第三十八景【ソフトクリーム】裏
そのままの自分でも。
二限目終了のチャイムが鳴り終わり、昼食を前にした学生たちがそそくさと片付けて立ち上がる。そんな中を、玲は一際ゆっくりと荷物を纏めていた。
ちゃんと気付いてもらえるよう、この講義だけは早くから来て、教室中段のいつもの席に着き、終わればゆっくりと帰り支度をする。
そうするうちに、前の入口から人の流れに逆行して待ち人が現れた。
黒髪に黒縁眼鏡、見るからに優しげな顔立ち。高校からの同級生、牧田橙也はすぐに玲を見つけてほっとしたように表情を緩める。
「橙也。おつかれ」
今日も来てくれた、と零れそうになる喜びをなんとか押し留め、玲は橙也の下へと降りていった。
「お待たせ! 行こう!」
軽く背を叩き、火照る顔を見られないように先に外へと出る。
出逢って七年目というのにいつまで経ってもこの想いに気付いてさえもらえないのは、自分の臆病さが原因だとわかっていた。
必修は昼からだけの水曜日二限目。もう単位は足りているけれど、興味があるからと単独で受講した。もちろんそれは嘘ではないが、別の思惑があったのも事実。
橙也がこの時間に専攻外の講義を受けるつもりだと聞いていた。お互い同じ専攻の受講者がいないので昼食はひとり。もしかしたら時々くらいは一緒に食べられるかもしれないと思ったのだ。
いざ蓋を開けてみると、橙也は毎週こうして迎えに来てくれるようになった。
もしかして橙也も自分のことをと期待する反面、誰にも優しい彼の性格を思うと踏み込めないまま今に至る。
学食に着き、券売機に並びながら。
「橙也は? 決めた?」
橙也がメニューに気を取られているのをいいことに、こっそり横顔を眺める。
出逢ったのは高校一年の時。あの頃はまだ少し幼さの残っていた顔立ちも、今はすっかり大人の男性になった。
「日替わりかなぁ」
それでも変わらぬ優しげな表情。
「う〜ん、ハンバーグもいいけど、今日は唐揚げの気分なんだよね」
見つめていたのを気付かれる前に、ごまかすように会話を継いだ。
券売機で唐揚げ定食とご飯増量、そしてソフトクリームのチケットを買うと、見ていた橙也が今日はソフトかと呟く。
「じゃあ俺もそうしよっかな」
日替わり定食とソフトクリームのボタンを押す橙也。
食べる量まで自分に合わせるようなことはしないのは、互いにとっての普通がどうであるのかを認めてくれているように思えて。
橙也にはそんなつもりはないのかもしれないが、それがどんなに嬉しかったのか。初めてこの感情を抱いた時のことは、今でも覚えている。
小さい頃からよく食べる子だった。
小学生では気にならなかったその量も、中学に入ると周りの女の子たちとの差が大きくなり、なんとなく恥ずかしく感じるようになった。
しかし運動部であることからも、食べる量を減らすのはつらく。それならばたくさん食べても「らしい」と思われるようになればいいのだと考えた。
元々男子にも普通に話しかけるような性格。高校からは少し意識して女の子らしい振る舞いをしないようにした。
目論見通りというべきか。高校ではさほど気にせず食べられるようになったのだが、その反面皆の前で甘いものを食べづらくなってしまった。
仕方ないかと思いながらも、楽しそうに新作のお菓子やアイスの話をする女子たちを横目で見るだけの日々。それでも変な目で見られるよりはと諦めていた。
そんな自分を、橙也が変えてくれたのだ。
一年生の夏休みの部活時。休日は学食が開いていないので、皆で昼食を買いにコンビニへと行った時のことだった。
「溶けるから買えないよね」
レジ待ちの列に並んでいると、うしろから橙也にそう声をかけられた。どうやら横にある冷凍ケースのアイスをじっと見てしまっていたらしい。
手元には弁当とおにぎりふたつ。これだけ買うのにまだ物欲しそうにアイスを見ていたと思われたのかと内心焦る。
「牧田はアイス好きなんだ?」
ごまかすつもりでそう聞くと、橙也は笑ってうんと頷いた。
「甘いもの好きなんだ」
なんの気負いもなく、本当に普通のことのように。
自然な橙也の様子に、追い立てるような焦りが解けていく。
「……私も」
柔らかなその笑顔に、気付いたらそう答えてしまっていた。
「小岩もなんだ。美味しいよね」
当たり前のように受け取られたことがなんだかこそばゆく。
同時になぜか、胸が温かくなった。
それから橙也のことが気になり始めた。
人当たりがよく誰にでも優しくて、いつも穏やかに笑っている。そんな普段の姿と真剣に練習に取り組む姿とのギャップにドキドキしたのも一度や二度ではない。
練習後にお疲れ様と飴やチョコレートをわけてくれることもあった。その様子を見ていたほかの部員たちも、いつの間にか自分が甘いもの好きであることを自然と受け入れてくれていた。
見つめれば見つめるほど、橙也のことが好きになっていく。
ほかの男子たちも自分のことを下の名で呼ぶが、自分からそう呼んでと言ったのは橙也にだけ。
この大学を第一希望にしたのも唯一志望校が被っていたからだ。
学部は違うが同じ大学に通えるようになり、今はこうして一緒にお昼を食べることもできる。
しかし、それもあと半年。
現状を壊すのが怖くて、今まで言えずにいた気持ち。
もうすぐ学生最後の夏休み。
もしふたりで遊びに行けたなら、告げる勇気を出せるだろうか―――。
ソフトクリーム以外を引き換え、向かい合って席に着く。
夏休みの予定をどう聞き出そうかと考えていたが、橙也の方から話題に出してくれた。
遠出をするつもりだと答え、橙也はと聞くと、まだ特に決めてないと返ってきた。
一緒にどこかに行かないかと誘おうと思っていたのだが、答えた橙也はすぐに下を向いて食べ始めてしまった。結局声をかけられないまま、仕方なく玲も止めていた食事の手を動かし始める。
(ほんと、意気地なしだよね……)
少し落ち込んだまま食事を終えると、遅れて食べ終わった橙也がすっと立ち上がり、玲の前のトレイを自分の方へと引っ張った。
「行ってくるよ」
こうしていつの間にか当たり前のように動いてくれる橙也。さり気ないその優しさに、気落ちしていたことを忘れてしまいそうになる。
本当に。橙也は優しい。
「ほら」
「ありがと」
戻ってきた橙也が差し出してくれたソフトクリームを受け取ると、なぜだかいい笑顔を返された。
きれいに巻かれたてっぺんからかじりつくと、広がる冷たさが次第に甘さに変わっていく。悠長にしているとコーンの先がふやけてしまうが、きちんと味わわねばもったいない。しっとりとしたミルク感ととろみある甘さを楽しみながら、玲はちらりと橙也を見やった。
何かを考えている様子の橙也だが、それでもこうして一緒にソフトクリームを食べてくれる。
最後の夏休みなのだ。どうしても橙也との思い出と、その先に繋げる勇気が欲しかった。
「……夏休みに、ソフト食べに行きたいなって思ってるんだ」
突然こんなことを言われても困るだろうかと思いながら、この夏に入れる予定を口にする。
驚いた様子で顔を上げる橙也に、少し遠くの牧場のソフトクリームを食べに行くつもりだと告げた。
もちろんそんな遠出につき合ってもらえるとは思っていない。お土産を買ってくるから、休み中に渡しがてら遊びに行かないかと尋ねるつもりだった。
「……誰、と……?」
「もちろんひとりだよ。こんなの誰もつき合ってくれないだろうし」
新幹線を使ってソフトクリームを食べに行くなんて無茶に誰も巻き込むつもりはないし、橙也以外に話すつもりもない。
お土産買ってくるねと続けようとしたその時。橙也が気の抜けたように微笑んだ。
どこか安心したような。そんな笑みを見せた橙也が、じっと玲を見つめる。
「……じゃあ、俺と行く?」
聞こえた言葉に心臓が跳ねた。
言った橙也自身も驚いて笑みを引っ込める。
「ごっ、ごめん、忘れ―――」
「いいの?」
途端に真っ赤になった橙也の撤回の言葉を短く遮ると、ますますその瞳が見開かれる。
初めて見るその表情は、もしかしての期待の答えでしかなかった。
「橙也が一緒に来てくれたら嬉しい」
自分もそうだと伝えるその言葉に息を呑んだ橙也。その眼差しが次第に和らいでいく。
(……なんだ、一緒……だったんだ)
口内に残る甘さのように、胸に広がる甘い喜び。
赤い顔のまま頷いた橙也に、玲は満面の笑みを返した。
今回はソフトクリームです!
色々なタイプがありますが、ミルク感が濃厚でなめらかなものが好きです。
物産展や旅行先での特産品とのコラボのフレーバーもいいですよね。
昔ワインの試飲イベントに来ていたナイヤガラソフトもとってもおいしかったです。
ワイナリーでもソフトクリームが売っているところもあって。いつか行ってみたいなぁと思っておりますが、ソフトも食べたいワインも飲みたいとなって困る様子が目に浮かびます。
ソフトクリームのために旅行は小池の実話です(笑)。
当て書きした牧場のソフトがどうしても食べたかったのですよ……。
物産展、アンテナショップ、百貨店の期間限定ショップなど。その後も何度も食べましたが、やっぱり濃くて美味しいです。
牧場、もう一ヶ所食べに行きたいところがあるのですけど。こちらは余裕の日帰りで行けるので、なんだか逆に機会がないままです。
いつか行きたい……。
そしてちょうどこれを書いている時に、ものすごく好みのソフトクリームに出会いました。
場所は焼き肉食べ放題店。
後半はもうそればっかり食べていました(笑)。




