第二十四景【鉢植え】(残酷な描写あり)
結ぶ実の尊さ。
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注:虫が出てきますので、虫が苦手な方はご無理なさらずです。読みにくくて申し訳ありませんが、まずはルビありでお読みください。もしお時間がありましたら、ルビなしでも読んでいただければ嬉しいです。
広がる緑の葉が風に吹かれていた。四枚ずつの丸い葉が所狭しと伸び、その付け根からはきれいに二つ折りに束ねられた新たな葉が顔を覗かせる。生い茂る緑の下、隠れるような黄色の点。
平和そのものの落花生。今は花の季節を迎え、あちこちに小さな黄色い花が咲いていた。
この先蝶形花冠の花がしぼんでしばらく、その名の通りに花そのものが落ちるのではなく、子房柄が伸びて土の中で実を結ぶまで三ヶ月ほど。
ベランダではあるが、幸い鉢を潤すだけの水はある。青々と広がる葉は更に増え、太陽と水の恵みを地中に蓄えていくのだろう。
―――渡る風にさわりと揺れる葉を眺める者がいた。
こうして穏やかな日々が続き、やがて実りの時期を迎えるのだと。なんの確証もないのにコイケは信じ込んでいた。
思えばこの頃には既に予兆があったのかもしれない。
表面上の平和に浸り、疑うことも、備えることも怠った。
コイケが己の浅慮を知るのは、その暫くあとのこと。
目にした光景に、コイケは呆然と立ち尽くすしかなかった。
落花生を支える支柱のいくつかが、見慣れぬムシに占拠されている。
見逃すにはあまりに膨大な数。なぜ今まで気付かなかったのかと思いながら、コイケは急いで周囲を確認する。
死角にはいくつも糸が張られ、そこら中をハダニたちが忙しなく行き交っていた。
ぞわりと背筋を這い上がる悪寒。
この光景の末路をコイケは知っていた。
落花生を植える二年前。同じこの場にあった朝顔が実りを迎える前に壊滅に追い込まれた。
為す術もなく失われていった緑。
それが今、ここに再現されようとしている。
襲い来るハダニたち。既にこれだけ蔓延る中では、できることなどたかが知れてはいたが。
それでもコイケに残された道は、戦うことだけだった。
まずは武力行使。支柱に彷徨く敵を掃除し、目についた糸を全て片付ける。
たとえ虐殺と言われようとも。コイケにも守るべきものがあった。
ネットで、有効だという手立てをいくつか調べ上げた。薬剤を使わないとなると、取り得る方法は三つ。
コーヒー、酢水、そして牛乳。たとえ一気に七割を排除できるとしても、後の臭いを考えると牛乳は使いたくない。物置に眠っていた霧吹きに、まずはコーヒーを入れ、コイケは再び戦いへと赴いた。
比べた結果、酢水の使用を決めたコイケ。一日三度、葉の裏にも気を配りながら駆逐を続ける。
たとえその時目に映る敵全てを倒しても、暫くするとまた彷徨き始めるハダニたち。永遠に続くのではないかと思われたイタチごっこも、数日経つと様子が変わってきた。
明らかに敵の数が減り、残るハダニも小さいもののみ。殲滅は難しくともこのまま優位を保てれば、なんとか実りの季節まで耐えられるかもしれない。
殺伐とした心にそんな希望が灯る。
このままいけば―――。
確かにそう思いはしたが、手を緩めたつもりはなかったのだが。
現実はそれほど甘くはなかった。
ハダニにやられ、鮮やかな緑色を失いつつある葉の上に。
今までのハダニたちとは違う形のムシの姿。
新たなハダニが現れた。
新たなハダニを確認しても、コイケのすることは変わらない。
日々酢水にて敵を屠っていくのみだ。
終わりなき戦いも、日々を追うごとにまた楽にはなってきた。新たなハダニも数を減らし、今度こそと思っていたコイケを嘲笑うかのように。
また別の、そして更に別のハダニたちが襲い来た。
埒が明かない。
そう思ったコイケは再びネットで調べ、ふたつの追加手段を取ることにした。
ひとつはベランダの片隅に眠っていた木酢液。既に蔓延る敵には効かないというが、これ以上新手を寄せ付けないための牽制にはなるかもしれない。
そしてもうひとつ、重曹水の使用。
牛乳と同等の効果があるといわれる重曹水。臭いもなく敵を葬れるならこれ以上のことはない。
そう判断して、コイケは霧吹きに重曹水を入れた。
数日後、コイケは言葉も出ずに立ち尽くしていた。
重曹水の効果は覿面だった。
あの日以来どのハダニも見ていない。しかし、奴らが去ったのは重曹水を恐れたのではなく―――。
油が染み込み、じっとりと重みを増したように黒ずんだ緑の葉は、葉先から茶色く枯れ始めている。芽吹きかけていた新たな葉も先が黒く変色していた。
―――ここにもう、その価値がないからではないのか。
風に揺られていた鮮やかな緑は、ベタベタと重い葉となり茎ごと沈む。
かつての風景はもうここにはなく。
広がるのはただ、油にまみれた無惨な光景。
それでも諦めることができずに、コイケは毎日霧吹きを手に見回りを続けた。
これすらやめてしまうと、もう本当に枯れてしまうような気がして。
縋るように、行動だけでも以前通りを貫く。
愚かな行為だとわかっていた。
それでも、やめることができなかった。
日増しに枯れた部分は広がり、一枚、また一枚と葉を落とすようになった。根本が見えないくらいに茂っていた頃が嘘のように、殺伐とした光景が広がる。
変わり果てた落花生の姿に、コイケは嘆きを呑み込みただただ身体を動かす。
自分の選んだ選択は間違っていたのだろうか。否、あのままでもいずれは同じような末路を辿っていたに違いない。
だから仕方なかったのだと、言い聞かせてはそれでもと思う。
繰り返す自問自答。
虚しさを胸に、それでもコイケは霧吹きを携え変わらぬ日々を送る。
僅かに残る緑が潰えるまで。
全ての希望が失われるまで。
この鉢の中に、命が育まれていると信じて―――。
出口のない迷路を進むように。同じ問いを投げかけてはわからぬ答えを模索する日々が続いた。
風に吹かれるとカサカサと鳴る、乾ききった葉。
緑に溢れた、あの頃の景色はここにはない。
己の慢心が招いた現状でも、コイケに償う手立てはなく。
ただ自己満足でしかない見回りを重ねていく。
こんな状況で、果たして鉢の中の命は無事なのだろうか。
そんな不安を抱き始めた時だった。
それはほんの小さな兆し。
すっかり茶色く枯れた葉しかない茎、その途中、僅かに見えた薄い緑。
鮮やかなそれを目にし、コイケは息を呑む。
落ち続ける葉。黒ずみ垂れ下がる茎。
朽ちるのを待つだけのその中に、小さな命の輝きがあった。
枯れゆく運命に抗い続けたその答えだというわけではないとわかってはいたが。
それでも、まだ淡く頼りない、しかし若々しい生気を帯びるその若芽に。コイケは片隅に押しやっていた希望を再び取り戻す。
やがて若芽が小さな葉を広げる頃には、まだかろうじて暗い緑の残る先端にも新たな葉が顔を出し始めた。
折り畳まれた葉は次第に開き、柔らかな緑を太陽に向ける。
吹く風に、さわりと揺れる葉。
長らくここにはなかったその光景を目の当たりにしたコイケは、霧吹きを握りしめて誓う。
たとえあと僅かの間だとしても。
今度こそ、この希望を守り抜くことを―――。
そして、ついにその日はやってきた。
霧吹きをスコップに持ち替えたコイケは、慎重に子房柄の先を掘り進める。
思い出す戦いの日々。無事にこの日を迎えられたことを感謝しながら、コイケはゆっくりと土をどかしていった。
子房柄をたどると、やがて小さな塊に突き当たった。丁寧に取り出し、土を払う。
中の命を守り通した硬い殻に刻まれているのは、あの惑う日々を映し出したかのような、出口のない迷路模様。
大きさからして中は一粒だけ。しかしそれでも、紛うことなき実りであった。
無事に実ってくれていたことへの喜びを胸に、また新たな場所を掘っていく。
ひとつ、またひとつと。土の中から現れる実り。
今、全ての苦労が報われるのを感じながら。
コイケはひとつずつ、その喜びを収獲した。
今回は読みづらくてすみません。
『落花生帝国戦記』でも、『小池のエッセイ、落花生を育ててみたよ』でもありません。【池淵】の【鉢植え】です。
作中のコイケはコイケであって小池ではありません(笑)。
日々こんなアホなことを考えながらお世話をしているわけではないのですが。三種目と四種目のハダニが二日連続で出たときには『漫画かよ』と思いました(笑)。
手間の割に満足いくほどの収穫はありませんでしたが。収穫だけをした子どもは楽しかったようです。
今は以前【柚子】のときに植えた柚子に植え替えをしました。発芽したのは六つなのですが、ふたごとみつごがいたので合計で九本あります。大きさはバラバラ。もっと大きくなったら、またアゲハが来てくれるといいなぁ。




