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第三十景【餅】

 根幹に残るもの。

 元旦の朝、目を覚ました杏那(あんな)は手探りでヘッドボードの定位置にあるスマホを取った。寝起きの目には眩しい画面に示された時刻は九時前。カーテンの隙間からも日の光が洩れている。

 大晦日は閉店も早く、お陰で昨日はいつもより帰宅時間も早かったのだが、夜中まで延々とやっている特番を観ているうちに結局寝るのが遅くなってしまった。

 スマホには、新年の挨拶だろう、両親と知人からメッセージが来ている。

 布団に潜り込んだまま返信を打ち、暫くそのままゴロゴロと寝転んでいたが、やがて覚悟を決めて起き上がった。

 着替えて身支度をすませてから、郵便受けに年賀状を取りに行く。初詣にでも行くのだろうか、通りに人の姿はあるものの、大晦日の喧騒とは違い落ち着いた静けさがあった。

 冷えた空気にすっかり目も覚めて。遅めの朝食を作ろうとキッチンに立つ。

 元旦の朝、実家ではいつもおせちとお雑煮が並べられていたが、ひとり暮らしのこの家にもちろんおせちはない。

 鍋に水を入れて火にかける。

 元旦の朝食。

 何を作るかは、もう決めていた。



 今年も帰れない。

 十二月に入ってから、実家へとそう告げた。

 販売業にとって年末年始は稼ぎ時。元旦が休みなだけでもありがたいと思っている。

 十二月半ばを過ぎた頃、実家からの荷物が届いた。日持ちのする食材やちょっと贅沢な焼き菓子にチョコレートなど、この先休みの少ない自分を応援してくれるかのような中身。

 実家を出てから毎年送られてくるそれには、いつもパックの角餅も入っていた。

 湯が沸いたところで鰹節を入れる。

 市販の出汁(だし)の素もあるのだが、今年最初の食事くらい少し手間をかけようと思い、きちんと出汁を取ることにした。

 具にする水菜を切り、餅ふたつは電子レンジで温める。鍋では時間のかかる餅も、百均の容器と電子レンジのお陰で簡単に柔らかくできるのがありがたい。

 網杓子で沈んだ鰹節を掬ったあとには、透き通る金色の出汁。昆布を入れると濁るので、今日は鰹出汁のみにした。

 実家のお雑煮はすまし汁に茹でた角餅と水菜。住んでいた地域のものではなく、おそらくは父親か母親の田舎で食べられているものなのだろう。

 水菜を放り込み、味を整える。餅を入れた丼に注ぐと、少々汁多めのお雑煮ができあがった。



「いただきます」

 誰もいないとわかっていても、ついそう口にしてしまう。

 澄んだ(つゆ)に沈む餅と、舞う水菜。薄口醤油がないので少々色が濃いのは仕方ない。

 丼に顔を近付けると、ふわりと立ち上る鰹出汁の香りと湯気。湯気を吹き飛ばしながら(つゆ)をすすると、いつもより少しだけ塩味の濃い柔らかな舌触りの(つゆ)が熱とともに入ってくる。

 ほっと息をついてから、底に張り付く餅を剥がしてかじりついた。

 まだしゃりしゃりと食感の残る水菜と、舌に当たる滑らかな餅の感触。米であったことを感じさせないほどに均一につかれた餅は、(つゆ)につけられていてもなおふやけずよく伸びて。

 つるりとしたそれはいかにも餅らしくあり。

 そして同時に、自分にとっては餅らしくなかった。



 子どもの頃は、毎年年末になると田舎から餅が送られてきていた。

 大きなビニール袋に空気が入らぬようぴっちりと詰められた、厚さ五センチはあろうカチカチの餅の板。子どもの自分ではひと抱えを超えそうなそれを、母親が包丁で四苦八苦しながら切り分けていた。

 市販の餅の倍ほどの大きさに切られたその餅を、元旦にはお雑煮で食べるのだ。

 すまし汁に直接餅を入れて鍋で煮るため、端が煮崩れて(つゆ)が濁っているのが普通だった。ぼてっと重たい餅はすぐにふやけて、椀によそわれる頃には表面は溶けたように柔らかくなっていた。餅を煮る間にへたった水菜とすまし汁の味を纏うそれを、途中で(つゆ)を足しながら少しずつ食べた。

 伸びはするが所々に小さな米の粒が残っていて、食感は少々ざらつくこともある。ふやけて(つゆ)を含む大きな餅は、それでもしっかりと米の味がした。

 田舎から餅が送られることがなくなってからは、市販の餅を食べるようになった。初めはそのつるつるとした食感と伸びに驚いた覚えがある。



 ふたつめの餅に手を付ける前に、行儀は悪いが来ていた年賀状に一枚ずつ目を通す。

 ほとんどの仕事仲間とは大晦日も二日も一緒なので、わざわざ年賀状は出さない。届くのは学生時代の友人たちと実家からの、ほんの数枚だけである。

 生まれた子どもの写真や旅行先の風景。残るスペースに手書きのコメントが添えられ、また会いたいねと締めくくられている年賀状。

 写真の中の友人の変わらぬ姿への安堵と同時に、確実に変わりゆく状況への焦燥も覚える。

 卒業して数年。年々集まることも減り、新たな家族を持つ友人も増えてきた。

 少々忙しいものの、自身の現状に不満はなく。幸い両親からも結婚をせっつかれるようなことはない。

 それでもこんな時にふと、取り残されたような気持ちになる。

 ひとりきりの部屋はどこまでも静かで。ひたりと足元から這い上がるような寒さを感じることがあった。

 こたつでみかんを食べながら家族で遅くまでテレビを観て、朝は皆で食卓を囲みおせちとお雑煮を食べる。

 そのあと揃って近所の神社に初詣に行き、並ぶ出店にワクワクしながらお詣りをする。

 子どもの頃の年末年始の記憶は賑やかで、いつも家族とともにあった。

 幸せな記憶は今でも温かく。

 少しだけ、寂しくもあった。



 見終わった年賀状を脇に寄せ、ふたつ目の餅を食べ始める。

 いくら市販の餅といえど、さすがに少しとろけてきた。箸で持ち上げると、てろんと頼りなく伸びる。こうなってようやく餅自体にも(つゆ)の味が染みてくるのだ。

 自分にとってのお雑煮はこのすまし汁に水菜のお雑煮で、子どもの頃はどこも同じだと思っていた。もちろん今は地域差があると知っている。

 一キロ入りの角餅のパック。せっかくなので色々と作ることができればと思い、年始の忙しさが落ち着いてからあれこれ試してみるのも毎年のこと。

 その地域ならではの食材や豪華なものは無理だが、真似できそうなものを調べて休日に作る。

 同じすまし汁ベースでも、餅を焼くだけで風味が全く変わってしまう。味噌も大きく分けても赤白合わせの三種類、具の取り合わせも考えると、土地の数、家の数のバリエーションがあるのかもしれない。

 そんなことを考えながら、少し冷めた(つゆ)を飲んだ。

 溶け出した餅で少し濁る(つゆ)は、昔のものとはまた違うが。

 それでも懐かしく思いながら、柔らかくなった水菜を餅と一緒に食べる。

 記憶に残るお雑煮と同じものは、きっともう食べられなくても。

 似て非なるこのお雑煮を、それでもあの頃のような気持ちで食べられる日が来るかもしれない。

 いつか自分も誰かとともに暮らすようになって、昔のように賑やかな年末年始を過ごす日が来るかもしれない。

 こうして自分にとってのお雑煮を作ったり、相手にとってのお雑煮を作ることだってあるかもしれない。

 今はまだ夢物語のような想像ではあるが。

 それでもいつの日か。子どもの頃の思い出を、寂しさではなく温かさを感じながら話せる、そんな相手と巡り合うことができれば、と―――。

 いつになるやらとひとり苦笑して、丼に残るお雑煮を食べ切る。

「ごちそうさま」

 思い出の一椀とは違うものの、温まりお腹も満たされた。しかしその一方で感じた、郷愁と先への期待。

 片付けをすませたら、実家には元気だからと電話をかけて。

 この先の縁は早速初詣でお願いしてこようかと思いながら。

 杏那は空になった丼を手に立ち上がった。



 あけましておめでとうございます!


 今年一発目は【餅】です。

 おもち。そういつも食べているわけではないのですけどね。今は一年中いつでも買えるので、年末年始に関わらず置いてあります。

 お雑煮はもちろん。焼いたお餅にチーズと海苔も美味しいですけど。

 小さく切ってバターでカリカリに焼いて醤油も好き。なぜかぺったんこのせんべい状になるのです(笑)。

 あとはやっぱりねぎ醤油とごま油。

 きなこやあんこ、ぜんざいも好きなのですけどね。

 焼いて上白糖は懐かしの味。滅多にやりませんが。

 焼くのを面倒くさがって、レンチンで済ますことが多いです。



 改めまして。

 あけましておめでとうございます。

 どうぞ今年もよろしくお願いいたしますね。

 

 次の【池淵】の投稿は二月の後半になるかと思います。

 少し間が空きますが、また戻ってきますね。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  店舗に勤めていると、年末年始や土日祝日は休めないのですよね。その分、平日が休みになりますが、土日休みの友だちとは予定が合わなかったりで……(^_^;)  大晦日の夜と元旦の朝。ほんの数…
[良い点] お雑煮一つに色々な思いを馳せることが出来るのは、杏那さんが幸せな元旦を過ごして来たからですね。寂しくなってしまうのも…… 元旦にお出汁をしっかり取るところに、杏那さんが自分のことを大切にし…
[良い点] 幼い頃から何度と繰り返し過ごした特別な日。 時が過ぎ、場所も変わり、一人で迎える事になってもその片鱗を味わうことができる。 幸せとはそういう事かもしれない。 なるほど… タイトルの通り…
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