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第三十九景【露店】表

 息のつける場所と居るべき場所。

 切り立った崖を背に、石造りの城が建っていた。

 暗めの灰色の石で組み上げられた建物は、所々に白や赤の装飾があるものの全体的に素朴な造りで、一番大きなものを中心に左右に円塔がふたつずつ並ぶ。

 周囲には侵入を拒む(ほり)どころか、門すらない。扉のない入口は大きく開け放たれたままで、バルコニーにも窓はなくそのまま内部へと繋がっていた。

 円塔は下部と上部に入口があるが、上部の入口に至る階段も廊下もなく、ただぽっかりと穴が空けられているだけだ。

 その城は箱ではなくただの覆い。侵入を防ぐ遮蔽物としてではなく、中が見えぬようにというだけのもの。

 上部へ至る階段も、侵入を防ぐ遮蔽物も、すべては辺りに満ちている。

 ―――ここは海底。水に満ちた世界。



「ウェイ様!! 出てきてください!」

 自分の名を呼ぶ声が通り過ぎるのを待ってから、小柄な少年はそろりと物陰から顔を出した。辺りを見回して人がいないことを確認すると、急いでその場を離れる。

(ったく、しつこいんだって)

 心中ぼやきながら、目立たぬように城を出た。崖沿いに暫く進んでから、あとは一気に海岸を目指す。

 力を使うとすぐに居場所がバレてしまうが、自分よりも強い力を使える者はいない。ある程度の距離さえ取れれば、気付かれたとしても追いつけはしない。そして陸上に上がりさえすれば、もう力を使っても水中のように自分の場所を気取られたりはしなかった。

 気付いた補佐のラファルが慌てた様子で制止の声を飛ばしてくるが、もちろん聞くつもりはない。

 段差のある岩場に出たウェイは、海水で身体を持ち上げ岩場の上へと上がった。

 水中より多少身体は重くとも、どこへ行こうかと進む足取りは軽い。

 もう何度も来た海の外の世界。

 向かう先はもう決めていた。



 地を踏みしめる感触、照りつける日射し、抜けていく風。水中にはないそれが嬉しくて、思わず駆け出す。

 暫く進んで辿り着いたのは、この辺りでは一番大きな町。あまり小さなところだとよそ者は警戒されるので、紛れるならそれなりに大きな町の方がいい。

 この町ひとつで自分たち一国分の人数がいるのではないかと思えるほど、辺りは人で溢れていた。以前より確実に多いその様子を怪訝に思い尋ねると、今日は海岸沿いに市が立っているとのことだった。

 偶然にしてはいい時に来たなと思いながら、整えられている道を辿っていく。海岸が近付くにつれ、道の両側の店が出す露店も増えてきた。

 海産物を焼く露店には、香りにつられた人々が集まっている。

 地上でなら匂いを感じることはできるものの、食事をする必要のないウェイは香ばしい煙に食欲をそそられることもない。地上の人はこんな匂いが好きなのだな、と横目で見ながら通り過ぎた。

 海岸にはずらりと露店が並び、所狭しと商品が並べられている。

 海辺の町だけあり、食べ物だけでなく装飾品も貝殻や珊瑚など海産物が多い。中には遠くからこの市に合わせてやってきたのだろう、見慣れぬ飾り物や道具などを置く店もあった。

 威勢のいい呼び声に足を止めながらふらふらと店を見て回っては、ウェイは自分たちとは異なる地上の人々の暮らしを面白く眺めた。



 ざわめく人波の向こうから聞こえた幼い声に、ウェイはなんとなしにそちらを見た。

 店先で泣く女の子を、母親らしき女が困った顔で見下ろしている。

「やだぁ、これがいいの!」

「もう好きなのを買ったでしょ?」

「だってこっちの方がいいんだもん」

「お嬢ちゃん、あんまり大きな声を出さないほうがいいよ」

 母親が宥めても泣き止まないその様子を見かねたのか、露店の主がこそりと呟いた。

「この辺りの海には人の姿をした化け物がいるんだよ。そいつらはね、海の中からこっちの声を聞いているんだ」

 慌てて両手で口を塞ぐ女の子に、店主は頷き、海を見やる。

「ここにお嬢ちゃんがいるって、そいつらはもう気付いてるかもしれない。お嬢ちゃんがひとりになったら、海の中に引きずり込んでしまうかもしれないよ」

 飛び上がるほどに驚いて、女の子は母親にしがみついた。

 その様子を見届けてから、店主はにこりと微笑む。

「ま、お母さんと一緒にいれば大丈夫だから。はぐれないようにするんだよ」

 こくんと頷く女の子を連れ、母親は店主に頭を下げて雑踏に紛れていった。

 この国に伝わる水棲人の伝説は、こうして子どもを言い聞かせるのにも使われるらしい。

 まさかその伝説がこんなところを人に紛れてうろついてるだなんて思わないだろうな、と。内心苦笑しながら、ウェイはその場を離れた。



 少し日も傾き始め、店を畳む露店も増えてきた。

 紙袋をひとつ握りしめ、ウェイは海岸沿いに人のいない方へと進んでいく。砂浜だった海岸は次第に石が混ざり始め、そのうち岩場へと変わっていった。

 地上(ここ)には自分を知る者はいない。

 その開放感が嬉しく、こうして時々逃げてきている自分。

 そんな場合ではないと、本当はわかっている。

 助けてくれる皆のためにも。まだ未熟な自分は必死に頑張らねばならない。

 水に棲む者たちの王として、この力に見合うだけの心の強さを持たねばならない。

 わかってはいる。けれど、海の底はどうしても息苦しい時があるのだ―――。

 打ち寄せる波を避けながら人気(ひとけ)のない場所までやってきたウェイは、そのまま岩場に腰を下ろした。

 水棲人の力は水を操る力。潮だまりに手を入れて、いくつも水の玉を作る。ふよりと浮かぶ水玉に、傾きかけの日が差し込んで赤く染める。

 色付くそれを海の上へと移動させ一斉にばら撒くと、パタタタッと海面を叩いて消えていった。

 自分の力の混ざった水。すぐに気付いたラファルが来るだろう。

 深く息をつき、ウェイは穏やかに波打つ海を眺めながら、残り僅かなひとりの時間を噛みしめる。

 両親が亡くなり兄が王位を継いだ矢先、その兄までも亡くなって。なんの下地もない自分が継ぐことになってしまった。

 足りぬ自分を自覚しつつも、伸し掛かる重圧に息が詰まる。

 本来自分はその器ではない。

 まだ幼い妹の方が人の上に立つだけの思慮深さと賢明さを持ち合わせているのだから。

 せめて繋ぎの王として、成長した妹に変わらぬままの国を託せればと思っている。



 不意に目の前の海面が盛り上がる。水が流れ落ちたそのあとには、慌てた様子の青年の姿が残された。

 水音も立てず現れた青年に、ウェイはふっと笑みを見せる。

「ごめんな」

 岩場に上がってきた青年は、ウェイの言葉に安堵と苦さの混ざる溜息を洩らしながらも何も言わなかった。

 幼い頃から自分についてくれているラファルは、仕える立場であるからと、いつもこうして一歩退いた態度で。

 それを寂しいと思うようになったのは、一体いつの頃からか。

 またひとつ溜息を呑み込んで、ウェイは手に持っていた紙袋を上げてラファルに見せる。

「……これさ、気になったからちょっと『食べて』みたくって。ラファルもつきあって」

 そうして隣を示すウェイ。

 じっとウェイを見返してから、ラファルは今度はあからさまに大きく息をついた。

「……皆心配していますから。少しだけですよ」

「わかってるって。ほら」

 隣に座りながらの仕方なさそうな声に、わざと明るく返したウェイ。袋から串を一本ラファルに手渡し、自分の分も取り出す。

 露店では香ばしい香りで人を集めていた貝の串焼き。昇る湯気もないそれを口に入れるが、冷めてすっかり硬くなってしまっていた。

「……皆嬉しそうな顔して食べてたんだけどな」

 口に入れただけで笑顔になるようなものならば、きっとラファルも喜んでくれる。

 そう思ったのだが、どうやら自分たちにはわからないようだ。

 モゴモゴと貝を噛みながらの呟きに、隣のラファルが笑みを見せた。

「そうですね。これがどうなのかは私にもわかりかねますが……」

 手元の串から海へと向けられる視線。つられるようにウェイも顔を上げると、沈みかけの夕日が海面を朱に染めていた。

「こうして地上から海を見ることも、時にはいいと思いますよ」

 柔らかなその響きの中、海を見つめる。波頭が一際光を放ちきらきらと彩りを添えるこの下に、自分たちの国はあり、守るべき民がいる。

 それが幸せでありそこが帰る場所なのだと、自分だってわかっているのだ。

 もう一度溜息を呑み込んで、ウェイはラファルへ向き直り、ニッと年相応の笑みを見せた。

「んじゃ、たまにはこうして抜け出してきてもいいってことだよな」

「ウェイ様っ??」

 慌てるラファルに更に笑い、ウェイは立ち上がり大きく伸びをする。

 海の底がどんなに息苦しくても、自分は地上では伝説(化け物)で。

 眼下に広がる海、その中にこそ自分の居場所はあるのだから。

「帰ろっか」

 どこか心配そうな眼差しを向けるラファルの肩を軽く叩き、ウェイは海へと足を踏み入れた。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  息抜きとして時たま遊びにくる。だから楽しいのでしょうね。  抜け出されたほうは心配しますよね。せめて護衛を……! とか思います。笑  人間側は海に棲んでいることを知っている様子ですね。昔…
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