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第十五景【ワイン】裏

 凍りついた気持ち。

 片付けておくから、と心乃美(このみ)に言われ、桐華(とうか)はバスルームへと向かう。

 たっぷり時間を取り、話しながら飲んで食べて。そうするうちに心乃美も少しは落ち着いてきたようだ。ワインの瓶が空く頃には、暫く恋なんてしない、などと宣っていた。

 そんなわけないだろうと、桐華はひとり笑う。

 知り合った高校時代から心乃美は本当に恋多き女子だった。それも決まって片想いで、少し離れたところから眺めるだけで十分だと言わんばかりの奥手振り。

 傍目には本気で好きなのかと疑いたくなるものの、本人は毎回真剣であるらしく。想いを告げぬまま失恋しては泣いていた。

 社会人になっても変わらぬ様子に、呆れと少しの安堵を覚える。

 心乃美が恋を成就させればきっとそちらばかりになり、自分のことなんて二の次になってしまうだろう。

 泣く親友を見たくはない。しかし、疎遠になってしまうのは寂しい。

 狭小な己の心に苦笑いしながら、桐華はバスルームに入った。



 シャワーを浴びて出てくると、心乃美は片付けを終えてお茶を淹れてくれていた。

 ゆっくり飲んだとはいえ、ふたりで一本。それなりに飲んでいるのでお茶はありがたい。熱いルイボスティーを前に、また元のようにふたり向かい合って座り、今度は何を話すでもなく無言のままお茶を飲んでいた。

 身体に広がる温かさが気を静め、独特の清涼感が纏わりつくように身体に残るアルコールを流してくれるような気がする。

「…ありがと、桐華」

 両手で包んだカップを見ながら、心乃美がポツリと呟く。

「ごめんね」

 曖昧なごめんねは何かに対してのものでもあり、ただ零れただけかもしれないが。

 うつむくその姿に、桐華は軽く息を洩らした。

「そんなこと、気にしないでいいから」

「…うん。ありがと」

 顔を上げずに少し笑う心乃美。

 食べ始めてからは比較的明るく話していたのだが、ふと言葉に詰まったり、じわりと涙が浮かんだりと、まだ揺れ動く様子を見せていた。恋に恋した結果とはいえ、もちろん心乃美にとっては失恋には違いない。

 しかし毎度それから立ち上がる心乃美は、桐華からしてみれば十分強いと思えた。

 ちくりと胸を刺す痛みに、桐華は心乃美から目線を外す。

 自分が心乃美に対して抱く羨望と罪悪感。

 口にできぬ弱い自分が情けなかった。



 大学生の時に告白され、付き合うことになった人がいた。

 好きか嫌いかと言われると、もちろん好きではあった。だから付き合った。

 自分なりに相手のことは好きで大切にしていたつもりだった。あまりベタベタするのが好きではなく、話し方も女子にしてはぶっきらぼうな自分だが、相手だってそれをわかってくれていると思っていた。しかし日が経つにつれ相手の態度が変わってきて、気が付いたときには二股をかけられていた。

 どうしてと問う自分に、相手は悪びれもせず『桐華は俺のこと好きじゃないだろ』と言い、その場で別れを告げられた。

 こんなかわいげのない女だとは思わなかった。

 最後に投げつけられた言葉が、今でも重く。それから恋愛には臆病になっている。

 そしてそのことを、自分は心乃美に話せないままなのだ。

 素直に人を好きだと思い、恋破れてもひねくれず前を向いたまま進む心乃美。そんな彼女にいつも偉そうなことを言うくせに、その強さは自分にはない。

 そのことを心乃美が知ったらどう思うのか。

 今となっては、それも怖かった。



「ね、アレも飲もうよ」

 カップが空になったところで心乃美が期待に満ちた眼差しでそう聞いてきた。

「アレ?」

「白ワイン! 桐華が持ってきてくれたやつ!」

「こんな時間に?」

 食後にと言いつつ開けていなかったなと思い出したものの、仕事を終えてからここへ来てゆっくり話しながら食べていたので、もうそれなりにいい時間だ。

 時計を見ながらそう言うと、心乃美がだってとむくれて呟く。

「気になるんだもん。明日お休みだし、ね?」

「…まぁあんたに持ってきたんだしね」

 やったぁ、と喜ぶ心乃美に笑ってから、桐華はカップを持って立ち上がった。

 カップを洗うのは心乃美に任せ、冷蔵庫で冷やしていたワインを取り出す。

 磨り硝子のワイン瓶の栓を抜き、グラスとともにテーブルに持っていった。

「ナッツでも出す?」

「なくて大丈夫だと思う」

 答えながらグラスに半分弱ずつ注いで、互いの前に置いた。

「ケチ」

 明らかに空白の方が多いグラスに心乃美がぼそりと呟く。

「飲んでから言いなよ」

 再栓しながら苦笑する桐華。

「本気で甘いから」

「そんな風には見えないけど」

 少しも黄色味を帯びない透明なワインを明かりにかざし、心乃美は怪訝そうに眺めていた。



 今日何度目かの乾杯をして、桐華はグラスのワインを口に含む。

 凍ったぶどうで作られたワイン。どこまでも透明なその見た目に反して少しとろりと感じるのは、やはりその濃い甘さのせいだろう。砂糖の甘さとはまた違う、凝縮した果実の甘みと僅かな酸味。しかし飲み込むとすっと引き、残る香りが鼻を抜ける。

 その一口を味わいながら心乃美を見ると、驚いたようにこちらを見ていた。

 鳩が豆鉄砲を食らったよう。そんな言葉が頭に浮かび、思わず笑う。

 どうやら気に入ったらしい。

「そこそこ度数あるから。がぶ飲みしないでよ?」

 甘く飲みやすくともワインはワイン。ストロングの缶チューハイよりアルコール度数は高い。

「わかってるしなんかもったいないからできないよ」

 少し興奮したように早口でまくし立て、心乃美は再びグラスに口をつける。少し飲み、考え込むように宙を見据えてから。

「わかった! ワインなのにジュースだけどワイン」

「何よそれ」

 得意げに言い放った心乃美に呆れ顔を向けながら、桐華は自分もゆっくりとワインを飲んだ。



 お茶を飲み少し酔いも醒めたのも束の間、またへにゃりと緩んだ笑顔でこちらを見る心乃美。空のグラスを握ったまま、こちらをじっと見ている。

「なに?」

「ん〜ん。なんでもなぁい」

 少しとろけたその顔は同性の自分から見てもかわいらしく。きっと少し積極的になればすぐ彼氏もできるのだろうなと思う。

 そうなればきっとこうして自分が呼ばれることはなくなるのだろう、と。いつもより寂しく思うのは、回るアルコールと更ける夜のせい。

 桐華がそっと息をつき、お茶を飲もうと立ち上がろうとした時。

「…桐華がいてくれて嬉しいよ」

 小さな呟きに、桐華が動きを止めた。

 そんな桐華を微笑んだまま見つめる心乃美。本当に嬉しそうなその表情に、さっき覚えた寂しさがするりと解けていく。

(…彼氏ができても、変わらないでいてくれるかな)

 こうして時に集まって。他愛ないことを言って笑って。

 これからもずっと、そんな友達でいられるだろうか。

 私も、と口を開きかけた桐華よりもほんの少し早く、だから、と心乃美が続ける。

「…ワイン、もう一杯ちょうだい?」

 ニンマリ笑う心乃美を見、開いた口を一度閉じてから。

「だめ」

「なんでぇ?」

 不服そうな心乃美にくすりと笑い、桐華は心乃美のグラスも取り上げた。

「コンビニのだけど、ガトーショコラ買ってきてるから。その分残しとかないと」

「ワインと一緒に食べるの??」

「そうそう。合うんだから」

 さすがにそれは明日にね、と言いくるめて。

「…代わりに、ちょっと話、聞いてくれる?」

 回るアルコールと、更ける夜と、変わらぬ友に。

 いつもより少しだけ口が軽くなれるかもしれない。

 一瞬きょとんと見返してからもちろんと頷く心乃美。頼もしい笑みにありがとうと返し、桐華はお茶を淹れにキッチンへ向かった。



 お酒が続きます。今回は【ワイン】です。


 前回も書いた通り、残念な味覚しか持たない小池。もちろん飲み比べてもわかりません。一本五百円もしないワインでも美味しいものは美味しい!

 何でも飲みますが、酸味がきついのは少し苦手。飲むとうわぁぁぁ、ってなります。飲みますけどね。

 赤も白も、甘いのが大好きです。


 さくらんぼのワインを飲みたくて、試飲会でとあるワイナリーのブースへ行ったのですが。丸眼鏡のオジサマにオススメだからこれ飲んでと勧めてもらった氷結デラウェアで作られたワイン。海外のアイスワインよりフレッシュで、クドい甘さが全くなく。

 もう、運命の出逢いでした…。

 衝撃すぎて、さくらんぼワインの試飲をすっかり忘れて帰りました。


 それ以来国産ワインにハマり、現在に至る小池です。お手頃値段でもいくらでも美味しいものがありますよ。

 きっかけとなったワイナリー、いつか行きたい……。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 白ワイン……美味しそう…… 読んでいるだけで、爽やかな甘味を感じました。 うんうん、スイーツに絶対合いますね! これは◯ゃがりこじゃない!(笑) 桐華さんにはそんな失恋の経験があったので…
[一言]  いい関係ですね。  でも、相手ができる/できないに関わらず、いつまでも続いていけるかは、難しいでしょう。ライフスタイルも変わりますし。  だからこそ、大切な関係なのだと思います。  ぜ…
[一言] 女子の友情にしっかりと浸らせて頂きました。 心乃美も桐華も、こういう女子いる! とリアリティ満載ですね。 特に恋に恋していることをしっかりと自覚している心乃美、周りから見るとしっかりしなさい…
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