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第二十三景【本】表

 一握りの舞台。

 夏休みも終わり、二学期が始まって暫く。結菜(ゆいな)は学校の最寄り駅から直結のショッピングセンター三階の本屋に立ち寄っていた。

 体育大会も文化祭も二学期だった中学とは違い、高校の体育祭はもう六月に終わっていて。十一月頭にある文化祭が、二学期の中で一番大きな行事となる。

 結菜の所属する調理部では有志でクッキーとパウンドケーキを売るそうだが、たいした数ではないらしい。直前に準備すればいいと言われているので、九月の今は特に何もすることもなく。いつも通り帰宅部同然の放課後を過ごしていた。

 一年生の結菜にとって初めての文化祭。

 調理部よりも、クラスの出し物よりも。文芸部は何をするのかと気になっていた。

 春に新入生への部活紹介で配られていた冊子、その中にあった『痕跡』という作品に強く惹かれた。自身も物語を書く結菜だが、自ら文芸部に入る勇気はなく。作者の『N』についても何も知らないままで、こういった機会にまた何か書いていないだろうかと楽しみにすることしかできなかった。



 今日は児童書を見てから文庫本のコーナーへ移動し、ファンタジー小説を手に取る。結菜がまだ小さな頃から続いている冒険小説は、児童書と本格小説のちょうど中間のような、軽すぎず重すぎずの絶妙のバランスが好みだった。

 年に一度出るかどうかの新刊が出ると知り、今日をとても楽しみにしていたのだ。

 もちろん買うつもりで来たのだが、ついパラパラとめくってしまう。時折挟み込まれる挿絵を見ながら巻末までめくると、そこにはいつものように作品募集の広告があった。

 纏まった時間のある夏休み中は、いつもよりたくさん書くことができた。しかしだからといって誰に見せるでも、もちろんどこかへ応募することもなく。紡がれても紡がれても、ただ積もるだけの言葉たち。

 誰かに読んでもらいたい気持ちももちろんある。しかし、どうにも自信がなく恥ずかしい。

 ふっと息をついて文庫本を閉じる。顔を上げると、一面に並ぶ夥しい数の本。

 これだけの本が並ぶのに、それでもここに名を連ねることができる人はほんの一握りなのだろう。

 もう一度手元の本に視線を落とし、レジに向かおうとした時だった。



「相田さん」

 不意に名前を呼ばれて振り返る。

 背後にいたのは、同じ学校の制服の男子。

白石(しらいし)くん」

 声をかけてきたのは、クラスメイトの白石彰良(あきら)

 学校の最寄り駅のショッピングセンターなので、もちろんクラスメイトと会うことは初めてではないが。

「白石くん、自転車だよね?」

 電車通学ではない彰良を下校時に見かけたことはなかった。

「うん。今日部活なかったから、ちょっと寄り道」

 ここの本屋大きいから、と彰良は笑う。

 彰良が美術部であることを思い出し、帰りに会わないのはだからかと納得する。帰宅部同然の調理部とは違い、美術部はほぼ毎日活動しているのだろう。

「相田さんは()()買いに来たの?」

 彰良の視線が手元に向いているのに気付いて、結菜は思わず本を隠しそうになった。

 自分にとっては大好きな小説。しかし皆が皆好意的に取ってくれるとは限らない。子どもっぽいと取られたり、オタクっぽいと取られたりする可能性があることはわかっていた。

 言葉に詰まる結菜に、彰良が頬を緩める。

「それ、俺も読んでる」

「えっ?」

 思わず大きな声が出て、結菜は慌てて口を押さえた。ごめんなさいと謝ると、一瞬驚いた顔をしていた彰良もすぐに表情を和らげた。

「姉ちゃんが集めてて。借りて読んでる」

「お姉さんが…」

「うん。だからすぐには読めないけど」

 柔和な顔つきのままの彰良と手元の本とを見比べて、結菜はそう、と呟く。

 彰良は誰かをからかうような人ではないことは、さほど話したことがない自分でも知っていた。

 だから、だったのだろうか。

「…小さい頃から、好きな小説なの」

 気付けば正直に話してしまっていた。

 己の口から出たそれにハッとして彰良を見るが、こちらを見る眼差しには戸惑う様子も訝しがる様子もなく。

「俺も」

 ただ自然に、そう返された。



 ほかにどんなのを読むのかと聞かれ、結菜は思いつくままにいくつか挙げた。中には彰良も読んでいるものもあり、話が合うたびに興奮に似た嬉しさが湧き上がる。

 暫く話していると、ふと何か思い出したように彰良が結菜を見やった。

「…相田さんって、文芸部じゃなかったよね?」

 思わず息を呑んでしまってから、彰良の顔が問い詰めるそれではないことに気付く。

「違う、けど…」

「入学した時本配ってたの知ってる?」

 彰良から文芸部の冊子の話題が出たことに驚きを隠せないまま、結菜は慌てて頷いた。

「う、うん。持ってる」

「俺も持ってるんだけど、あれの中の海の話が、好きな絵にものすごく似てて」

 立て続けに色々とあり落ち着かないままの胸の内でも、それがなんのことかはすぐにわかった。

「『痕跡』…!」

 声を上げた結菜に、彰良は少し目を瞠る。

「うん、そんな題名だったと思う。よくわかったね?」

「私…あの話、すごく好きで…」

 まさか彰良から『痕跡』のことを聞くとは思わず。驚きと、自分以外にもあの作品を気に留めていた人がいるという嬉しさに、結菜はソワソワと落ち着かない気持ちを感じていた。

 しかし、自分にとっては憧れの作品は、彰良にとっては意味が違うらしい。

「…絵って…?」

「美術部の展示にあったんだけど、覚えてないよね」

 ちょっと待ってと言い、彰良は鞄からデジカメを出して何やら操作をし、手渡してくれた。

 画面に映るのは、夕方の海辺の絵。夜に落ちる寸前の、暗い赤に染まる景色だった。

 似てる、の言葉に納得する。

 絵のことは全くわからない自分にも、彰良の言いたいことはよくわかった。

 どこか淡いこの絵は、まるで挿絵であるかのように『痕跡』と纏う雰囲気が似ているのだ。

 じっと見入っていた結菜は、右下に書き込まれた『N』の文字に気付いて慌てて顔を上げた。

「白石くん、これ描いた人って…」

「三年の先輩。相田さんが文芸部なら、あの話を書いた人のこと知ってるかなって思って」

 返された内容に、『痕跡』の『N』とは別人だと知る。

「…ごめんね」

 デジカメを返しながらそう言うと、どうして謝るのと笑われた。



「文芸部、入らなかったんだ?」

 デジカメを鞄にしまった彰良にそう聞かれ、結菜はびくりと身体を揺らした。

 そろりと彰良を見るが、もちろんからかうつもりなどなく。ただ疑問を口にしただけなのだろうが。

 文庫本を持つ手に力が入る。

「…私には無理だよ……」

 零れた落ちたのは、何度も自分に突きつけてきた答え。

 彰良はじっと結菜を見つめてから、小さく息をついた。

「…相田さんも書くんだ?」

 言葉を選びながらの問いに、結菜は息をするのも忘れそうになる。

 どうして気付かれたのか。そして何よりどう思われているのか。恥ずかしさと不安が一気に込み上げて、ただ彰良を見つめることしかできなかった。

 うろたえる結菜に反し、彰良は穏やかな表情で。落ち着いたその瞳に、結菜も次第に冷静さを取り戻し始める。

 どう思われているかはわからない。しかし、悪く言うような人ではない。

 吐息をつき、どうしてと呟くと、彰良は少し困ったように微笑んだ。

「驚かせてごめん。文芸部は読むだけでもいいって聞いてたんだけど、なんか相田さんはそんな感じじゃなかったから」

「ううん、私こそごめんね」

 謝ってくれる彰良に、結菜はふるふると首を振る。それからお互い顔を見合わせ、笑い合った。



 気を取り直すように息をついて。邪魔してごめんねと彰良が告げる。

「ううん。話せて楽しかった」

 素直に口をついた結菜の言葉に、彰良は少し迷ってから、お節介だと思うけど、と呟いた。

「…見られる怖さはよくわかるよ。俺だってまだ全然だから」

 突然の言葉がなんのことなのか、気付いた結菜が瞠目する。

「でも、見てもらえる嬉しさも知ってるから。頑張ろうって思えるんだ」

 そう言い切る彰良は、自分と違って迷いなどなく。

 好きなことを好きと言い、隠すことのないその姿。

 自分にはないその強さは、とても眩しく。

「…相田さんは、その人に見てもらいたいって思わないの?」

『N』に対するものとはまた違う、胸が締めつけられるような憧れを覚えた。

「…もし三年生だったら、文化祭が終わったら引退だよ」

 何も返せないままの結菜に、彰良はタイムリミットの可能性を示す。

 それじゃあと立ち去る彰良の背を見送ってからも、結菜は暫くその場に立ち尽くしていたが。

 やがてそっと吐息をつき、自分の周りに並ぶ本を見回してから歩き出した。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  書店での結菜の気持ち、わかります。  好きな物語だけど……読んでいることをなんと思われるか。気にしてしまう年頃ですよね。  冬野はもう開き直りましたが。笑  書店にはたくさんの本があっ…
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