第四十四景【料理】裏(残酷な描写あり)
今も変わらぬ想いで。
青年は途方に暮れていた。
目の前あるひとり用のテーブルには、単に義務であるかのようにもそもそとパンをかじる少年の姿。その前には水の入ったグラスと申し訳程度のサラダが置かれている。
(……これじゃあ……)
容易に想像できるこの先を憂いながら、青年は溜息を呑み込んだ。
青年にとって、少年は弟弟子だった。
少々生意気ながら、明るく元気で。実力もあり、職場でも将来を期待されていた。
しかし、二カ月ほど前に起きた騒動で状況は一変した。
心身ともに深く傷ついた少年に負わされた、あまりにも大きな責務。重責を果たすために望みもしない場所に立ち、懸命にそう在ろうとする少年の心の傷は、癒えるどころか深まっていく。
惨劇の記憶から肉と果物を拒絶するようになったことが、そもそもの始まり。脂の匂いから食事そのものの匂いへと、徐々に忌避するものが増えた挙句の現状がこれで。
食べるということへの楽しみがすっかり抜け落ちてしまったかのようなその様子。成長期の少年であることに加え、自分たちは肉体労働を主とする職種に就いている。とてもこの程度の食事で補えるとは思えない。
責任感の強い少年のこと、必要とわかれば無理にでも食べるようになるのかもしれないが、日常にまでそんな苦痛を強いたくはなかった。
普通であれば数分もかかりそうにない量をやっと食べ切った少年が、少年らしからぬ苦い笑みを浮かべて青年を見上げる。
「……付き合わせてごめん」
「気にするな」
申し訳なさそうな少年にそう応えると、そのままの表情でありがとうと返される。
気にしていないわけがない。わかってはいたが何も言えずに、青年は視線を落とす少年を見つめていた。
自分がこうして動くことも、少年にとって負担となりつつあることは気付いていた。
自分はただ彼の力になりたいだけ。心身とも傷つきながら、それでも「誰か」のために立つ彼を、兄弟子として、そして何よりその隣に並び立つ友として、彼を助け、許し甘やかす存在でいたいだけ。
口下手な自分には、それを上手く伝えることができないが。
空の食器を重ねてこちらへと押しやる少年が浮かべる、自嘲気味の笑み。
―――こんな顔をする少年ではなかったのに。
「これお願い。ゆっくり食べてきて」
「ああ。行ってくる」
気を遣わなくていいと言うこともできず、青年は頷き食器を手に取った。
少年の部屋を出た青年は、自身の食事のために食堂に向かった。
寮生だけではなく勤める者たちも使うことができる食堂は、厨房と食事場所がカウンターで仕切られている。人の多い夕食時、室内は焼き物や揚げ物の香ばしく食欲をそそる匂いに満ちていた。
自分にはいい匂いだと感じられるこれが、少年にとっては忘れたい記憶を呼び起こすものとなっているのだろう。
カウンターで食事を受け取った青年は、空いている席に座り食べ始める。
焼かれた肉も野菜も美味しいと感じた。当たり前だと思っていたその感覚を噛みしめる。
辺りを見ると、多くの人は和らいだ表情で食事をしていた。暗い顔で食事を見る者も、顔を歪めて口に運ぶ者もいない。
―――少年の状態がどれだけ異様であるのか。
改めて感じたその事実。
このまま待っているだけでは状況は改善しない。食べられない物があるのは仕方ないとしても、せめて食べられる物を美味しいと思って口にできるようになってほしい。
そのために自分ができることは何かあるだろうかと、己の前の皿を見つめながら青年は考えに耽る。
食堂に入ることができないから、自室で食べる少年。
食堂で出される食事が食べられないなら、食べられる物を自分で作るしかない。
辿り着いたその結論。もちろん簡単ではないことはわかっている。
それでも友のために。青年は自分にできることを模索し始めた。
まず必要なのは料理ができる環境と、思った物を作ることができる腕。
寮で調理はできないので、単身者向けの部屋を借りることにした。
朝食も作ることを考えれば、少年にも寮ではなくここに来てもらいたい。もちろん同じ部屋で調理はできないので、隣同士で二部屋を押さえた。
少年を診てくれている医者にも助力を請い、気をつけねばならないことを教わった。
上司にも状況を説明し、時間を割けるように許可を得た。
遠方で食堂を営む少年の兄にも詳細を伝え、使えそうなレシピを考えてもらった。
今までごった煮のスープを作るか肉をそのまま焼く程度しか料理をしてこなかった青年にとって、きちんと料理をすることはなかなかに難しく。仕事と少年の世話の合間に試行錯誤を繰り返す。
まず目指すのは、肉と魚を使わずに美味しいと思えるスープ。
少年の兄から教えてもらったレシピを元に、きのこや豆を野菜と煮てスープを作る。一口は食べてもらえたとしても、美味しいと思えねばきっかけにはならず、おそらく二度目もない。慎重にならざるを得なかった。
作業に時間を取られるうちに、少年はとうとうサラダも食べられなくなり、日増しにその表情も翳りを見せる。
覚える焦りを宥めながら、青年は一心に準備を進めた。
ようやく納得のいくスープとある程度の料理ができるようになってから、青年は寮を出るのだと少年に告げた。
なぜか落ち込んだ様子の少年を怪訝に思いながら、準備はしてあるので一緒に出てくれと続ける。
「……俺も……?」
「ああ。食堂で食べられるようになるまでは俺が作る」
どこか呆けて聞き返してくる少年にそう返すと、じっと自分を見ていた少年の瞳にじわじわ涙が浮かび始めた。
「……呆れられたかと思った」
涙を隠すようにうなだれてぽつりと呟く少年。揺れるまだ小さな肩に、青年は自分が何の説明もしないままだったこと、そしてここ最近の沈んだ様子の原因を知る。
―――彼を追い詰めたのは、自分だった。
詰まる言葉の代わりに手を伸ばし、青年は少年を抱きしめた。
何を考えているのかを口にしなかった自分が招いた結果。少年のためと思っての行動が、今まで食べられていたものすら拒絶するくらいに彼を追い詰めていた。
まず変わらなければいけないのは自分だった。
自分だけは彼を傷つけないように。
自分だけはありのままを信じてもらえるように。
この先彼が、人を信じることができるように―――。
「すまない……」
「どうして謝るんだよ」
かなり経ってからようやく言えた謝罪に、おとなしく抱きしめられたままの少年が本当に不思議そうにそう返す。
少年は追い詰められたそのことさえも、己のせいだと思っているのだろう。
「これからは、必要なことはきちんと話す」
自戒を込めての呟きに、少年はなんのことだよと笑った。
新たな自室で作ったスープを持って、青年は再び少年の寮の部屋を訪れた。
野菜だけを煮詰めて作ったスープは淡白ながらもどこか柔らかな甘みがある。少しでも違和感なく馴染むように、温度は人肌程度にした。
あまり多く出すのも負担になるかと思い、量はスープスプーンにひとつ分あるかどうか。
「無理はしなくていい」
少年の前に置いてからそう告げると、少年は真剣な眼差しのまま首を振った。
「俺だって頑張りたい」
このままではいけないと思っているのはきっと少年も同じ。瞳に浮かぶ覚悟に、青年は頷きもせず口を噤んだ。
それを了承と取ったのだろう、少年は一度だけ表情を緩めてから、また真剣な顔つきでスプーンを手に取りスープをすくう。スプーンに半分もない僅かな量を、ゆっくりと近付けて口に含んだ。
それきり動きが止まってしまった少年。見守るうちに顔が上がり、こちらに向けられた瞳が揺れる。それを隠すようにまたスープへと視線を戻した少年が先程よりもためらいなく二口目を口にするのを見て、青年はようやく安堵の息をついた。
これで大丈夫というわけではもちろんない。
しかしこれで、踏み留まることができたなら―――。
皿に注がれたスープをすべて飲み干してから、少年はどこか照れ臭そうに青年を見上げた。
「美味しい」
告げた途端に溢れた涙に、少年は慌てて袖で拭う。
「ありがとう……」
「いや、頑張ったのはほかでもないお前自身だろう」
食べる前の彼自身の言葉を肯定して、青年は少しためらってから少年の頭を撫でた。
「食べてくれてありがとう」
自分にできることは少ない。だからこそひとつひとつ確実に、感謝と労いを伝えていこうと決めた。
「もういいから」
重ねられた礼と空の皿を恥ずかしそうに押し返し、少年はもう一度顔を拭う。
「それより! これ、もうちょっとある?」
照れ隠しの、そしておそらく自分への感謝と気遣いからのその要望。
「ああ。いくらでも」
少しでも気兼ねなく口にしてもらえればいいと願いながら、青年は器を手に取った。
大晦日にこんな話ですみません。年末恒例、今年は誰と誰だかわかりやすかったかと思います。
【食事】と迷ったのですけど、こちらは書けそうなネタがもうひとつあるので、今回は【料理】で。
面倒くさいと思うことも多々……本当に多々ありますが、基本的には好きです。
ただずっと言っているように、小池には飾り付ける能力がありません。写真を撮ってどこぞに載せるような料理には縁がないです。
そして大喰らいな我が家。大皿どーん、が普通。
料理に関しては、レシピを見てもきちんと調味料を計らない小池。
「大さじ一ならこれくらい」
「具は倍くらい入ってるから適当に足しとこ」
目分量万歳! 味見なんてしない!
……なんとかなるものですよ。
今年最後の投稿です。
この一年も、本当にありがとうございました。
どうぞ来年もよろしくお願いいたします。




