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第三十二景【ひなあられ】裏

 それぞれの思い出。

「ひなまつりのお菓子、ほしいの?」

 スーパーやコンビニに行くたびにひなまつりの売り場をじっと見つめている娘の萌々花(ももか)。そのことに気付いた優花(ゆうか)が尋ねると、萌々花は下を向いたまま首を振る。

「ももかのほしいのないもん」

 しょんぼりとしたその様子は、明らかに何かある時の顔で。

 覗き込んで何がほしいのか尋ねる優花に、萌々花は暫く何も答えなかった。隣に屈み込んだまま待っていると、傍にある棚を見上げてようやく呟く。

「…ひなあられ」

 その言葉にはっとして棚を見た優花は、どうして萌々花が迷う様子を見せていたのかに気付いた。

 店に並ぶひなあられは、米が爆ぜた、いわゆるポン菓子で。一年前まで違う地域に住んでいた萌々花にとってのひなあられは、餅を揚げたもの。

 引っ越し先のこの地域では売っていないのだ。

 萌々花がこの時期にしか食べられないひなあられを嬉しそうに食べていたことを思い出し、優花は視線を落とす。

「……買ってみる?」

 違うとわかっていての提案に、萌々花も小さく頷いた。



 家に帰ってから買ってきたひなあられを出してみた。

 違うと言いながらも少しは食べると思っていたのだが、萌々花は全くというほど食べなかった。

「ひなあられ食べないの?」

 うつむき座る萌々花に声をかけると、食べへん、と返ってくる。

「あれひなあられちゃうもん」

 何かに耐えるように下を向く萌々花は今にも泣きそうで、その手はぎゅっと膝の上で握りしめられていた。

「あれ、ももかの食べたいひなあられとちゃうもん」

 萌々花がきっぱり言い切る。

「なんでないん?」

 かける言葉を見つけられずにただ見つめるしかない優花の前で、萌々花の瞳に次第に涙が溜まっていく。

「ひなあられ、なんでないん?」

 そのままぼろぼろと大粒の涙が零れだした。それてもなお耐えるように、萌々花はじっとひなあられを見つめている。

「ももかの食べたいのこれやないのに、なんでこれしかないん?」

「萌々花……」

 自分への問いではないとわかっていたが、どちらにしても返せる言葉がなく。ただ名を呟くことしかできなかった優花を見上げ、萌々花がさらに言葉を重ねる。

「おでんのおだんごも売ってへんし、お店のおうどんもももかの好きなんとちゃうもん。まいちゃんとももうあそばれへん」

 引っ越してきてからも時折寂しそうにはしていたものの、帰りたいと泣くようなことはなく聞き分けのよかった萌々花。

 向こうで当たり前だったものがないと知っても、ごねるようなことはなかったのだが。

「なんでももかはここにおるん?」

 まだ小学一年生の萌々花。

 ずっとずっと我慢していたのだと、優花は初めて気付いた。



 夫の仕事の都合で、自分にとっては生まれ育った地域であるここへと引っ越すこととなった。

 十年近く離れていても、慣れ親しんだ土地にはさほど変わりはなく。昔を思い出すかのように、自然に環境に馴染んでいった。

 しかし、萌々花にとっては初めての土地。今までと全く違うこともあるのだと、わかっているつもりになっていただけで理解できてはいなかったのだと思い知る。

 しゃくりあげて泣く萌々花は思っていたより小さく見えて。優花は萌々花の傍らに膝をつき抱きしめた。

「……ごめんね萌々花。萌々花の好きなもの、いっぱい向こうに置いてきちゃったね」

 抱きしめた萌々花の身体の小ささに、まだこんなに幼かったのにと改めて思う。

 まだ子どもの萌々花には、大人のように離れた土地を懐かしむ手段はない。

 その違いを感じながらも、表に出せずにただ我慢するしかなく。

 そうして積み重なった寂しさを、母親である自分は全く気付いていなかった。

 それ以上謝ることすらできず、ただ萌々花を抱きしめる優花。萌々花もまた、その小さな手で精一杯優花にしがみついてくる。

「ママぁ」

 こんな至らぬ自分をまだママと呼んでくれることが、嬉しくも申し訳なかった。



 泣きつかれて眠ってしまった萌々花を寝かせた優花。テーブルの前へと戻り、置かれたままのひなあられを数粒手に取り口に入れた。

 懐かしい素朴な甘さと食感。この時期だけ食べられるというわけでもないが、ピンクと緑の粒の混ざったものは、やはりひなまつりならではのもので。味は変わらぬというのにより分けて食べていたことを思い出す。

 自分がこのひなあられに懐かしさを覚えるように、萌々花がこれではないひなあられに懐かしさを抱くのは当然のこと。

 優花はまだ中身の残る袋を閉じ、チャック付き袋に入れた。

 それからスマホを手に取り、電話をかける。

 電話の相手は夫の母。

 向こうに住む義母に、頼みたいことがあった。



 数日後、義父母からふたつの荷物が届いた。

 常温のひとつはテーブルに置いておき、冷蔵のもうひとつは開封して冷蔵庫にしまった。

 学校から帰ってきた萌々花に開けてごらんと促す。

 祖父母からだと聞いて嬉しそうに箱を開けた萌々花は、中身を見て更に驚きと喜びを溢れさせた。

「ひなあられ! ママ! ひなあられ!!」

 忙しなく袋を掴み出して見せてくる萌々花。よかったわねと頷くと、満面の笑みが返ってきた。

 自分に聞かせるために祖父母からの手紙を音読したあと、入っていたひなあられとお菓子をテーブルに並べる萌々花。

「今日食べてもいい?」

 食べる前から幸せそうなその様子に、もちろん否など告げるはずもない。

 渡した皿に萌々花は袋の半分ほどをあけた。

 五色六種類の丸い粒を、萌々花はひとつずつ確かめるように食べていく。懐かしさを噛みしめるようなその姿に、優花の顔にも自然と笑みが浮かんだ。

「よかったね」

「うん! ママも食べて」

 萌々花はそう言ってお皿を優花の方へと近付けた。それからまたひとつ、とつまみ始めたが、暫くでその手を止めた。

「萌々花?」

 考え込むように視線を落とす萌々花に声をかけると、明らかに身動ぎをしてからうつむく。

 どうしたのかと問おうとした優花は、下を向いた萌々花が泣いていることに気付いた。



「……こないだのひなあられ、買ってくれたのに食べんでごめん…」

 うつむき涙を零す萌々花がぽつりとそう呟く。

 あの時悲しい思いをしたのは萌々花であるのに、それでもこうして謝ることができること。まだ幼いと感じた直後に目にしたその成長を嬉しく思いながら、優花は萌々花の頭を撫でる。

「ちょっと待っててね」

 キッチンへと戻り、チャック付き袋に入れてあった残りのひなあられを皿にあけて持ってきた。

「……一緒に食べる?」

 驚いて自分と皿を見比べる萌々花にそう尋ねる。

 湿気ているかもしれないとも言ったが、萌々花は手を伸ばしてくれた。

 ひと粒だけつまむ萌々花に、もう少し多めに食べたらいいと見本を見せる。

 それに倣い五本の指で小さなひなあられをつまんで食べた萌々花は、小さな口を動かしたあと、にっこり笑って優花を見やった。

「ママ」

「なぁに」

「おいしいね!」

 心からだとわかる嬉しそうな笑顔に、優花にもじわりと喜びが湧き上がる。

「そうね」

 優花は丸いひなあられをひと粒つまみ上げ、口に入れた。

 萌々花にとってのひなあられは、自分にとっては幼い頃ではなく、萌々花と食べた思い出のひなあられ。

 醤油味の茶色い粒は煎餅の味と同じなのかもしれないが、自分たちにとっては違っていた。

「どっちも美味しい」

 微笑む優花に、萌々花も嬉しそうに笑う。

「食べたらおじいちゃんとおばあちゃんにお礼のお手紙書こうね」

「うん! ひなあられもおかしもありがとうって書いて、絵ぇもかく!」

 そう張り切る萌々花。

 義父母に送ってもらった三色串天を見せたら、きっと描かれる絵はおでんになるのだろうなと思いながら。

 優花は子どもの頃の思い出と娘との思い出を象る二種類のひなあられに手を伸ばした。



 今回は【ひなあられ】です。

 関東と関西で違うものは色々ありますが、ひなあられもそのひとつだそうで。

 小池は関西版の丸いものに馴染みがあります。


 ひなまつりの時期しか売らないので、三袋くらい買っておいたりしています。

 メーカーによって中の種類は少し違うのですが、五色になぞらえているそうなので、そんなに大きな違いはない…のですけど。ついつい好みのところのを探してしまいます。


 鯉のぼりの吹き流しや七夕の五色の短冊と同じで。だからこそこの色、だというのは今回始めて知りました。

 いや、単に色々食べられるようにかと……(笑)。

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― 新着の感想 ―
ひなあられ、種類が違うとは知りませんでした。 子どもの頃好きでしたね(*´ω`*) 萌々花ちゃんも優花さんもふたり共優しくて、読みながらとても癒されました。 萌々花ちゃんが泣いてしまう姿は心苦しくも、…
[良い点]  萌々花ちゃんは我慢していたんだものね。  雛あられから気持ちが溢れてしまったのね。    お母さんは懐かしい土地。仰るように、その『懐かしむ』気持ちは、子どもはまだ知らないのでしょうね。…
[良い点] 『子どもの頃の思い出と娘との思い出』というところにじいんとしました。 お母さんにとっては、どちらも大切な味なのですよね。 子供の小さな世界では、好きな物が食べられなくなるということも、大…
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