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第十八景【かくこと】表

 紡ぎ重ねる言の葉。

結菜(ゆいな)も部活ないでしょ? 一緒に帰ろー!」

 帰り支度をしていると、既に荷物を纏めた明日香がやってきた。

「本屋寄りたいから駅までだけどいい?」

「もちろん! 私も行きたいけど今日は帰んなきゃ」

 新刊見たかったのに、とぼやく明日香に結菜は笑う。

「明日香の分も見てくるね。おまたせ」

 鞄を閉じた結菜が立ち上がった。

 学校から最寄り駅までは十分弱。結菜と明日香はいつものようになんでもないことを話しながらの帰路に就く。

 二階にある改札前で明日香と別れ、結菜はそのまま駅の反対側の出口へと向かった。

 本屋は学校とは線路を挟んで反対側のショッピングセンターの三階にある。地上の踏切を渡るよりは、改札前から繋がる高架から入った方がエスカレーターにも近くて早い。

 学校の最寄り駅となれば学生が集うのも必然で。本屋のほかは文具店や雑貨屋、そしてファストフード店などにも同じ高校の制服姿をよく見かけた。

 本屋にやってきた結菜は、小説の新刊を覗いてから児童書コーナーへと向かう。付近にマンションが多く子ども連れも訪れるからか、店舗面積の割には品揃えが豊富だった。

 新刊の中に読んでいるシリーズの続編を見つけて手に取った。丁寧に数ページめくり、すぐに戻す。読みたい本すべてを買うには高校生のお小遣いは少なすぎるので、そのうち図書館で借りるしかない。

 そうしてひとり気儘に本を眺めてから、結菜は何も買わずに本屋をあとにした。

 駅に戻りホームに降りてから、鞄の中の文庫本を取り出す。自宅の最寄り駅までは十五分ほど。待ち時間を入れると二十数分、本に描かれる幻想的な世界に浸れる時間だった。



 帰宅後宿題を終えてから、机の引き出しからノートを出してくる。下敷を挟んだままのA罫のキャンパスノートを開くと一行おきに手書きの文字が並んでいた。

 最後の数行を確かめてから、スマホのメモ画面に文字を入力していく。ある程度まで進んだらノートに書き写し、また続きを打ち始める。

 ノートに綴られているのは水に住む種族の少年の話。外に憧れ出たいと思う少年と、彼を取り巻く家族と仲間の話だった。

 ―――小さな頃から本が好きだった。

 図書館に連れていってもらっては、絵本コーナーで座り込んでずっと読んでいるような子どもだった。

 次第に児童書やハードカバーのファンタジー小説、ライトノベルなども読むようになって。そのうちに、自分の中にも話が生まれるようになった。

 少年が地底に冒険に行く話。

 空の上にある国の話。

 植物と話せる少女の話。

 自分の中に生まれた話を少しずつ言葉にするようになったのは、中学生になってから。手書きで直接ノートに書いていた作品も、高校生になり買ってもらったスマホで下書きができるようになってからは、書き直す作業が格段に減った。

 スマホ内にずっと残したままだと誰かに見られないかと心配だったので、こうしてノートに清書しては消去している。



 入学してもうすぐ三ヶ月、明日香たち新しくできた友人の中には本を貸し借りしたりする相手もいるが、どうしても自分がこうして話を書いているのだということを話せないままでいた。そもそも中学の頃もひとりでこっそり書いていただけ。今まで誰にも見せたことはなく、話したことすらない。

 誰かに読んでもらいたい。そう思わないわけではないが、恥ずかしさが先立ち言い出すことができないままだった。

 止まってしまっていた手に気付き、結菜はスマホを置いて。ノートをしまっていた引き出しから薄い冊子を出してくる。

 コピー用紙を折ってホッチキスで綴じたB5判の手作りの冊子。入学してすぐの部活紹介で文芸部が配っていたものだ。中には部員の書いた作品がいくつか載っている。

 その中にあったひとつ、ただ海辺の風景を綴るもの。

 あまり文学作品に馴染みがなく、どちらかというと冒険をしたり問題を解決したりのファンタジーものを好む自分。しかしその話にはなぜだか惹き込まれた。

 タイトルは『痕跡』

 作者は『N』

 電車で少し行けば海辺にも出られるが、描かれている海辺の様子は家族で海水浴に行くその場所とはまた異なる景色に思えた。

 少女がひとり砂浜に降り立ち、裸足になって歩いていく。描かれる景色に夏のにぎわいはなく、ただ静かに夕景が夜に変わる様が語られるだけ。

 もう何度も読み返したそれ。

 ただ淡々と語られているだけのようなのに。

 空と海とが夕焼けの赤から塗り替えられて夜の暗さへ呑まれていく。街に落ちる夕日、海から昇る闇。境目をなくした水平線から空も海も闇に沈み、やがては少女も闇の中へと紛れていく。

 丁寧に重ねられる言葉からは、そんな景色が見えるようで。

 自分とひとつかふたつしか違わない人がこれを書いたのだという事実と、自分の書く文章の拙さにショックを受けた。

 どんな人が書いたのか知りたい気はしたが、己の書いたものを見せる勇気はなく、仮入部期間に文芸部を見に行くことすらできなかった。

 結局部活は月に一度の実習とその事前の打ち合わせしか活動しない調理部に入ることに決めた。実質帰宅部に近いこともあり、中には掛け持ちで在籍する生徒もいるものの、大半はあまり部活動に興味のない生徒たちだった。

 今までに三回調理実習をしたが、全員揃ったことはない。



 小説や漫画にあるような、キラキラした高校生活に憧れがなかったとはいえない。

 仲間や先輩と部活に打ち込んで達成感を味わったり。

 気になる人を目で追いかけたり。

 毎日電車で会う他校生に恋をしたり。

 そんな風に、勉強に部活に恋に忙しい毎日を送るなんてことは一切なく。

 ただただ過ぎる同じような毎日。

 同じ時間に学校へ行き、友達と話し、授業を受け、帰宅するだけ。

 青春のきらめきも切なさも何もない毎日だが、今はそれでよかった。

 こうして自室で机に向かい、自分の中にある話を書き出して。

 憧れも何もかも、こうして言葉に変えていく。

 自分はそれで十分満たされていた。

 ただ、人を好きになった時の気持ちだけは、実感がないことと照れくささが勝ってきちんと書けず。それを書かずに済む児童書の方が自分には向いているだろうと思っていた。

 夕食と入浴を済ませ、明日の話題にテレビ番組をひとつ見て。

 自室に戻り、明日の予習を簡単に済ませてから続きを書く。

 溢れるままに紡いだ言葉は、憧れの作品に比べて拙くはあるが。少なくとも、自分の気持ちだけは十二分に込めるつもりで。

 自分には、それしかできないから―――。



 翌朝も、結菜はいつも通り登校する。

 家からの最寄り駅、いつもの車両のいつもの乗降口から電車に乗った。中にはいつも端に座っている女性やスーツの中年男性、結菜の降りる駅のふたつ先の駅にある男子校の生徒、そして同じ学校の生徒たち。

 顔見知りではないが見覚えのある面々と揺られること十五分ほど。朝は混んでいて本が開けず、いつも窓の外を見ているだけだ。

 駅に着き、結菜は二階の改札を出たところで立ち止まる。

「おはよう」

「結菜おはよー!」

 同じ電車の違う車両に乗っていた明日香と合流し、一緒に学校へと歩き出した。

「今日体育やだー」

「何するんだっけ?」

「あれでしょ、バスケ」

 歩いているとうしろから自転車通学の生徒たちが次々と抜いていく。

「もうすぐ水泳だし。結菜泳げる?」

「あんまり得意じゃないかな」

「私全然ダメだもん〜」

「おはよう」

 クラスメイトの男子生徒が自転車で追い抜きざまに声をかけていく。

「おはよー」

「お、おはよう」

 そんな何気ない会話をしながら。

 いつも通りの一日が、また始まった。



 いつもは表には後書きを書きませんが、今回は訳あって。

【かくこと】、すなわち【書くこと】です。


 もちろん好きでなければここにはいませんね。

 小池にとっては青春時代をともに過ごした仲間のような存在、かつ、支えてくれた大切なもの、です。


 ブランクは長く。未だ思うようにはいきませんが。

 この先もともに歩んでいければと思っております。

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― 新着の感想 ―
[良い点] >街に落ちる夕日、海から昇る闇  闇が昇る! [一言]  日常。  だからこそ。描くことは日常にあるものなのだという感じが伝わります。  私も、習慣というより持病!
[良い点]  書くことが好きな人たちは、やっぱり昔から書いているのですよね。ノートに書いていたなぁ。  図書館は車、バスじゃないと行けない距離だったので、小学生のときは移動図書館を利用していましたね…
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