第十七景【キーウィ】
もう大丈夫だよ。
その日も竜介は動物園に入るなり駆け出していった。
うしろから母親の声が聞こえるが気にしない。どうせどこに向かっているかはいつものことなので知られている。
ぞうにもきりんにも目をくれず、一目散に駆けていく。
暫くして着いた先には、ぽっかりと暗がりへ向かう入口と、今はもう読める文字。
『やこうせいどうぶつかん』と読むのだと、以前祖父が教えてくれた。
その暗さに怖がる竜介の手を取り、大丈夫だからと一緒に入ってくれた。
でも、もうひとりでも大丈夫。
きゅっと手を握りしめて、竜介は暗闇の中へと進んでいく。
入り口からの光が入らないように二度曲がった先、淡い光に浮かぶ展示スペースが並ぶ中へと出た。
真っ暗ではないが、光量はかなり落としてある。薄暗い中をひとり目的の場所へと進んでいった。
ゴソゴソ動く音と、何かの鳴き声。正体不明の物音は薄暗さと相まって恐怖をあおるものでもある。
大丈夫。
竜介は自分にそう言い聞かせながらまっすぐ進み、突き当たった。道なりに曲がり、少し進んで。
目的の場所で足を止めた竜介は、張り付くようにガラスに近付く。
他より少し広めの展示スペース。赤いライトに照らされてはいるものの、やはり薄暗く。床には鬱蒼と草が茂り、中が空洞になっている丸太が置かれていたり、木の枝が積まれていたりと、ごちゃごちゃしている。
ただでさえ暗い上にこう物を置かれては見たい姿も見えないというものだが、やはり隠れられる場所は必要なのだろう。
ざっと見回しても姿がないので、今度は端から注意深く見ていく。
草の根本、枝のうしろ、暗くて見えない穴の奥。土にも枝にもこの薄闇にも紛れてしまいそうな濃い茶色の身体を探すが一向に見つからない。
へばりつくようにガラスの前に立ち、竜介はじっと中を見ていた。
初めてここへ来た時は祖父と一緒だった。
普段は見られない動物たちがいるよと教えられて喜んで入ろうとしたものの、思ってもいないその暗さに立ち止まってしまった。
明るい日の下にいた目に光量を落とした館内はどこまでも暗く、恐ろしく見え。思わず後ずさりかけた竜介は、背に触れた温かいものに足を止めた。
見上げると、隣に立つ祖父が微笑んでいる。
「暗いなぁ」
屈んだ祖父がひそひそ声で告げてきた。
「じいちゃんあんまり目がよくないから、竜介、手を繋いでくれるか?」
背から離れて差し出された手を見つめてから、竜介は手を合わせてきゅっと握る。
いつも繋いでいる母親のものとは違う分厚くて硬い手は、とても頼もしく感じられた。
また見上げた竜介に笑って頷き、祖父はその手を引いていく。
壁際の小さな展示スペース。ちゃんと名前が貼られてあるが、見えるのは敷かれた砂と石と草だけ。背伸びして覗き込む竜介に、屈んだ祖父が小さく告げる。
「ここの動物たちはかくれんぼが得意だからなぁ。じいちゃんとどっちが先に見つけるか競争だぞ?」
「うん!」
少し慣れてきた目と、温かな手と、楽しそうな祖父の声。
怖かった暗がりは、今は少しのドキドキとたくさんのワクワクに満ちていた。
枝に沿うように寝そべる身体。
巣穴の奥に見える頭。
茂みからはみ出る尻尾。
かくれんぼの鬼になりながら、竜介は次々と動物たちを見つけていく。競争に負けてばかりだというのに、祖父はそれでも嬉しそうに見つけた竜介をほめてくれた。
突き当たって曲がった先。少し広い展示スペースには、鬱蒼と草木が置かれていた。隅から隅まで探してみても一向になんの姿も見つからない。
「ここの動物は特に隠れるのが上手だからなぁ」
「おじいちゃんは何がいるか知ってるの?」
ガラスに張り付きながらそう聞くと、もちろん、と祖父が返す。
「どんなの?」
「それは自分で見つけないとなぁ」
笑ってはぐらかされ、竜介はぷぅと頬を膨らませながら薄暗い中を隅々までじっくり見ていくが、動物らしい影はついに見つけられなかった。
「いないよ……」
落ち込む竜介の頭にぽんと手を載せて、祖父が励ますように撫でてくれる。
「向こうも恥ずかしがっとるんだな」
ガラスに映る祖父を見上げ、そこから再び奥を見て。
「会いたかったな…」
ガラスの向こうに伝わるように、竜介はそっと呟いた。
それからも、祖父と何度もここへ来た。
初めてその姿を見た時は本当に嬉しくて、祖父の手を引っ張ってそこだと必死に伝えた。
ようやく見つけたその姿も、よくやったと笑う祖父の笑顔も、どちらも同じくらい嬉しくて。頭を撫でてくれるその手を掴んでぎゅっと握った。
それからも相変わらず、その姿は見つけられたり見つけられなかったりだった。
草陰にうずくまっていたり、木の穴の中からくちばしの先が見えていたり。なぜかガラスの前で立っていた時は、脅かさないように気をつけながらそっと近付き、茶色いその身体と長いくちばしをずっと眺めていた。
小学生になり、母親と来るようになっても、ガラスの向こうは変わらない。
姿が見えたり、見えなかったり。
ただ違うのは。
ガラスに映る姿が、自分ひとりだということだけ。
「竜介」
うしろから声をかけられ、竜介はガラスに映る母親と目を合わせる。
「いない?」
見回して尋ねる母親に頷いて、ガラスから一歩離れた。
「残念ね」
どうするかと問う母親を今度は直接見上げ、竜介は両手をぎゅっと握りしめる。
「…あとで来ていい?」
こう尋ねられるのも、こう答えるのもいつものこと。
しかしそれでも毎回尋ねてくれる母親もまた、ここで自分と並んでいた祖父の背を見ているのかもしれない。
優しい眼差しで竜介を見つめていた母親が、促すように手を伸ばした。
「帰りにもう一度見に来ようか」
「うん!」
母親の手を取り歩きだし、竜介は途中一度振り返る。
もう一度来るからね、と。姿の見えないガラスの向こうに呟いた。
そこからは母親とともに園内を見て回った。夜行性の動物たちとは違い、明るい日の下で見る動物たちはいきいきと動き回るものも多く。その姿に笑い、驚き、時には見惚れて。指を差して訴えると、母親も微笑んで聞いてくれる。
はしゃぎすぎる自分を見守ってくれる母親は、一緒にいると安心できた。
一方でなんとなく、一緒にはしゃいでくれた祖父のことを思い出す。
自分が走ると祖父は追いつけなかったので、ゆっくり隣を歩いた。檻の前ではふたりで声を上げ指を差し、競うように気付いたことを言い合った。
何度も一緒にここへ来て、動物のことやほかのことをたくさん教えてもらった。
まだ小さかった自分。忘れてしまったこともたくさんあるかもしれない。
しかしそれでも、覚えていることだってたくさんあるのだ。
それを繋ぎ止めるかのように園内を周ったあと、竜介は再び夜行性動物館へと戻ってきた。
目を慣らしながらゆっくりと目的の展示スペースの前へと行く。
左の奥、バックヤードに続くのだろう扉の前に、茶色い丸いものが佇んでいた。
おそらく竜介だとようやく抱えられるくらいの大きさ。ころんとした丸っこい身体に小さな頭と長いくちばし。これではすぐ転がってしまうのではないかと思うほどに細い脚がにゅっと生えている。薄暗いので顔付きまでは見えないが、たしかにそこにそれはいた。
鳴き声からその名がつき、そのあと果物にも同じ名がつけられたのだと祖父が教えてくれた。
残念ながら竜介はまだ鳴き声を聞いたことはないが、いつか聞けたら、と思っている。
ガラスに視線を向けても、自分の隣に祖父の姿はないが。
それでももう怖がらずに、自分はここまで来られるから。
佇むキーウィを見つめながら。竜介はガラスに映らぬその姿に、大丈夫だよ、と呟いた。
今回は鳥の中でも特別な一種、【キーウィ】です。
実は実物から好きになったのではなく。
某アロハな宇宙人が闊歩するゲーム、その中で「キーウィ、キーウィ」と鳴きながら走り回るだけのキャラクター。もうそれがすごく好きで。
そこからなのです。
昔は知名度も低くてグッズなんてありませんでしたけど、幸い今は色々と。下の子を洗脳して立派なキーウィ好きに仕立て上げました(笑)。上の子が動物園嫌いでなかなか行けないので、代わりにふたりでぬいぐるみを愛でています。
先日久し振りに観に行きましたが、グッズの増えっぷりに驚いてしまいました。かわいい。
追:さみしくなってしまいましたが。
かわいい姿を見せてくれてありがとう。
向こうでふたりで遊んでいるのかな、なんて。




