待っていてと伝えてほしいと、ぽつりと呟いた。

 飼い主に連れられ立ち去る犬に礼を言い、鳥は考える。

 いつの間にか現れて、いつの間にか消えてしまう虹。見つけてからふもとに向かったのでは間に合わないだろう。

 少しでも近付いておくために、最後に虹が見えた方向へ飛んでいくことにした。

 どれだけの長旅になるかわからない。

 きちんと食べて体力をつけ、心配する仲間たちに別れを告げ、鳥は旅立った。



 凍てつく空気の中、北へと向かう。

 遠くまで行くからと建物を避け上空まで上がるにつれ、身を切るような寒風が吹きつける。

 明るいうちは北を目指し、暗くなれば羽を休め。番に会いたい、その一心で空をゆく。

 その日は川べり木の上を宿に決めた鳥は、キラキラと夕日を受けながら流れる川を眺めていた。

 緩やかな弧を描いて流れる川も、夕日に輝き光の帯に見えるものの。ゆったり横たわるそれはもちろん虹ではない。

 光の川を泳ぐ魚たちが、水面から物珍しそうに見上げる。

 鳥はねぐらに帰る時間。どうして一羽でこんなところにいるのか、と。

 事情を話した鳥は、虹のふもとがどこにあるのか知らないかと尋ねた。

 空のことは知らないと答えた魚たちは、川に住む自分たちならどこで待つのだろうねと話していた。

 でも、とその中の一匹が呟く。

 今ここで皆といること。自分はそれで十分だ、と。



 魚たちに別れを告げ、鳥はまた旅立った。

 姿を現さぬ虹を追い、北へと向かう。

 ある日山の中で羽を休めることにした鳥は、狸の夫婦と出会った。

 虹のふもとにいるという番に会いにいくのだと聞いた狸の夫婦は、気持ちはわかるけど、とお互いに顔を見合わせる。

 自分たちは虹のふもとの話を知らない。ただ、お互い相手を失ったと考えると鳥の気持ちもわかる。しかしその一方で、もし自分が残す側ならその必要はないと言うだろう、と。

 どちらが正しいかなど、自分たちにはわからないが。

 そうつけ足し、狸の夫婦は辿り着けるといいねと締め括った。

 巣に戻る狸の夫婦を見送ってから、鳥は北の空を見つめる。

 このまま北へ進んで、果たして本当に虹のふもとに辿り着けるのだろうか、と。

 ふと浮かんだ疑問を胸に、それでも目を瞑るしかなかった。



 山を越えるとまた民家が増え始め、やがて町に辿り着いた。前に小さな広場のある駅を一夜の宿と決めた鳥は、駅舎の屋根に降り立つ。

 とても疲れていた。

 行けども行けども虹のふもとに辿り着くどころか、虹すら見えない。

 飛び続けた羽を休めようにも冬の風は容赦なく吹きつけ、一羽きりでは暖も取れない。

 先の見えない不安と終わりの見えない苦しさと。

 日が傾き落ちるように。寒さとともに暗い気持ちが染み込んでくる。

 せめてもう少し風を遮ることができる場所を探そうかと思った時だった。

 椋鳥たちが次々に広場に集まり始め、見慣れぬ先客を怪訝そうに囲む。

 どうしたのかと口々に質問を投げかける椋鳥たち。しかし誰も虹のふもとの話は聞いたことがないという。

 そうかと沈む鳥。

 励ます声をかけながら、今日は一緒に寝ようねと椋鳥たちが輪の中に入れてくれた。

 自分の半分ほどの大きさの椋鳥たち。体をすべて隠すことはできないが、それでも久し振りの温かさにほっとする。

 ともに暮らしていた仲間たちを思い出し、どうしているだろうかと懐かしさが込み上げた。

 翌朝、休むことができて少し元気になれたものの、心には惑いを抱きながら。

 椋鳥たちに礼を言い、鳥は今日も北へと飛び立った。



 眼下は次第に賑わい、背の高い建物が増えた。

 少し休憩をと止まる場所を探していると、ふとベランダに置かれている鳥籠が目についた。

 中には青いセキセイインコが一羽。じっとこちらを見る視線に引かれ、鳥はベランダの柵に止まった。

 疲れているのかと問うセキセイインコに、ここまでの経緯を話す。聞き終えたセキセイインコはそうと頷いた。

 自分も番を亡くした。その時に飼い主から虹のふもとの話を聞いた、と。

 初めて虹のふもとのことを知っている相手に出会えて、鳥は嬉しくなった。

 そこを出られたら一緒に行けるのにと言うと、セキセイインコは出られても行かないと穏やかに答える。

 飼い慣らされた自分が虹のふもとまで辿り着けるとは思えない。それよりここで精一杯生きていく方が、きっと番は喜んでくれる。

 だからここで、いつかまた会える日を待ちながら生きていくのだ、と。

 後悔がないように。

 かけられた言葉とともに。暫し休んだ鳥は、セキセイインコに別れを告げて北へ向かった。



 翼が重かった。

 虹のふもとに辿り着くどころか、見つめる先に光の帯すら一度も見えない。

 いくら休んでも取れぬ疲れが体と心に溜まっていく。

 ひとり残された自分。

 今、ひとりきりの自分。

 ひとりであることは変わらぬはずなのに、どうして旅立つ前より寂しさを感じるのだろうか。

 空をゆきながら、ここまでのことを思い返す。

 そして最後に、番のことを思い出す。

 大切な絆。しかし―――。

 今一度北の空を見つめてから。

 鳥は大きく旋回した。



 街に戻ってきた鳥を、仲間たちは嬉しそうに迎え入れた。

 飼い主と散歩に来た犬は、鳥の姿を見つけると慌てて駆けてきた。

 深く考えず伝言を頼んでしまったことをあとから悔いていたという。

 戻ってきてくれてよかったと安堵する犬に、鳥は辿り着けなかったことを詫びるのはやめた。

 虹のふもとは見つけられなかったけれど、自分にとって大切なものを知ることができた。

 代わりに告げたその言葉。犬は不思議そうに聞いていたが、後悔のなさそうな鳥の様子に、それならよかったと返してくれた。



 あれだけ探し求めた虹が北の空に浮かんだのはその数日後。

 また旅立つのかと心配する仲間に、鳥はもう追わないと告げる。

 澄んだ青空に浮かぶ光の帯。そのふもとは建物に隠れ、上空まで昇ってみても見えなかった。

 遥かな虹を見つめながら、またいつか、と心中呟く。

 またいつか、あのふもとで会える日まで。自分はここで生きていく。

 声が届いたのかはわからない。

 虹は緩やかに空に紛れ、消えていった。


 今回は【虹】です。


 何が好きかと言われても返答に困ってしまうのですが、見かけるとなんだか嬉しくなります。


 確か最後に見たのは去年のお正月。電車の窓から見えました。

 その時はいいことあるといいなぁと思ったのですが……。



 虹って結構ド派手な色をしていますよね。国や地域によって色の種類と数は異なったりするそうです。識別できないということではなく、呼び分けていないだけらしいのですが。受け取るものは同じなのに、それぞれ表すと全然違ってしまう。言葉って面白いなぁと改めて思いました。


 小池が「シアン」という色を知ったのは、虹を扱う某ゲームで。それ以来好きな色のひとつとなりました。

 『Over The Rainbow』を思い起こさせる出だしのBGMもいい感じで。リメイク版でもちゃんとこの音楽を使ってくれていて、懐かしかったです。


 いつかきれいな半円の虹を見てみたいなぁ。

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― 新着の感想 ―
 旅路の途中にはさまざまな考えを持つ相手と出逢い、徐々に自分の考えも深まったのでしょうね。鳥は飛び立ったからこそ、もどってくることを選んだのですね。決心がついたのなら、もう迷わないように思います。いつ…
泣けちゃうねぇ… 虹、見れると本当に嬉しいですよね。 お天気雨が降ってると探してみますが、遠くに降る雨じゃないと見えないじゃん?と気づきました。 渡るのは虹の橋。説より、お星様になった。説が好みで…
大切な番を失った、一羽の鳥の心境がせつなく。 大変胸を打たれました。 『ひとりであることは変わらぬはずなのに、どうして旅立つ前より寂しさを感じるのだろうか。』 深いですね。 一人(一羽)ぼっちのせ…
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