第三十九景【露店】裏
支えるものはどちらなのか。
またか、と。溜息を呑み込みラファルは城内を急ぐ。
少し目を離した隙に、ウェイが姿をくらませた。
今となってはこうして抜け出すのも昔ほどの頻度ではないが、成長して力の扱いに長けてきた分遠くまで行くようになり、すぐに連れ帰ることができなくなってしまった。
尤も、最近は気が済めば自分から戻ってきてはくれるのだが。
城内を探すうちに、いつの間にか外に出ていたらしく、離れた場所でウェイの力を感じた。
水中の移動速度は扱える力の大きさで変わる。王として、国で一番大きな力を持つウェイに速度で敵うはずもなく。
考えるまでもなく、こうなってしまってはもう追いつけない。
制止の声ももちろん聞き入れてもらえず。そのうち地上に出たのだろう、ウェイの力を感じなくなった。
そのうちにウェイの方から動いてくれると信じ、ラファルは探しに行きたい気持ちをぐっと堪える。
本当は探し回って少しでも早く見つけて、無事を確認したあとは心配をかけるなと叱りたい。
―――しかし、できない。
どこか危うさを孕んだまま、それでもひとり立とうとするウェイ。あまり揺さぶると崩折れてしまいそうで、手が出せずに見守ることしかできずにいる。
両親、そして後を継いだ兄王が亡くなり、突然王位に就くことになってしまったのだとしても。
この国、そして民の未来は、まだ成人前のウェイの小さな双肩にかかっているのだ。
ウェイに動きがあればすぐ気付けるように注意を向けながら、通常業務に就くラファル。
そのうちに、ウェイの力の混ざる水が海に投げ入れられたのがわかった。
いつもだったらウェイ自身がこちらに帰ってくるのを迎えに行くのだが、今日に限ってその様子はない。
何か不測の事態でも、と慌てて件の場所に行くと、ウェイは岩場に腰掛けていた。
変わりなさそうなその様子に安堵の息を洩らす。
「ごめんな」
小さく謝るその顔は、いつもの心中を隠して立つ王の姿ではなく、してしまったことを謝る子どものそれで。
彼に仕える従者として、そして何より彼を王たらしめるために、どうしても受け入れるわけにはいかなかった。
等身大のその姿を見せてくれる嬉しさに蓋をして、応えずに岩場に上がったラファル。
ウェイは少し寂しそうな笑みを見せてから、手に持っていた紙袋を上げた。
「……これさ、気になったからちょっと『食べて』みたくって。ラファルもつきあって」
地上の人々とは違い自分たちは経口の食事を必要としないが、口にできないというわけでもなく。
隣に座るよう示して返事を待つウェイのどこか切羽詰まった眼差しに、それ以上突っぱねることができず。
「……皆心配していますから。少しだけですよ」
従者として王に対する姿勢よりも自分としてウェイに対する気持ちの方が勝ってしまっていることを自覚しながら、ラファルはウェイの隣に腰を下ろした。
ウェイから渡されたのは露店で買ったという貝の串焼きだった。
既に冷めて硬くなってしまっていたそれに、ウェイはしょげた顔でかじりつく。
「……皆嬉しそうな顔して食べてたんだけどな」
その言葉に、どうしてウェイがこれを買い、自分をここまで呼んだのかに気付いた。
じわじわと胸を占めていく喜びと、同じ速さで心を覆う申し訳なさ。
幼い頃からまっすぐ向けられている好意と信頼に、一体自分はどれだけのものを返すことができているのだろうか。
自分にとっては仕えるべき王である前にウェイであり。責務など関係なしに守りたいと思う相手であるのに。それを伝えることもできず、与えられた立ち位置に留まるだけ。
それでもウェイが彼らしいまま王となってくれるならば、単なる主従の関係でしかなくなっても構わない。
―――そう、思っているつもりなのに。
「そうですね。これがどうなのかは私にもわかりかねますが……」
それでも気持ちが嬉しくて。零れる言葉に喜びが滲む。
「こうして地上から海を見ることも、時にはいいと思いますよ」
夕日を映し鮮やかに染まる海原は、海の中からは見られない。
こうして彼が守るものの広さと素晴らしさを実感し、力に変えてくれたなら―――。
その想いは届いたのだろうか、ウェイは無言のまま暫く海を見つめていた。
ふっとウェイが息をついた。
「んじゃ、たまにはこうして抜け出してきてもいいってことだよな」
「ウェイ様っ??」
慌てるラファルに笑うウェイ。
こちらへ向けた顔はいたずらを思いついた子どものそれに見えはした。しかしその瞳の奥に消えぬままの影があることに気付き、ラファルは息を呑む。
「帰ろっか」
すっと海に入っていくウェイを、ラファルはすぐには追えなかった。
(ウェイ様……?)
今まで見たことのないその翳り。
漠然とした不安を感じながら、ラファルは海面下の主に続いた。
そんなラファルの心配をよそに、それからのウェイはいつも通りだった。
皆に心配をかけたことを素直に謝り、何事もなかったかのように責務を果たしていく。
ウェイの様子は普段通りに見えるのに、何故か不安が拭えない。
明確でないものを問い質すことはできず、憂心を抱いたまま数日が過ぎた。
その日も気付けばウェイの姿がなかった。場内を探すうち、奥の小部屋にその姿を見つける。
「ウェイ様」
部屋の中央に立ち尽くしていたウェイは、名を呼ばれて振り返った。
「見つかっちゃったな」
茶化すように言ってくるが、本気で隠れるつもりでなかったことはわかっている。
彼がこの部屋に置かれているものをよく見に来ていることはラファルも知っており、ウェイ自身も気付いている。
ウェイが向く壁には二枚のタペストリーが掛けられ、それぞれ半球状の空気の泡で包まれていた。
一枚は赤い背景に男がひとり。
もう一枚は青い背景に複数人が描かれている。
「また見ておられたのですか?」
ラファルの言葉に頷いて、ウェイは再びタペストリーへと視線を移した。
数代前の王が持ち帰ったと言われるそれは、地上に伝わる伝説を描いたもの。
曰く、東の地に伝わる不死人と、西の地に伝わる水棲人の姿だという。
「まだこんな風に思われてるのかな」
青いタペストリーに描かれた水棲人は、ヒレや水かきがついたおよそ人には見えないもので。実際の姿とは似ても似つかぬものであった。
「地上に出てても気付かれないのも当たり前だよな」
その声がどこか沈んだように聞こえ、ラファルははっとウェイを見やる。
「……上で何か……?」
「なんにもないよ。ただ、そうなんだなって思っただけ」
苦く笑うウェイからはそれ以上の言葉はなかったが、何か思うところがあったことは疑うまでもなく。
ずっと感じていた漠然とした不安が急にはっきりと形を持ったように感じた。
ウェイが何かを気にしていることはわかるのだが、その何かがわからずに。ラファルはどうすればいいかと彼を見つめる。
幼い頃は明るく奔放だったウェイ。
気付けばいつの間にか、彼自身の望みをあまり聞かなくなった。
そう考え、ふと思い出す。
先日ウェイが地上で待っていたあの時。
あれが久し振りに聞いた、彼の「やりたい」ではなかったのか、と―――。
タペストリーを見上げるウェイの姿は、大きな責務を背負わせるには小さく見えた。
いずれは彼ひとりに任せねばならない国の未来。自分は従者として彼を支えるつもりではあった。
しかし今はまだ、ほんの少しの間だけでも、直接その荷を支えても許されるだろうか。
彼にかかる負担を、少しだけ肩代わりしてもいいだろうか―――。
「……ウェイ様」
呼ばれて振り返るウェイに、ラファルは笑みを見せる。
具体的にどうすればいいかはわからなくても。こんな自分にも、できることはある。
「何?」
「次からは、私も一緒に地上に行きます」
「ラファル?」
「ウェイ様は放っておくと無茶をされますから。私が傍にいます」
驚き見返すウェイにラファルが言い切る。
「ですからいつでも仰ってくださいね」
にこりと微笑むラファルに、ウェイは言葉を探すように口を開いたり閉じたりしたあとに。
「……本気?」
疑わしげというよりも、信じられないといった様子で尋ね返す。
「もちろんですよ」
即答するラファルを暫く見つめ、ウェイは大きく息を吐いた。
「……わかった」
仕方なさそうに、しかしどこか嬉しそうに辞色を和らげるウェイ。
いつもより幼く見えるその表情は、まだ重責を負う前のそれに似て。ラファルも内心安堵の息をつく。
この先のウェイが辿る道。それに対してなんの解決にもなっていないことはわかっている。
しかしそれでも今は、ただ懐かしい笑顔が見られて嬉しかった。
夏祭り時期も終わりましたが、今回は【露店】、小池はつい出店や屋台と言ってしまいます。
子どもの頃は食べるのも遊ぶのも両方楽しみました。
いか焼き、姿のではなくお好み焼きをぺったんこにしたようなやつの方。昔はお祭り以外ではなかなか見かけなくて、毎回食べていたような。
ミルクせんべいも好きでした。
今は食べてばかりです(笑)。並ぶ商品、変わったものも増えてきましたよね。
ベビーカステラは今の方が生地が柔らかいお店が多いような気がします。小池はいつも同じところで買うので、年に二回とはいえお店のお兄さんにもだんだん見覚えが……。




