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第二十七景【色】裏

 染まる色と気持ち。

 文化祭の代休の月曜日、彰良(あきら)結菜(ゆいな)と臨海公園駅で待ち合わせていた。乗り換えのホームでお互いに気付き、予定より少し早い合流となったふたりは並んで電車の座席に座る。

「荷物多いね」

「うん、どうしてもね」

 時刻は朝のピークも過ぎた十時前。ほんの数駅とはいえ、今までにない近さに少々緊張する。

 ちらりと隣の結菜を見やると、少し大きめのバッグを抱えて視線を落としていた。うしろでひとつに纏めた髪には、学校では見かけることがない濃い紫のシュシュが巻かれている。学校とは違う装いは単に休みの日だからだと思いながらも、いつもと違った格好が見られることは嬉しかった。

 臨海公園駅は海水浴場で、駅前の広場から数分歩けば海沿いに細長い臨海公園がある。海の家はシャッターが下りているものの、展望デッキや屋根のある休憩スペース、トイレはいつでも使うことができ、道路沿いにはコンビニもあった。

 夏場には賑わうここも、十一月ともなれば散歩をする人がいる程度。砂浜にまで下りている人はほんの数人だった。



 砂浜への階段を下り、海岸へ向けて歩いていく。潮風は少々冷たいが、日差しもありまだ凍えるほどではなかった。

 淡い水色の秋晴れの空と、水平線の濃い青から徐々に明るさと波の煌めきを混ぜて寄せる海と。賑わいがないからこそ包み込むように聞こえる波の音の中、砂浜の真ん中まで進んだ結菜が振り返る。

「どうしたらいいの?」

 空の青と海の青を背負うその姿に、彰良はふっと笑う。

 自分の憧れた赤い海より。それを目指し描いたオレンジの海より。この爽やかで素直な青い海が結菜には似合うと思った。

「好きにしてて」

 荷物からレジャーシートと折りたたみ椅子を出しながら答えると、結菜は途端に困り果てた顔になる。

「難しいよ…」

 困らせているのにかわいいと思ってしまう自分に苦笑しながら、彰良は結菜の分の折りたたみ椅子とミニテーブルも置いた。結菜が抱えていた大きなバッグも預かり、レジャーシートに載せる。

 椅子に座りスケッチブックを開くと、結菜も諦めたらしい。それからは彰良の周りを歩いたり、海を眺めたりしていた。

 時々写真を撮りながら、スケッチブックにも瞬間を切り取るように描いていく。家では静物や写真をモチーフとすることが多く、どうしてもゆっくりと描いてしまうので、こうして速写(クロッキー)をすることは滅多にない。その上モチーフが人物となると、苦手に苦手を掛けるようなもの。

 しかしそれでも、あまり乱雑には描きたくなくて。己の気持ちと技量に折り合いをつけながら、彰良は鉛筆を走らせた。



 暫く近くをウロウロとしていた結菜だが、手持ち無沙汰になったのだろう。空いたままの椅子に座っていいかと聞いてきた。

「座ってくれたらもう少しゆっくり描くよ。じっとしてなくていいから」

「じゃあ、私も少し書くね」

 向き合うのは恥ずかしいからと、結菜は海に向いて座った。

 ポシェットからB7サイズのノートと筆記用具を取り出し、海を見ながら何か書き始める結菜。時折海の向こうの何かを見据えるように動きが止まり、また手元に視線を落として書きつける。

 その横顔を描きながら。

 本屋で話したあの暫くあと、結菜から文芸部に入ったとの報告を受けた。

『N』は文芸部の三年生だったと話す結菜の表情は、憧れの人を見つけた喜びに満ちていて。よかったと素直に思う一方で、その笑顔に胸が痛んだ。

 教室でも少しは話すようになったものの、挨拶やその場での話ばかりで。それ以来『N』のことは聞いていない。

 文化祭でもらった文芸部の冊子には結菜の名も『N』の名もなかったが、『藍』という名で書かれた、女の子が海辺で落とし物の主を探す童話のような話が結菜のものだと教えてもらった。

 夕方の海で、ようやく落とし主を見つける女の子。

 自分が鳴海に影響されたように、結菜は『N』に影響されてのものだとわかってはいたが、まるで互いに示し合わせたような文と絵が嬉しかった。

 一枚を描き切り、ページをめくる。結菜が真剣に手元を見ている間に、スケッチブックに挟んでいたはがきサイズの紙を一番手前に置いた。

 オレンジ色に下塗りをしたそれは、油絵用の紙。

 結菜が気付いていないことを確かめてから、鉛筆で描き始めた。



 スマホのアラームが鳴った。

 お昼にセットしておいたそれを止めてから、もう少しだけいいかと結菜に尋ねる。

 絵を描きだすとつい時間を忘れてしまう自分。気持ちが昂っているからか一食くらい抜いても平気なのだが、結菜につきあわせるわけにはいかない。

 尤も結菜は結菜で、こちらのことなど忘れてしまったかのように手元のノートに書き続けていた。

 退屈させるかと心配していたのだが、どうやら杞憂に終わったらしい。自分と似たようなところがあることが、なんだか嬉しかった。

 きりのいいところまで描き終えてから傍のコンビニに昼食を買いに行こうかと提案すると、結菜は少しためらいを見せてから、あのねと呟く。

「足りないかもだけど、お弁当作ってきたの」

 一瞬意味を把握しきれず結菜を見返してから。

「俺の分も?」

 自分でも間抜けた声だと思ったが、結菜は笑わず頷いてくれた。

 一旦荷物を片付けて、展望デッキのテーブルで食べることにしたふたり。砂浜とは人ひとり分程度の高さの違いしかないが、視点が上がる分遠くまで見えるような気がする。

「簡単なものしか入ってないよ」

 向かい合って座ると、結菜がそう言いながらランチクロスの包みを差し出してきた。受け取り、結菜の前にも小振りなそれが置かれるのを待ってから、そろりと開ける。

 使い捨ての容器がふたつ、ひとつには色の違うかわいらしいサイズのおにぎりが、もうひとつには卵焼きやウインナー、野菜の肉巻きなどが入っていた。

「すごいね。さすが調理部」

 緩む頬をごまかすようにそう言うと、そんなことないよと首を振られる。

「少なくない?」

 逆に心配そうに聞かれ、十分だと答えた。

 残すつもりはもちろんないが。既に胸がいっぱいだった。



 結菜のお弁当を味わいながら、彰良はどこか浮かれる胸中で考える。

 文化祭で結菜にもらった三品。実は朝一番に自分でも買っていた。

 結菜から渡されたクッキーは、売っていたものとは入っている量も中身も違っていて。もしかしたら自分のために焼いてくれたのかと思っては、それはないだろうと否定していたのだが。

 期待してもいいのだろうか、と。

 目が合うと恥ずかしそうに微笑む結菜を見ていると、そんな風に思ってしまう。

 この穏やかでこそばゆい時間が続けばいいのにと思う一方で。

 もし勘違いでないのなら。

 もし結菜の『N』への憧れが、自分と同じくただの憧れなら。

 自分も結菜の『N』とはまた違った特別になれるのかもしれない。

 生まれた期待に浮かれる気持ちを抑えながら、彰良は午後からも彼女を見つめて描けることを密かに喜んだ。



 休憩を挟みつつ、午後も同じように過ごしたふたり。日が暮れるのも早くなってきたので時刻的には日没を見てからでもそんなに遅くはならないが、それでも暗くなる前には帰ろうと決めていた。

 傾きつつある日が辺りをオレンジ色に染め始める。『痕跡』とは違い街にではなく海に沈む日は、遮るものがない中その光の裾野を目一杯に広げていた。

 もう少し眺めていたいと思う気持ちは、結菜も同じだったのだろう。

 帰ろうかと荷物を持ってからも、暫く海を見たまま動かなかった。

 海と砂浜と一緒に輝きながら、何かを刻み込むように水辺線を見据える結菜。その横顔を素直にきれいだと思い、彰良もまた心に刻む。

「…ごめんね、帰らないとだね」

 結菜が我に返ったように彰良へと向いた。黒い髪と瞳が夕焼けの中では茶色を帯び、いつもより大人びて見える。

 ここへ来た時は青い海が似合うと思ったが、少し寂しげなオレンジの景色も似合うのかもしれない。

 じっと結菜を見返していた彰良は、持っていた荷物の中から白い封筒を取り出し、すっと差し出す。

「…これ」

 受け取った結菜は、封筒の中を見てから彰良を見返した。

白石(しらいし)くん…?」

 封筒の中には、オレンジ色に下塗りをした紙に鉛筆で下書きをした、描きかけの結菜の絵。

 意図がわからず首を傾げる結菜に、彰良は少し笑みを見せる。

「…それ、油絵なんだけど。相田さんに預けとくから」

 本当は家で塗ろうと思っていた。だが。

「今度、またここで。色塗らせてほしい」

 差し出した次の約束に、明らかに驚いて瞠目する結菜。そのオレンジ色に染まる顔に、少しずつ赤みがさしていく。

「うん」

 ふっと、吐息をつくように表情を和らげて頷く結菜に。

 同じように赤く染まる彰良も嬉しそうに顔を綻ばせ、ありがとうと返した。



 今回は【色】です。


 別シリーズにも色を扱うものがあるので、まぁ好きなのだろうなぁ、というのはバレていたかもしれませんね。


 もちろん好きなだけで。色彩感覚があるわけでもなく。…ここまでの池淵で小池のポンコツ具合は周知の事実でしたね…。


 これどっちの色? というような中間色が好きです。

 自然の色は本当に何色ともつかない色が多く。

 いいなぁと思います。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  秋の海。芸術の秋。今年はそんなに寒くないところもいいですねえ。  静かな時間をふたりで退屈せずに過ごせたのなら、相性はいいのだと思います♡    好ましく思う相手じゃなければ、絵のモデル…
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