第二十六景【レシピ】
ありがとうの気持ち。
誕生日を目前に控え、妹は頭を抱えていた。
自室の机の上にはお菓子のレシピ本。作業しながら見やすいように開きぐせをつけてあるので、ぱらりとめくるとすぐそのページが開くようになっている。
机に肘をつき溜息とともに開けたページには、シンプルなスポンジケーキの写真。きつね色の表面に、黄色い断面。写真でもわかるふんわり感。じっとそれを眺めてから、もう一度溜息をつく。
双子の兄に日頃のお礼をしたいと思い、ケーキを作ろうと考えていた。
自分の不器用さは嫌というほど知っている。なので一月以上前からレシピを読み込み、兄の留守を狙っては練習を重ねていたのだが。
未だに一度も上手く作れない。
気持ちはわかるがいい加減材料がもったいないからと母親に止められたのが昨日のこと。
「どうしよう……」
ぱらぱらとレシピをめくりながら呟く。
自分にもなんとか作れるクッキーやマフィンでいいだろうと母親には言われたが、年に一度の誕生日なのだ。どうしてもケーキが作りたかった。
要領が悪くて不器用な自分を、兄はいつも助けてくれた。
たまたま双子だったから、たまたまいつも一緒で。だから困ったときにはいつも兄が傍にいた。
嫌そうな顔ひとつせず、自分を助けてくれる兄。
自分も少しくらいは何かを返したかった。
いつもふたり一緒に祝われる誕生日。兄だけを祝えるのは、同じ誕生日の自分しかいない。
だから自分が兄を祝おうと思った。
店で買う誕生日ケーキはいつも自分の好みに合わせてくれる兄のために、兄の好きなケーキを作りたいと思ったのだ。
しかし。
じっとレシピを眺める。
どのレシピも大抵は、量る、入れる、混ぜる、焼く、といった程度のことしか書いていない。たまにすり切りだとか切るようにだとか混ぜすぎないだとかの注意点が書かれているが、その程度のことなのに。
どうしてこんなに上手くできないのだろうかと、切実に思う。
自分では書かれた通りにやっているつもりなのに、どうして手順が進むほど写真とかけ離れたものになっていく。
クッキーもマフィンもスポンジケーキも、混ぜて焼くのは一緒なのに。
どうしてスポンジケーキは失敗するのだろうか。
「…なんでだろ…」
声に出すとますます悲しくなってきてしまって。もう一度息をつき、レシピを閉じた。
暫く不貞腐れたあと、気分を変えようと別のレシピ本を引っ張り出した。小さな頃にもらった子ども向けのお菓子のレシピ本は、書かれている用語や言葉遣いが簡単になるだけで作業内容的には大差ない。強いていうなら大きな型を使うレシピが少ないくらいだろう。
スポンジケーキが載っていないことはわかっていたので、ただページをめくっていく。カラフルなアイシングクッキーに、キラキラにトッピングされたカップチョコ。見目鮮やかなそれらを通り過ぎた先、華やかな断面が目に飛び込んできた。
「ミルクレープ…」
薄いクレープ生地にクリームと果物を挟み込み、何層も重ねあげたもの。黄色と白の間に赤やオレンジが散らばるケーキはとても豪華に見える。
手順を見てみると、クレープを焼きさえすれば、あとはクリームと果物を重ねるだけ。
これなら自分にもできるかもしれない。
兄の目を盗んで母親に相談すると、クレープはホットケーキミックスを使って作ればいいと言われた。
作業も簡単で誕生日も目前ということもあり、試作はせずに当日一度きりの挑戦。
その間なんどもレシピを読んで、当日に備えた。
そして迎えた誕生日当日。
兄が出かけるなりキッチンを占拠し作業に取りかかる。
ホットケーキミックスに卵と多めの牛乳を入れて混ぜるが、黄身と白身はまばらに浮き、ダマも残ってしまった。必死に潰すが潰しきれず、仕方なくそのまま焼きの工程に入る。
どれくらい入れればいいのかわからず、一枚目は少なすぎて小さくなった。
二枚目は逆に入れすぎて分厚くなり、なかなか焼き上がらないうちに片面がきつね色を通り越す。
三枚目、やっといい感じの量を入れられたと思ったら、ひっくり返す時に破れてしまった。
まだ三枚、しかし一枚もまともに焼けない。
ようやく上手くひっくり返しても、皿に移す際にくしゃくしゃになってしまったり。
それを直そうとしているうちに破ってしまったり。
手間取っているうちに焦げてしまったり。
ただ生地を薄く焼くだけなのに。
同じ作業を繰り返すだけなのに。
どうしてこんなに不器用なのかと、自分で自分を呪いたくなる。
半泣きになりながら予定の倍量の生地を焼き、その中からかろうじて使えそうな十枚を選別した。
生地を冷ましている間にトッピングとクリームの準備をする。
いちごは半分に切り、缶みかんはザルに開け、キウイはなんとか皮を剥いていちょう切りにした。
冷蔵庫の奥に隠していたホイップクリームを、氷水に当てながら泡立てていく。
昨日材料を買ってきてくれた母親から、生クリームではなくこっちにしておきなさい、と渡された。
理由は言われなくてもわかっている。
カシャカシャと混ぜながら、至らぬ己に溜息をついた。
―――小さな頃から引っ込み思案な自分は、どこに行っても上手く動けず。何かと兄に助けられてきた。
もちろん今は昔ほどではない。別行動も増えてきた。
だからこそ、もう自分もひとりで決めて行動できるのだと。
兄のいないところでもちゃんとできるのだと。
きちんと示して、安心してほしかった。
泡立て器を上に持ち上げるとクリームがすっと立ち上がるようになるまで混ぜてから、仕上げに入る。
冷めたクレープを一枚皿に置き、クリームを塗る。円になるようにいちごを置いて、またクリームを重ねる。
そっとクレープを被せ、またクリームを塗って、みかんを円に並べて。
それを繰り返し、最後に十枚目のクレープを被せる。
上から見ると真ん中がへこみ、真横から見ると少しななめにずれているように見えるが、もはやどうしようもなく。できるだけふわりとラップをかけて、冷蔵庫に入れた。
夕方に兄が帰ってきた。
夕食後は店で買ってきたケーキを食べる。その前に少しだけでもと思い、兄をダイニングに引っ張ってきた。
怪訝そうな兄を残してキッチンに行き、冷蔵庫から出したミルクレープを切り分ける。
まずはふたつにと思い、包丁を当てる。精一杯慎重に切っているつもりなのに、押さえる左手にずるりとすべる感触が伝わってきた。
手を止めて横から見ると、重ねた生地のずれがひどくなっている。
どうにか直そうと暫く足掻くが上手くいかず。一度切るのを止めてしまったために、再び入れた刃にますますずれる始末。
なんとかふたつに切ったものの、そこから半分、更に半分と切るうちに、見るも無惨な様子となっていくミルクレープ。
じわりと涙が込み上げる。
なんとかできたと思ったのに。
少しでも喜んでもらえたらと思ったのに。
こんなにぐちゃぐちゃになってしまっては、もう出せない。
包丁を握りしめて立ち尽くしていると、あまりの遅さに心配した兄がキッチンにやってきた。
「これでいいから」
ずれて倒れたミルクレープを皿に載せ、優しい声で兄が告げる。
同じく倒れたミルクレープの載った皿を手に、妹はこくんと頷いた。
結局は兄に手伝ってもらい、ようやく崩れたミルクレープをそれぞれの皿に載せることができた。
しょんぼりと手元の皿を見つめる。
潰れた果物にはみ出したクリーム。華やかどころかむしろ汚らしい。
お礼をするどころか、また手間をかけさせた上にこんなものを押しつけて。
一度は止まった涙がまた零れそうになった、その時。
「ありがとな」
聞こえた兄の声に顔を上げる。
ぐちゃぐちゃのミルクレープを見つめる兄は、どう見ても嬉しそうで。
こんなものでも喜んでもらえたのだろうか、と。
驚く自分の視線に気付き、兄は照れくさそうに笑った。
「食べるか」
ごまかすような言葉に、自然に笑みが浮かぶ。
まだまだな自分。しかしそれでも、兄はこうして笑ってくれる。
「うん!」
微笑んで零れた涙を拭い、先にダイニングへ向かう兄を追いかけた。
レシピ、眺めるのが好きなのですよ。
家にはひとつも作ったことのないレシピ本が何冊もあります。
なんだか見てるだけで満足なのです。
決してめんどくさがりだからではないはずです。
それはそうと。
レシピって不親切だと思いませんか?
たしかにあまりたくさん書かれていると作業中にどこをやっているのかわかりづらいとは思うのですが。
なぜそういう風にしないといけないかの理由が書かれていないので、そうすることの重要性がわかりづらい。
『切るように混ぜる』にしたって、練ると気泡が潰れて膨らみが悪くなるのでそうするようにというだけで。つまり練りさえしなければどんな混ぜ方でもいいのですよね。
わかりやすいイメージ、なのでしょうけど。
余計わかりづらい時もありますよね。
投稿日は十月三十一日!
ハッピーハロウィン!
イラスト作 歌川 詩季様https://mypage.syosetu.com/2287106/




